いいわけ
暗殺者に殺されかけてようが、異世界に行こうが、バイトのシフトは絶対なのです。
愛ちゃんのあつい――あつすぎた――抱擁の後、授業を終えて私はバイト先の『SECOND COZY』へと向かった。
何も知らない店長は、特に変わらない様子で私を出迎えた。
「うっす。どうしたの。元気ないね」
おはようございますとしか言っていないのに、この人はすごい観察眼だ。
「まぁいろいろありまして。大丈夫です、仕事には影響ないので」
「ならいいけど。あれ、そういえばキサキちゃんは?」
「……すみません。急なんですけど、国に帰りました」
「えー! ……そっか」
店長は始めは大袈裟に悲しそうにしていたが、私の表情が深刻だったのを感じ取ったのだろう、幾分かボリュームをしぼめて納得してくれた。それ以上は追及はしてこないあたりが、店長が大人な証拠だ。
だがその後、店長は視線でカウンター席を見遣る。
そこにいたのは。
「布衣さん?」
「邪魔してる」
布衣さん。忘れていた。
兄とキサキさんのデートを追跡するために手伝ってもらったのに、どさくさにまぎれたまま連絡もしていなかった。
「帰ったのか。あいつ」
なんと説明しようかと考えを巡らせていると、布衣さんが私に背を向けたままそうぼやくように言った。
「……はい」
「そう」
それだけ。
布衣さんは、一度もこちらに顔を向けることはなかった。
その背中が悲しそうだったのは言うまでもない。
〇
バイト終わりは少し冷える。
以前は私を待っていた黒塗りの車はもうない。
店長が気を使ってくれたのか、両手いっぱいに持たせてくれたまかないはもらったのに後悔するほどの重量だった。
「重い」
「なんだ、生理か」
「ひゃっ!!」
暗い帰り道の中、突然声がして驚いてすっころぶ。
見上げると、薄暗い電灯の傍で誰かが私を見下ろしていた。
以前、その電柱に私を追いかける黒塗りの車がつっこんだのだと思い出す。
そしてやはり、そこに立っていたのは。
「急に話しかけないでよ」
「悪い。気配殺すのが癖になってて」
兄だ。
いちいち言い訳が中二病臭いあたりが兄だ。
「なによ、珍しい。もしかして私今も誰かに狙われてる?」
きょろきょろと大袈裟に周囲を見渡す。だが人どころか車一台も見当たらない。
「いや、しばらくは大丈夫そうだ。あっちの世界で最も暗殺者に向いていたキサキですら失敗したんだからな。他の誰にも暗殺は無理だと考えて頭を悩ませてるところだろ。今送り込んでも無駄な犠牲が増えるだけだ」
「はいはい。あんたがすごく強いんだもんね。すごいすごい」
「まぁな。正直負ける気はしない。まだ」
まだ。という言葉が耳に残る。
だが深追いはしない。深追いしてほしそうなのがわかるから。あえて乗らない。
「で、何? 迎えに来たの?」
「それもあるけど、ちょっと話したくて。帰りながらでいいから」
珍しい。
本来なら嫌だと突き放すんだけれど、兄の神妙な面持ちにくだらない返しができない。
結局、私は無言で歩き出し、兄はその横を付いて来る形となった。
「まぁとにかく、悪かった。黙ってて」
「いいわよ。事情があったんでしょ。浦くんにちょっと聞いた」
「ああ」
「そういえば、浦くんってどうなったの?」
「一命は取り留めたから応急処置して療養中。大丈夫。死んでないよ……殺されなかったって言うべきだな」
「……キサキさんに?」
「ああ。傷はでかいが、致命傷は避けられてた。あいつのことだから、任務以外の無駄な殺生は避けてたんだろ」
「キサキさんは、良い人、なのよね?」
「当然。嘘をつけないから、そういう意味では一番暗殺者に向いてなかったかもな。実際、俺には一目でバレてた」
「……でも、私を殺そうとしてた」
「それが自分たちの世界を救うためだと言われれば、あいつも動くさ。心を鬼にして」
