笑顔で話そう
レオルの過去が、少しだけ明かされていきます。
「という経緯で、あなたのアドバイスが必要だと判断しました。カナコ」
UFO女こと星降舞依との無様な会話を反省し、私はすぐカナコに打診した。人間との会話を円滑にするコツを、彼女から学ばなければならない。
「いずれ、このような機会があると想定していました」
ダイニングテーブルを挟んで向かい合うカナコは、分厚い辞書のような本を私の前に置いた。表紙には『地球人との会話マニュアル』と記されている。
「10年間の潜入の末、私が独自に作成したものです」
「これさえあれば、地球人との会話に困らなくなりますか?」
「甘いです、レオルさま。読むだけでどうにかなるのなら、苦労しません。読破していただく前に、すぐに使える部分だけまとめてレクチャーします」
彼女は『すぐにできる 地球人との会話マニュアル』という薄い冊子を私に持たせた。
「これを読みながら、勉強しましょう」
「分かりました」
「では4ページを開いてください。ここは最初に抑えるべき基本といえます」
「その1……相手の目を見る」
「そうです。それが無理ならば、相手の眉間や喉元あたりを見ると良いです」
「私があなたや同胞たちと話す時は、きちんと目を見ているつもりですが」
「じゃあやってみて下さい」
私はじっと、カナコの切れ長の眼を見つめる。その紫色の瞳もまた、私の眼を凝視している。
「……み、見過ぎです。もう、いいです」
カナコがわずかな戸惑いと共に目をそらし、睨み合いは終わった。
「こほん。ちなみに、たまに視線を逸らしてみると、相手の関心がこちらに向くそうです」
「凝視はいけない、たまに視線をずらす、と」
「その通りです。あなたにじっと見られると、変な考えを起こす女子生徒が居るとも限りませんから。さて、次に進みましょう」
「その2……笑顔」
「言ってみれば、これが最大難局でしょう。私はレオルさまの笑顔を見たことがありません」
「要点を伝えることに、笑顔が要りますか?」
「合理性や効率性の観点からは、笑顔など無用の長物です。しかし地球人のコミュニケーションにおいて、笑顔の効果は絶大です。地球人とは不思議で、たとえ意味の無い発言であっても、笑顔で言われただけで満足します。何を言われるかよりも、どう言われるかを重視します」
「笑うだけで誰でも騙せそうですね」
「ただ笑っていれば大企業の面接で高評価となり、採用されるぐらいですから」
いくら能力があっても、笑うことができないだけで不必要とされるとは……何とも非合理的な社会である。
などと考えていると、突然カナコが私に笑いかけてきた。
「えへっ♪」
「……あなたの笑顔など、母星に居た頃は見たことがありませんでしたね」
「10年練習しましたから」
「いいでしょう。私もやってみせます」
私はカナコの真似を試みた。
「……レオルさま、それでは具合が悪そうに見えます。顔中の筋肉が震えていますよ」
生まれてこの方、笑ったことなど無いのだ。これは難題だ。
「分かります。私も初めは、大変骨を折りましたから。今では随分と慣れましたが」
「練習あるのみ、ですね」
「とにかく笑ってさえいれば、問題ないのが地球人です。常に意識しておいて下さい。では練習は日頃からやってもらうとして、次に行きましょう」
私は最後に記された項目を読んだ。
「その3、感じたことを話題にせよ?」
「会話の中身についてです。レオルさまは立派な大人ですから、あるテーマや目的に沿った会話ならば可能でしょう。ですがゲルマ星人と異なり、地球人は雑談を非常に重んじます。重要な交渉に臨むにあたっても、まず雑談で場を和ませてから本題に入るのがセオリーだそうです」
「非効率と断じたいところですが、それが地球人のルールなら従いましょう」
「賢明です」
「つまり私が学ぶべきは、その無意味な雑談のテーマ作り、ということになりますね」
「ええ。雑談のコツとは、まさにこの標題にある通りです。臨む会話に先だって自分が見たもの、聞いたものはもとより、話しながら感じたことを口に出すだけでよいのです。もちろん本論の妨げになっては意味がありませんから、相手の気分を害する発言や話題は控えて下さい」
「承知しました」
「じゃあやってみましょう。私と雑談の時間です」
「いいでしょう」
「では、どうぞ」
「……」
「……レオルさま」
「分かっています。しかし少し考えさせてください」
「時間を使って捻り出した話題など、雑談ではありません。息を吐くように、自然に始まらなければ」
「すみません」
