ありがとうございました。
キサキさんの顔が一瞬にして驚愕に染まった。
私もつられて上空を見上げる。
ぽっかりと穴の空いた日本家屋の屋根からは、黒く染まった星空が見える。
だがその中に、白い亀裂が入っている。
亀裂。空に。おかしいとすぐに気づく。
しかもその亀裂が、徐々に、大きくなっていく。
「そんな……早すぎる……」
キサキさん表情が強張り、冷や汗を流す。
「何……あれ……?」
私の疑問には答えてくれないようで、キサキさんが私を見たと思ったら、次の瞬間には私の体は窓を突き破って、中庭へと倒れ込んでいた。遅れて全身に痛みが走る。
仰向けの私に、馬乗りになるようにキサキさん。切羽詰まったように目を血走らせている。
「あれは、ソウタさんです」
「え……?」
「どうやっているかは分かりませんが、強引に、力ずくであちらとこちらの世界の次元の境を引き裂こうとしています」
キサキさん越しに、上空の亀裂を見遣る。
それはどんどんと大きくなり、人ひとりは通れそうなほどになっていた。
「話している時間は無くなりました。今ここで、あなたを殺します」
そう、キサキさんは拳を振り上げる。
「あーあ。ここまでか」
私は、そう諦念する。
その抜けた調子に、キサキさんも虚を突かれたようだ。
「怖く、ないのですか?」
「怖い、と思う。でも実感がわかないって言うか。だって目の間にいるのが、キサキさんなんだもん。まだドッキリでしたーって言われそうな気がする」
そう思うとまた笑けてくる。
「どうせちょっと前に終わってた人生だし、今日まではボーナスステージだったのかなって、そう思ったら未練もないわ」
達観しているわけではない。死が怖くないわけではない。
ただ少なくとも、今この瞬間は、まだ実感が追い付いていないだけ。
多分時間が経てば、怖くて泣いてしまうだろう。むごたらしく命乞いをするだろう。
だから、今のうちに殺してしまってほしい。
私が、後悔する前に。
「いまさらですけど、私、大好きですよキサキさんのこと。愛ちゃんも芽衣子ちゃんも同じ気持ちです。こんなことになっちゃったけど……でも、ずっと欲しかったお姉ちゃんができたみたいで。できれば、キサキさんに義姉になってもらえれば、なんて思ったりもして」
一人空回りして。
バカみたいだけど。
まぁそれが私かなんて、納得もできる。
いっつも空回り。
「ちょっとだけでもそれを体験できたし、満足です。ありがとうございました」
言いたいことは言えた。
どうせ死ぬなら、みっともないより、清々しく死なせてほしい。
最後くらい、綺麗に。
もしかしたら、万が一、いや、億が一の確率で語り継がれるかもしれない。
平和のための尊い犠牲として。
……いや、ないか。
そんなことを考えながら、私がぐっと目をつむっていると、しかし音沙汰がない。
ふと目を開く。
キサキさんは、止まっていた。
ためらうように。
苦しそうに。
「どうして……」
「……え?」
「どうして……あなたはそんなに良い人なんでしょうか」
私の頬に、涙が落ちてきた。
「こちらの世界の人たちはみな、優しく、心が広く、平和を愛している……どうして、私たちの世界でそれができないのでしょうか……何が、違うのでしょうか……」
彼女から吐露される言葉は、私の知っている彼女で。
彼女の声は憤りが滲んでいた。
「キサキさん……」
「本当にあなたを殺して私たちの世界が平和になるのか、私にはそれがもうわかりません……これもまた、世界を混沌に導く悪手なのではと、そう思ってしまいます……私はもう後悔をしたくない……」
彼女はまるで子供のように、嗚咽を吐きながら涙を流し続ける。
つい、抱きしめてしまいたくなる。大丈夫だよって。
「すみません……志津香さん。愛さんにも謝っておいてください……もちろん、芽衣子さんや、お母様にも……」
どうしてか、彼女はそうあきらめのような言葉を吐いた。
これでお別れと言わんばかりの。
「キサキ、さん……?」
そして彼女は最後に笑った。
久しぶりに。
笑って言った。
「私も、楽しかったです。すごく。きっと私はこんな平和を望んでいました。それはまさかこんなところにあっただなんて。もっともっと、遊んでいたかったです」
そして願わくば。
キサキさんは消え入りそうな声で言った。
「志津香さんのお義姉さんに、なりたかったなぁ」
バリバリッッッーーーーーーーーと、閃光が走った。
それと同時に、私の目の前にいたキサキさんが。
彼女の体が。
閃光に引きちぎられるかのようにして。
四散した。