世界。
私にはどうにも大きすぎて理解できないものだ。
だが当然、私と天秤に掛ければその結果は火を見るより明らかだろう。私は地球より軽くて軽い。軽すぎる。
「キサキを自由にさせてたのは、あいつが暗殺に出向くってことはよほどの事情だと思って泳がせてたからだ。その間に浦を使ってあっちの世界に探りを入れてたりしてた」
「私にキサキさんが暗殺者だって教えた理由は? わざわざゲームの世界を通して」
「お前の様子が変われば、キサキが何か動きを見せるかもと思ったんだ。泳がせてても何も隙を見せなかったからな」
「泳がせてたとか言う割に、呆気なく捕まってたじゃない」
「仕方がないだろ。あっちの最高呪術師が数百人束になって作った呪縛具だ、さすがに少しは動きを奪われるさ。それに、捕まったフリすればキサキからもう少し探りを入れられると思ったんだ。でもまさかあっちに強制的に送られるとは想像してなかった。いいアイディアだな」
ほくそ笑みながら指パッチンするな。
誰をなんで褒めてるの。
全然面白くないわよその話。
「それで、どうだったのあっちの世界は。何が変わってた?」
「細かいことは時間がなくてわからなかったけど、また厄介な問題が発生してて、俺たちはそれに巻き込まれたらしいってこと。ただ問題の核が見えなかった。いや、巧みに隠されていたというべきか……とにかく、総出で俺を足止めしようと襲ってきた。まさかプランまで敵になるとは想像してなかったから虚を突かれたけどな」
「救ったんじゃなかったの、あっちの世界」
「歴史は繰り返すものさ」
ものさ。
って臭いわ。
何よ得意気に。
「英雄が救った世界のエンドロール後は、悲惨なものね」
「あそこで終わるからハッピーエンドになる。最近昔やってたゲームの続編が出ててやったけど、同じような内容だったな。結局、犠牲を払って命がけで救った世界がまた災禍に見舞われて、過去の物語を無駄にしてるストーリーで途中でやめちまった」
「あんたの犠牲も、無駄だった? リヒトさんとかも」
「……」
リヒトの名を出すと、兄はわかりやすく返答に窮する。
「無駄だとは思わない。あれがなかったら、きっと世界は滅んでいたから。俺がここに戻ってくることもなかった」
「そ。わかったわよ、もういいから。納得した」
「してないよな」
「できるわけない。でも考えたって私のキャパオーバーなんだから、考えない。私はしがない田舎の女子高生で、時給900円のバイトで満足してる庶民なの。とりあえず、もう暗殺は無くなったってんならそれでいい」
それでいいから。
もう思い出したくない。
何も。
「もう二度と巻き込まないで」
「努力するよ」
兄を責めたいわけじゃないんだけれど、兄からすれば責められていると思うだろうな。
話が終わったからか、兄は足を止めて踵を返した。
「どこ行くの」
「別の道で帰るよ。これ以上嫌われるのはごめんだからな」
「もう底舐めしてるからこれ以上はないわよ」
「そりゃよかった」
兄は乾いた笑いを見せて、そのまま闇夜へと消えていく。
その背中に、一瞬だけ、ほんの少しだけ、気のせいだと思うほどわずかに、胸騒ぎを覚える。
「ねぇ!」
私はそう呼び止めた。ほんとに消えてしまいそうだったから。
ほとんど真っ暗になった兄の姿が、私を振り返る。
「なんだ?」
「またあっちの世界に行ったり、しないわよね?」
世界を救いに。
また消えてしまったり。
「お母さんが悲しむから、駄目だからね!」
一応そう注釈を付け足しておく。
「俺の世界はこっちだ。消えないよ。もう志津香を悲しませるようなことはしない。絶対にだ」
兄はそう薄く笑って、こちらに親指を立てて完全に闇に消えていった。
「別に、私はどうだっていいのよ」
1人残された夜道で、そうぼやいてから、私も家路につきなおした。




