スパイの潜伏(=幼馴染と同棲)
「私たちの部屋?」
私の問いに返事は無く、代わりにカナコの持つ携帯電話が音を鳴らした。
「引っ越し業者からです。私たちが使う家財を部屋に運び入れます。しばしお待ちを」
カナコのこういう手際の良さ、用意周到なところに感心してしまったが、それよりも問いたださねばならないことがある。
「カナコ、私たちの部屋とは?」
「言葉のままです。一つ屋根の下で一緒に住むということですよ。あ、業者のトラックが来ました。私たちは邪魔にならぬよう、部屋に入りましょう」
家具や家電が運び込まれている間、私は部屋の中を見回ってみた。室内はいたって清潔で、真新しさを感じさせる。スパイのねぐら、にしては上等と言えるだろう。
「そのダブルベッドはこちらの部屋に」
寝室の扉を指さす彼女の肩を、私は掴んだ。
「カナコ、今なんと言いました?」
「ダブルベッド」
「同じ部屋に住むというのは理解しましょう。しかし寝床を同じくする必要が?」
カナコは一瞬きょとんとしたが、私を部屋の端に連れて行って耳打った。
「我々の諜報活動は、常に資金難です。節約できるところは節約が必要です。部屋数しかり、ベッドの数もしかり、です」
「優秀な同胞たちなら、金稼ぎくらい容易では?」
「……私の傍がそんなにお嫌ならば、今すぐシングルベッドを二つ手配します」
「嫌ではありません。それに、用意されたものを無駄にすることはありません」
「ありがとうございます」
その後業者が去って行ったが、私には一息つく間も無かった。
「教育機関?」
カナコに見せつけられた『私立宙海学園』のパンフレットを片手に、自分でも間の抜けたと思えるくらいの声色だった。
「そうです、レオルさま。この高校に今年度から、私と一緒に編入する手続きをしています。試験は3日後ですが、問題無いはずです」
私は一度額に手を触れ、ひと呼吸を置いた。
「……私はゲルマ星の同胞たちを代表し、地球侵略の指揮を執る身です。何故その私が、地球人の子供たちと同じように勉学に励まなくてはならないのですか。そもそも地球についての学習は部屋に居ても可能です」
しかしカナコは怯むことなく、言い返してきた。
「レオルさま。あなたは地球人の権力中枢に入り込む出発地として、この日本という国を選びましたね?」
この国は地球全体に対する政治的、経済的影響力もそこそこながら、外敵に対する危機意識が低い。かつてはスパイ天国とまで呼ばれていたぐらいだ。
「しかし」
カナコはずんずんと近寄り、私の額に人刺し指を押し当てた。
「レオルさま、あなたの年齢は?」
「あなたと同じ17歳です。しかし今さら教育を受ける必要など――」
「この国の一般傾向に従えば、17歳の青少年は高校に通っているのです。治安の良さと教育の普及率が自慢のこの国では、昼間からその辺をほっつき歩く少年は目に付きます。警察組織に介入される恐れもあるでしょう」
淀みない正論を前に、私は閉口することしかできなかった。
「もちろんメリットがあります。地球人の学校に通う子供が、実は地球を狙う宇宙人など、誰が想像できましょう。つまり学校に通うというのは、諜報活動の上で効果的な手段なのです。それに――」
次にカナコが告げた情報には、もっと驚かされた。
「その学園には、宇宙人と接触したかもしれない地球人が、居るのです」
そこで一旦、一旦会話が終わった。
それからカナコが夕食の準備を始めた。用意を始めて既に1時間近く経過していたが、カナコは「まだ煮込みが甘い」と言い張った。
「私はサプリメントで充分ですが」
「地球人の習慣を身につけるためには、食事にも慣れねばなりません」
「しかし時間の無駄では――」
「もう少し、待っていて下さい」
彼女は真剣な眼差しでキッチンに籠り、長時間かけてカレーという料理を用意してくれた。
「地球人は毎日、かなりの時間を食事に費やしているのですね」
「レオルさまが一緒ですから、特別です」
「私が一緒だと特別というのは何故です?」
「……今の発言は、忘れてください」
食事を終え、深夜まで荷解き作業を続けた私たちは、風呂を済ませて睡眠にとりかかった。
私と並んで同じ布団に入っているカナコが、こちらに向き直る。目元にかかった髪を、その細い指がかき分けた。
「私と一緒では、眠れませんか?」
「いえ、そんなことはありません」
「居心地は、悪くありませんか?」
「問題ありません」
「なら、良かった」
非常に分かりづらくはあるものの、カナコは満足そうな表情で目を閉じた。久方ぶりに会った彼女は頼りになると同時に、以前よりも物腰が柔らかい。
だが一たび眠りにつくと、その寝顔は、どこか幼子のように見えた。
――
――――
―――――――
そんないきさつで、私立宙海学園2年2組の転校生となった私は、午前中最後の授業中だった。科目は数学だ。(私にとってこのレベルの数学とは、生後3年目で学習する内容である)
「この問題は……そうだな、転校生にやってもらおうか。レオル=マクニールくん、よろしく」
私は二つ返事で立ち上がり、黒板に向かい合う。チョークと呼ばれる白い石灰を固めた棒で字を書き、黒板に正解を示した。
「レオルくんって頭良いんだねっ」
席に戻った私に、隣の女子生徒が耳打ちしてくる。
「今度、勉強教えて欲しいなぁ」
「お断りします」
「ひどっ!でもクールでカッコいい……」
まったく、地球の学生の真似事をする羽目になるとは。
しかしこの無意味とも取れる行動も地球侵略計画の一部であり、地球学習の一環だと考えるしかない。とは言え、地球、特に日本という国の文化や歴史、生活については昨日一晩で学習している。学生とやらがどのような生き物であるか、ある程度理解しているつもりだ。
「でさぁ、3組の鈴木くんがね……」
「ぐー、ぐー」
「ふわぁ……眠い」
学生つまり10代後半の人間は、非常にエネルギッシュで知的好奇心に溢れていると分析していたが、少し見当違いだったかもしれない。勉学にまるで興味の無さそうな生徒たちを見ていて、そう感じたのだ。個人的な自由を奪われ、皆一様に黒板に向かうさまは、統制のとれた刑務所に見えなくもない。
「すみません!」
生徒たちを観察しているさ中、突然教室の引き戸が開けられた。
「はぁ、はぁ……遅く、なりました!」
現れた1人の女子生徒は、入るなり深々と頭を下げる。
「体調不良と連絡を受けていますよ、星降さん。ともかく席に着きなさい」
「本当に、すみませんでした……!」
おずおずと顔を上げる彼女。乱れた黒い髪を直すこともなく、早足で自分の席に向かっていく。背中を丸めて歩くその姿に、教室中の視線が集まっていた。
そして生徒たちが口々に何かを囁き合う声の中に、私は聞き取った。
「やっぱり“UFO女”って、暗くてキモいよね」
その言葉の続きはチャイムの音と、教師の授業終了の合図でかき消されてしまった。
次回は明日の投稿となります。本作のヒロイン、登場です。