宇宙人を追う地球人
いよいよレオル達ゲルマ星人の敵が現れます。
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その初老の男が椅子の上で目を覚ました時、まず暗闇を感じた。
次の瞬間には、自分が服を脱がされた状態で拘束されていることに気づく。しかし戦慄や恐怖よりも先に彼が感じたのは、両手両足首にプラスチックバンドが食い込む痛みであった。
「ぐっ!」
彼は四肢を動かすことを諦めて叫ぼうとするが、彼の口には猿ぐつわが嵌められていた。自らの力でこの状況を抜け出せないと悟ると、彼は全身から力を抜いた。代わりに彼は、考えることに集中した。彼の職業――警察官としての冷静な判断力はすぐに、自分がこのような状況に置かれている理由探しに向けられた。
「こんばんは」
闇の奥から響いた粘着質な声に、男の思考が一時停止した。
「おっと、済まない。これでは何も見えないねェ」
パチパチという音が数秒鳴ってから、ようやく天井の蛍光灯に明かりが灯る。
拘束された男は周りをさっと見渡した。長年手入れのされていない不潔な部屋で、外から音や光は全く入ってこない。おそらく地下だろうと見当を付けたが、後ろから現れたスーツ姿の人物に男性の視線が奪われる。
顔の半分を覆い隠す金色の髪、隈に縁どられた嗜虐的な眼、青白い皮膚の色。彼は猫背の上半身を小刻みに揺らしながら、不気味な笑い声を漏らしていた。
「さて、日本警察公安部参事官。話をしようじゃないかね」
参事官の猿ぐつわが、丁寧に外される。口の自由を取り戻した彼は、汚く唾を飛ばしながら叫び始めた。
「ここはどこだ!目的はなんだ?!」
絶叫の一方で、彼は次第に冷静さを取り戻していた。相手が警察官の自分に用があるならば、尋問に対する回答シミュレーションは準備してある。彼は回答パターンを想定しながら、尋ねた。
「……まずは名乗ったらどうだ?お前の正体が分からなければ、私には何も答えようがない」
「私のコードネームは、ゼニス」
ゼニスは参事官の背後に立ち、その両肩に手を置いた。
「調べものがあってね。『BLUE』から遥々日本へ派遣されてきたのだよ」
その単語に、参事官の全身から汗が流れ出る。
それは彼が想定しうる、最悪の事態だったのだ。
「私は知らない!!宇宙人のことなど、何も知らない!」
「ほう。私の聞きたいことを分かっているのだねェ」
「当り前だ……それがお前たちBLUEの仕事だろう」
彼は判断しなければならない――彼が属する日本警察庁公安部の“ある行為”について、何らかの情報が漏れていることは間違いない。ならばどこまで話し、どこからしらを切るか。それが参事官の回答を左右し――
参事官の思考が途切れ、代わりに言葉にならない悲鳴が響き渡った。
ゼニスが小さなハンマーを使って、男の右肩に釘を打ち込んだのだ。彼はひひっ、と笑
って、自分が打ち込んだ釘を指で弾く。
「ぐあぁぁ!!!」
肩の痛みは電流のように男の全身を駆け巡り、そのあらゆる部分に居座っていた。
「君は、私の質問に答えてくれるだけで良いのだ」
「私を……拷問する気か?」
「話しても良いことが何なのか……あまりに痛いと、そんなこと考える暇が無くなるだろう?」
ゼニスは男の髪の毛を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「今度はきちんと聞いてあげよう。10年前の 『宙海市一家失踪事件』。宇宙人の仕業と知りながら、何故隠ぺいした?」
男は目を剥き、口を半開きにして一瞬呆けたが、すぐに反論した。
「う、宇宙人の仕業……?何を言っているんだ」
それに対しゼニスは、何も答えなかった。
返事の代わりに、ゼニスはもう一度釘とハンマーを使った。今度は男の右手に釘の先端を当て、彼はハンマーを振り下ろした。肩の厚い肉よりも容易に、釘は深々と刺さった。
あまりにあっけなかったためか、彼はため息をつきながらもう一本釘を取り出した。男の狂ったような悲鳴に何も反応せず、ゼニスは淡々と左手の甲を釘で貫いた。
「拷問という手段が前時代的などとは、嘘も甚だしいと思わないかい?特に君たち日本人のような温室育ちには、ぴったりな手法だと思うのだが?」
痛みと恐怖が参事官の全身と精神を蹂躙していることを実感し、ゼニスは満足そうな笑みを浮かべている。
「……ど、どこの、誰だ!でたらめ、ばかりを!」
「“親切な警察官”が、私に教えてくれたのだよ」
ゼニスは参事官の後ろに回り込み、背中に釘を打ち込む。
「彼のことを裏切り者と罵るか?いいや違うだろう?彼は償っただけだ。日本警察が正義にもとる行為に走ったことを、ね」
「……せ、いぎ、だと?」
「君の行為には、正義などかけらも無い。君はただ、恐れたんだ。“宇宙人案件”をきっかけに、外国勢力に介入されることを。そしてその責任を負うことを」
ゼニスは心底残念そうに、首を横に振った。そして新たな釘を指先でつまんだ。
「今度こそ、君の正義を見せてくれ」
彼は参事官の太ももに釘を打ちこんだ。
「宇宙人から地球を守るために、ねェ」
参事官の絶叫、嗚咽、荒い息が暗い部屋いっぱいに響いていた。
それをよそに、ゼニスは上着の内ポケットから小さな手帳を取り出す。
「10年前、JAXAの非公表人口衛星が、宇宙と日本領空を往復した物体を補足した。その直後、日本である家族が一斉に姿を消した」
