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GIFT  作者: pai-poi
3/5

「ミオだよ!」


 はたしてこの子は誰だろうか。


「ミオだよ!」

「えっと……、お嬢ちゃんはこの辺りの子かな?

 お友達は……」


 愛くるしい大きな目でこちらをのぞき込んでくる女児。

純真無垢なその目で見つめられると、何か心の奥底まで覗かれている気分になる。

私は視線をそらし、周りを見回す。友達は見当たらない。


「ミオだよ!」


 私は袖を引かれ、促されるままベンチから腰を上げた。



   ◀◀



 あぶくたった にえたった

 にえたか どうだか

 食べてみよう



 私はラーメン屋を出て閑静な住宅街を、当てもなく歩いていた。

日中であったが誰ともすれ違うことなく、人の声、車の音すら聞こえない。

明るいのにもかかわらず夜のような静けさ。目の前の風景が白く霞む。


 私はポケットの中にある鍵を握り締め、思案する。昨夜のバーのマスターから勧められたラーメン屋、そこで手に入れた錆びた鍵。これが繋がっていないはずがない。

では、あのバーのマスターはなぜ私に鍵を渡したのだ。これはどこで使う鍵だ?

それともこの「鍵」は本来の用途ではなく、何かの暗示なのだろうか?



 むしゃ むしゃ むしゃ

 まだ にえない



 わらべ歌に気が付き視線を上げ、声のする方へと向けた。

住宅街に囲われるように作られた公園。すべり台、ブランコ、いくつかの遊具。何の変哲もない公園だったが、私はわらべ歌に誘われるように中へと入った。日差しを受け暖かみを保っているベンチに腰を掛ける。周囲を見回すも、子供はおろか人ひとり見当たらない。



 あぶくたった にえたった

 にえたか どうだか

 食べてみよう



 小高い丘のような山がある。その裏手にいるのだろうか、わらべ歌を唄っている子供らは。

私は視線を落とし、鍵を取り出した。鈍い赤銅色に錆びていること以外に、何も特色がない。ごく普通にありふれた鍵だ。裏返し、表に戻し、軽く指でこすってみる。陽光を反射し鈍く輝く鍵。

記号、あるいは何か見落としているものが無いか調べてみるも、やはりそこには「鍵」以外の情報はなかった。



 むしゃ むしゃ むしゃ

 まだ にえない



 視線の先、足元の地面に影が差す。

思わずはっと我に返り視線を挙げると、小学生と思しき女児がそこに立っていた。


「えっと……、」

「ミオだよ!」



   ▶



 私を立たせた女児は、それで満足したかのようにキャッキャと笑い声をあげて立ち去っていく。

追いかけようと手を伸ばして、踏みとどまった。

これではまるで犯罪者ではないか。私はこの女児を追いかけてどうしようというのだ。話がしたかった。道を尋ねたかった。学校は楽しいかなどと聞きたかった。

なぜ私を見つめたのか聞きたかった。

理由、言い訳などいくらでもある。だがそれを誰が理解してくれようか。



 あぶくたった にえたった

 にえたか どうだか

 食べてみよう



 再びわらべ歌が聞こえる。

此処はどこなのだ。私はなにをしているのだ。

途端に私のアイデンティティが揺らぐ。意識を取り戻すように「鍵」を強く握り締める。視界を失わぬように努める。


「ミオだよ!」


 私から10メートルほど進んだ女児が立ち止まり、振り返る。

その愛くるしい大きな目で私を見つめ、上体ごと首を傾げる。

私にどうしろというのだ。ついて来いというのか。



 むしゃ むしゃ むしゃ

 まだ にえない



 女児が走り去っていく。その姿を目で追う。

公園を出て視界から消えたのを見送ると、やっと私の心は体を解放する。

ため息のように深く息を吐く。

握りしめた手から僅かな鈍痛。強張った手を開くと、そこには血に濡れた鍵があった。私の血とともにそこにあった。

鍵をポケットに入れ、代わりに鞄からハンカチを取り出し握る。


 残香を探るように、女児が消えた方向へと歩き出す。

陽光が傾きだしている。好奇心が勝り、私は姿の見えない女児を追った。その道に従った。



 再び住宅街を進むと、路地の間に消えていく女児の後ろ姿があった。

普段、誰も見ることなく、忘れられ捨てられたような路地裏。土地勘のない私なら当然、見落としているだろう道。

そこに足を踏み入れて気が付く。風がない。時が止まっているような錯覚を覚える。生きているのは私だけだと、孤独感に心が締め付けられる。

いつの時代からそこにあるのか。壊れて傾いた三輪車。そこにとどまっている落ち葉は動くことを知らない。

突き当りは丁字路だろうか。右が正解か。左が正解か。

全てが塀に囲まれている空間。そこには生活音も生活感も届いてはいない。

ただ影と陰が埋めている。


 突き当りで右を見ると、そこには女児が付けていたリボンが、髪を結っていたリボンが落ちていた。そのリボンの赤い色が、妙に艶めかしく、そして不自然な色をそこに付けていた。まるで分岐点に付ける目印のようだ。私は握っていたハンカチを、そのリボンの上に重ねるように落とした。

女児の姿は見当たらない。どこに消えたのか。そう、文字通り消えたのだ。


 右側、そこは1メートル程度の奥行しかない行き止まりだったのだから。


 であれば女児は左側に行ったのだろうか。

否、それはない。そういう直感だけが私の次の行動を肯定した。

女児はここで消え、私だけが左側へと進まねばならないのだ。

視線を地面に落としたまま、私は丁字路を左へと曲がり進む。



 あぶくたった にえたった

 にえたか どうだか

 食べてみよう



 聞こえないはずの声が、わらべ歌が頭の中を木霊する。

どれぐらい歩いただろうか。ただの一本の道を、私はひたすら歩いていた。


 やがて視界が開け、夕闇に染まった色が私を迎える。

立ち止まり、前へと視線を上げる。

そこに在ったのは、古く、人が住んでいるとは思えない、寂れた家だった。

申し訳程度の門。外された表札跡。覆う雑草。軒下に掛かる蜘蛛の巣。


 窓から漏れる、命を持った明かりなどはない。

申し訳程度に見えるカーテン。錆びついた手摺のベランダ。長い年月を示す、くすんだ屋根の色。


 私はゆっくりと門をくぐった。雑草を足で除け踏みつぶし進む。

玄関のドアを見て、深呼吸した。疑うことなくポケットの中にある「鍵」を取り出し、そのドアノブへと差し込む。ドアは抵抗を見せることなくロックを解錠させた。



 むしゃ むしゃ むしゃ

 もう にえた



 その家は、かつて私が捨てた家だった。

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