「いいえ。まずは私が手本を示しますから、参考にしてください」
カナコはそう言い終えて、一度目を閉じる。
そして瞼を開いてからは、彼女の口調は一変した。
「ねぇ、お兄ちゃん。なんか今日、いつもよりも暖かかったねぇ」
「確かに」
「先週とかは、なんか肌寒いって感じじゃん?何着ていいか分かんなくなるよね」
「ええ」
「男子なんてさ、ブレザー脱いでるヤツだっているんだよ?あれじゃ流石に寒いって」
「そう思います」
「……一度やめましょう」
カナコは表情険しく、じと目で私を見据えた。
「会話は続いていたでしょう。地球人との会話は、この3語で乗り切れると考えています」
「私を馬鹿にしているのですか?私は一方的にあなたに話したい訳でも、薄っぺらい同意を得たい訳でもなく、会話をしたいと言いました」
「クラスメイトの女子には通じたのですがね」
「真面目にやらないと、もう寝ますよ?」
「すみませんでした。もう一度お願いします」
その後一晩中、私とカナコは雑談を繰り返しに繰り返した。
そして翌朝には、まるで地球人として一層のレベルアップを感じたのだった。
「だいぶ成長しましたね、レオルさま」
カーテンの隙間から差し込んだ朝日がカナコを照らす。彼女は僅かに唇の端を上げ、微笑んでいた。表情に乏しい彼女だったが、地球に来てからは印象が違っている。
「私が母星を離れる前に比べると、レオルさまは人当たりが良くなったと言えます」
「牢獄での生活が長かったせいか、最近まで他者との会話はわずかでしたから」
そんな私の返事を最後に、カナコは突然黙りこくった。彼女が何か話し出すのを待っていたが、一向に口を開かない。少し伏し目がちに、どこか悩んでいるような表情だった。
「どうしました?」
「……もっと早くレオルさまを獄中からお助け出来れば、この地球侵略作戦は時間的に余裕があったはずでした」
「もしも、の話に意味はありませんよ」
そう言いながら私は、この10年間を顧みていた。
10余年前にゲルマ星人が地球を発見し、惑星統一政府の最高意思決定機関『元老院』の指示の下に『地球侵略省』が新設された。私もその一員となったが、地球侵略の手段を巡って省内に二つの派閥が生まれた。
軍事力によって地球人を絶滅させて地球を奪う“武力侵略派”。
対して、少数精鋭の潜入と諜報活動によってゲルマの移住を地球人に認めさせ、その実彼らを裏から管理する“知的侵略派”。
私は“知的侵略派”のリーダーとして、カナコらと共に同胞の説得を試みた。殆どの同胞は武力を良しとしたが、知的生命体との戦争、しかも相手の土俵での戦争は大きなリスクを伴う。全面戦争よりは時間はかかるが、“知的侵略”の方がゲルマ全体のリスクを軽減できる。
その主張は元老院にも受け入れられ、計画は実行に移されようとしていた矢先――今から10年前に事件は起きた――
「――レオルさま?」
「いえ、すみません。もう一度話してください」
「星降舞依は宇宙人との接触を示唆した人物です。追っているのは、我々だけではないかもしれません」
カナコの言葉で、私は思考の対象を現在に切り替え、頷いた。
地球人が、宇宙人の存在を全く想定していないということは無い。惑星協会やSETI協会といった学術団体が地球外知的生命体探査を推進し、地球外の知的生命体に向けたメッセージを送信している。
さらに一歩踏み込んで、宇宙人襲来に備えている組織も存在する。各国の軍部に加えて、アメリカ合衆国のCIAをはじめとする情報機関も暗躍している。UFO目撃証言、突如現れた謎のメッセージ、キャトルミューティレーション――彼らは自国内あるいは近隣国において、宇宙人の存在が疑われる事件を捜査しているのだ。とはいえ、本格的な戦争の準備をしている気配はない。(某国は地球防衛を口実に核兵器所有を正当化しているらしいが。)
「カナコ。これは同時に、チャンスとも言えます」
私は席を立ち、窓のカーテンを開いた。
「もし私が星降舞依を利用することができれば、彼女を餌におびき出すことができるかもしれません。消すべき地球人を」
まだ見ぬ我々宇宙人を恐れ、武器を構える地球人たち――彼らは我々の侵略にとって、必ず邪魔となる敵だ。
窓から降り注ぐ光が、私の背中を熱くし、それと同時に私の中にはっきりとした目的意識が頭をもたげてきた。
戦いは、必ずどこかで攻勢に出なければ、勝てない。
そして我々ゲルマ星人には、時間はあまり残されていないのだ。
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