名犬シンディ
慌てて兄のスマホに連絡を送る。
だが焦る私の感情を肯定するように、連絡はつかない。
すぐに自室へと戻り、テレビをつける。
御影くんには終日兄たちに張り付く約束になっているから、どこにいるかわかるはずだ。
だがテレビに映し出されたのは、見知らぬアニメキャラクターの立体フィギュアで、そしてフォーカスが当たっているのはその巨大な胸だった。
「なっ――何してるの御影くん!?」
音声を繋ぎ、御影くんに問いかける。
御影くんはびっくりした声を上げた。
「な、なんだよ……嶺か……」
「御影くん! そこどこ!?」
「え、え、え?」
うざい!
きょどるな!!
「どこなの!?」
「え、っと……日本橋の、グッズショップ……」
「グッズ!? 何の!? アニメショップのこと!?」
「そ、そうとも言う」
何の見栄よ!?
アニメショップならそう言いなさいよ!
今更何の自尊心!
「兄は? 同じ場所にいるの?」
「え、いや、いない」
「どうしてっ!?」
「ごごご、ごめんって! でも、途中で見失っちゃって……」
か~~~~~~~~!
使えないっ!!
いやでも、もしキサキさんが暗殺者なら、自分を尾けている人物に時間次第で気づくだろう。であれば、御影くんを巻いたのだと確信できる。
落ち着け志津香。
焦っていては真実は見えてこない。
それにそもそも、兄の身の心配をする必要はないのではなかろうか。あいつなら、キサキさんといえど……いえど……。
「でも、こっちの世界に戻ってきてから、身体能力が落ちてきてるって愚痴ってたわよね……」
キサキさんは、まだこちらに来て日が浅い。
その超人的な動きは健在だろう。ましてやあちらの世界を救った英雄の一人なのだから。方や兄は、相棒であったあの黒い剣――名前は忘れた――も手放している状態で。
やっていることと言えば、BL本のピッキング作業くらいで。
「ないない。あいつに限ってそんなこと……」
嫌な光景を思い浮かべ、私は頭をふるう。
そこでふと、私の子供のころから愛用しているカメレオンのぬいぐるみを、仇敵のごとく噛みついて振り回しているシンディが目に入った。
シンディ……そうだ!
「シンディ! こっち来て」
「きゅう?」
私の呼ぶ声に、シンディは首を傾げつつも駆け寄ってくる。
可愛い。
「えーっと、兄のもの……はない!」
そんなものは私の部屋にはなかった。
髪の毛一本、吐息ひと匙もこの部屋には存在しない。
であれば――。
「シンディ! これ、匂い分かる?」
私は目の前に積んであった洗濯物の山から、一枚の下着を取り出してシンディの顔の前に突き出した。
黄色いティーバックのそれは、先日愛ちゃんが「女は下着から作られるのよ」という言葉と共に、キサキさんに買ってくれたものだ。始めは顔を真っ赤にしていたキサキさんだったが、試しにと昨夜はいてみたのだ。さすがにそれは体が動きづらく落ち着かないということで、今日ははいていかなかった。
そして洗濯に回され、先ほど私が取り込み、今現在ここにある。
だからここには、一度洗濯されたとはいえ、キサキさんの香ばしい香りが染みついているのだ。
シンディはビビッド色のそれに警戒しつつも、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「きゅう!」
「おおっ! キサキさんの場所わかった?」
「きゅう?」
わかってなさそう。今一瞬見せた明るい表情は何の意味だったの。
下着匂って喜ぶやばいやつじゃん。そして私はかがせて楽しむやばいやつだ。
「お願いシンディ! 兄がやばいの! だから兄のいるところに連れてって! わかる?」
ん~。わかってなさそうだやっぱり。めっちゃはてなが出てる。私の手に嚙みつくな。
そもそもシンディの鼻に、警察犬並みの嗅覚を期待すること自体お門違いなのかもしれない。ドラゴンって、視覚の方が鋭いのかしら。匂いを嗅いだら駆けていくと思っていたけれど、そんな甘いものではないらしい。
「シンディは頭がいいから人間の言葉は多少理解してるって聞いてたのになぁ……いや、待てよ」
ふと思いつく。
シンディに「兄」と言ってもわかるわけがない。
だって彼を「兄」と呼ぶのは私だけで、そもそもほとんど呼ぶことがない。「おい」とか「ねぇ」とかしか呼ばないのだから、シンディが「兄」という単語に兄を思い至るわけがないのだ。
だから兄の名を呼べばもしかして――。
「ぐぬぅ」
呼びたくない。
名前を呼んではいけないあの人なのだ。
私は、まだそこまで兄に心を許していない。
ていうかぶっちゃけ、こっぱずかしい。
でも背に腹は代えられないというか、そんなこと言っている場合ではないというか。
私の唇が、まるで磁石のように張り付いて離れない。
「あのね、シンディ。ソ……ソウ、タを……」
「きゅう?」
言え!
奴の名を!
声高々に叫ぶのだ!
「兄の……創太の場所に連れて行ってほしいの!」
思い切ってその名を吐き出す。
まるで胸に溜まっていた毒素が一気に抜け出たような感覚に陥る。
「きゅう! きゅうきゅう!」
その名に、シンディは嬉しそうに跳ねだす。
言葉の意味が通じたらしい。
瞬間、背に付いていた小さな翼が光ったかと思うと、一気に身の丈の倍ほどにも大きくなる。あ、観葉植物が折れた――!!
なんて悲痛に浸っている暇もなく、シンディはそのたくましい翼を揺らしながら、飛び立とうと窓に向かって滑走しだした。
「待って待って!」
案の定、翼を開いたまま窓に突進したものだから、片側に寄せられた2枚の窓を、窓枠ごと突き破った。なんて硬い翼なんだ。部屋の壁も――もういい。諦める。
私は勢いよく飛び出したシンディの小さな腰に飛びつく。
私の方が体が大きいから止まるかと思っていたのに、まるで飛行機にでもしがみついているかのように、私の体ごと引っ張ってシンディは大きな空へと飛びあがった。
「い、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
高――。
風強――。
いや、高――。
しかもシンディの小さな体が心許なさすぎる。
私はいっそうシンディにしがみつく力を強くした。
そして気付く。
しまった! パジャマだ!