参事官はまだ、無言だった。
「……そして10日後、再び宇宙から“何か”が日本領空に侵入したことを再び確認。すると君たち警察は突然、JAXAの報告と行方不明事件の関連を調べ始め、その家族が宇宙人にさらわれたのではないかと推測した」
ゼニスの持つ手帳から、一枚の写真が落ちる。
「おっと」
ゼニスはゆっくりとした動作で地面にかがむ。その間に、参事官の目に写真の人物が映った。
「き、菊地……」
その名を呼ばれたのは、参事官の部下、つまり公安捜査官の一人だった。彼こそ10年前の事件の捜査責任者であった。
「“親切な警察官”が最初に教えてくれたのが、菊地サンの名前だったよ。彼も最初は隠すことに必死だったが……まぁ結局、何もかもを吐いてくれた。貴方の名前もねェ」
両手両足が釘まみれになった男の写真を、ゼニスはにやつきながら拾い上げた。
「まぁつまり、大方の情報は私の手にあるということだ」
参事官は、自分の置かれていた状況をようやく、正しく判断した。
既に袋のネズミ――彼に為す術は無かったのだ。
「……あの事件は、宇宙人案件、だった。だが……上からの、指示で、捜査は……打ち切られたんだ。私の指示じゃ、ないんだ!」
ようやく参事官が口を開いたというのに、ゼニスは沈黙を続けた。
鼠が地を這う音、羽虫が羽ばたく音――それらがはっきりと耳に入ってくるほどの無音。やがて参事官は耐えかねたかのように声を絞り出した。
「政権は、あの時期が選挙の正念場だった。お前らBLUEどころか、外国組織に嗅ぎつけられたら、選挙どころでは――」
「本当の捜査資料を頂きたい。改ざんされる前の、ねェ」
「わ、分からなかったのか?これが表沙汰になれば、私は……国家を敵に回すことになるんだぞ!」
「それは酷い話だ」
「そうだ!私に悪気はない!お前たちに隠し立てする気など――」
ゼニスは参事官の話に聞き入ったように、相槌を打つ。
その一方で彼は、参事官のこめかみを釘の先でくすぐる様な動作を始める。
「や、やめろ……。資料なんて、もう処分したんだ」
「なァに、安心してくれたまえ。BLUEはこれをネタに、日本の政治家を脅そうとは考えていない。いいかね?我々はただ、地球と人間を脅かす害虫を駆除したいだけなんだ」
ゼニスは釘をこめかみから、少しずつ額の方に動かした。
「同じ人間の貴方を傷つけるのは本意ではない。用が済めばすぐに解放する。もちろん君が情報提供者と他言することは無い。BLUEの人間として誓おう」
釘は額の中心で止まった。
「まァ、全ては君の誠意次第だがね」
参事官は何か言い返そうとしたが、思い直して口を閉じた。
しばしの逡巡の末、彼は口を開いた。
「……家族には手を出さないと、約束してくれ」
「もちろんだ」
「……サイトウタカシという名義で持っている、静岡県内の別荘だ。書斎の金庫に、入っている。パスワードはtkm04bm80hs」
「アルファベットは小文字だね?」
「そうだ……」
「素晴らしい回答だ。ありがとう」
その後のゼニスの行動に、参事官は驚きを隠せなかった。ゼニスは刺さった釘を丁寧に抜き、消毒して止血した。それから痛み止め入りの点滴を手際よく男に施し、ゼニスは一息ついた。
「そんな間の抜けた顔をしないでくれたまえ。私が静岡に行って帰ってくる間に死なれては困るのだよ」
ゼニスは抜いた釘についた血をふき取りながら、そう言った。
「もちろん、これが再度活躍することもあるかもしれないがねェ」
彼はハンマーと釘を投げ捨てる。
不気味な笑い声を漏らし、ゼニスは暗い部屋を出て行った。
2日後の夜、ゼニスは東京都内JR田町駅構内の男子トイレに立ち寄った。その個室の便器の裏に手を伸ばし、彼は封筒に入った鍵を取り出した。
その後彼は、山手線に乗ってJR上野駅で降りた。途中で購入したゼリータイプの飲料で昼食を済ませ、地下鉄との乗り換え口付近にあるコインロッカーの前までやって来た。そして田町駅のトイレで手に入れた鍵でロッカーを開け、中から一枚のA4サイズ封筒をつまんで鞄に入れた。
それから彼は、都内に構えた潜伏先の部屋に戻り、封筒を開く。ある人物についての写真入りレポートが数枚同封されている。彼はデスクの下に備え付けられた簡易金庫から別の書類――昨日静岡で手に入れた10年前の捜査資料――を取り出し、それぞれに載っている写真を見比べた。
「随分綺麗に育ったじゃないかねェ」
10年を隔てた2枚の写真に写る人物は、まるで表と裏であった。
古い写真の彼女は、家族と共に輝かんばかりの満面の笑みを見せている。
新しい写真の彼女は、たった一人で無表情のまま学園の門を通り過ぎようとしている。
「……」
捜査資料を置いてレポートを読み進めていたゼニスは、とある一文に目を留めた。そして引きつったような笑い声を上げた。
「他にもいるようだねェ……彼女を付け狙う奴が。しかし――」
ゼニスの指が紙面に触れる。
その指は優しく愛撫するように、彼女の写真をなぞった。
「君に一番会いたいのは、この私なんだよ……星降舞依」
風になびく黒い髪と、物憂げな表情が、ゼニスの血走った眼に映っていた。
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本日はもう1話投稿します!