ブクステフーデ:われらがイエスの御体
ブクステフーデ(ca.1637-1707)は、オルガンの演奏と作曲で名高く、バッハやヘンデルにも大きな影響を与えたことで広く知られています。ハンザ同盟市のリュベックで長く活躍し、その北ドイツふうの堅固でいながらぬくもりを感じさせる音楽は、単にバッハの先蹤者というだけでなく、独自の魅力を持っています。ちょうどトーマス・マンの街、リュベックがハンブルクの小型版というだけではないように。……ただオルガンはブルックナーにおいてもそうであるように即興性の強い楽器ですから、残された楽譜からだけでは、バッハがなぜあれだけ魅了されたのかははっきりしないように思います。
「ジャパン・レクイエム」の冒頭との関係で、ブクステフーデを取り上げたわけですが、オルガン曲ではあまりにベタでしょう。彼は114の宗教的声楽曲を作曲してますので、この「われらがイエスの御体」(1680年)を挙げてみました。
この曲は受難曲の一種で、形式的にはカンタータに属するものですが、12世紀又は13世紀に書かれたラテン語のテキストを持つことから、シュッツからバッハに至るドイツ語のテクストによるカンタータと異なりますし、福音書に典拠を持つ通常の受難曲でもありません。内容は十字架上のイエスの体の7つの部分(足、膝、手、わき腹、胸、心臓、顔)について想いを寄せるというもので、ユニークというか、信者ならぬ身としてはちょっと気色悪いです。シュッツの「十字架上の7つの言葉」と同様に、信者にわかりやすくイエスの受難を伝えるという宗教的機能をもっているんでしょうけど。
各部の最初には聖書からの引用句がありますが、ナホム書、イザヤ書、ゼカリア書、ソロモンの歌(雅歌、2回)、ペテロによる第1の手紙、詩篇と、ほとんどが旧約聖書に由来するもので、新約のペテロによる第1の手紙による胸の部分も「生まれたばかりの赤ん坊が乳を求めるように、純粋なお言葉を求めなさい……」という、イエスの生涯や体とは直接関係のない、はっきり言ってしまえば牽強付会なものです(たとえイエスでも男のおっぱいは求めたくないです)。
その後にいわゆる自由詩句があります。ラテン語詩の評価なんかもちろんできません(英訳で見ています)が、内容はお世辞で言うと宗教的情熱にあふれたもので、率直に言うとあまり洗練されていない表現のように思えます。韻を踏むとかそういう詩の約束事に追われていたのかも知れません。日本人が漢詩を作るようなものですから。……まあ宗教曲のテクスト、特に自由詩句にケチをつけだすとキリがなくて、バッハのカンタータなんかほとんどダメなんですが。
さて、音楽の方はと言えば、内容的に前の世代のシュッツとあまり変わらないですし、価値から言ってもそれを超えるものではないでしょう。後の世代のヘンデルはおろか、バッハやテレマンと比べても、良く言えば素朴でしみじみするもの、悪く言えば古拙でダイナミズムを欠いたものです。要は当時の音楽先進国イタリアのコンチェルトやオペラをどれだけ聴いて、自分の音楽に取り入れていたかによるのでしょう。
とは言え、私はこういう音楽も嫌いじゃないです。ゆったりした時間の中で、リュベックのこじんまりした街並みや覚束ないラテン語で歌う善男善女を想像し、中世とあまり変わらない世界に想いを馳せるのは楽しいものです。例えば膝の部分の冒頭の弦楽のトレモロは不思議な浮遊感覚があって、ゴルゴダの丘を登らされたイエスの膝の震えを表わしているようでもあり、雲の合間から射し込む光のゆらめきを表象しているようにも思えます。
わたしが聴いているナクソスのCDには、レクイエムも作曲しているローゼンミュラー(ca.1619-1684)のシンフォニアが序奏代わりに置かれていて、とてもマッチしています。こういう実際の演奏でもあっていいような工夫もバロック期以前の音楽を聴く楽しみです。