正体
私がその名を告げると、瞬間、ぷにぷにさんがログアウトした。
あれ――と唖然としているのも束の間、メッセージが届く。
『ごめん。誰?』
特に挨拶もなく、不躾にそう問うてきた。
誰だ、この人。その名は見知らぬ。
『そっちこそ、誰ですか?』
『ぷにぷに』
あーそっか。ゲーム機自体のアカウントと、MMORPG内の名前は違うのか。
『私です。嶺志津香です』
そう名乗ると、しばらく沈黙が続いたかと思うと、今度はボイスチャットの招待が届く。私は恐る恐るその招待を受け取った。
「もしもし?」
「志津香ちゃん?」
その声は、やはり聞き覚えのある声で。
「やっぱり布衣さん!」
「なんで同じサーバーで出会うの? 知ってた? さすがに確率的に怖いんだけど……」
「驚いてるのはこっちですよ。そもそも布衣さんがこのゲームやってるのも知りませんでしたし」
「まじか。なんつー確率。でもなんでわかったの?」
「いや、こんな武闘家ガールみたいな人をリアルで好きになる人って、布衣さんしか思いつかなくて」
布衣さんはあからさまな溜息をつく。
「はずい。でもそれ全然関係なかったらどうするんだよ」
「だったら違いますよ、で終わりますよね?」
「いやいや。悪意持って、巧みに志津香ちゃんの名前とか住所とか聞き出してくる奴もいるんだから。気を付けないと。ネットなめすぎ」
なるほど。そう言われれば、私も軽率だったかなと思う。
「それで、どうしてneko氏を探してるんだ?」
「nekoし?」
「あーごめん。そういう呼び方。nekoさんにするよ」
なんだか気に障ることを言ってしまっただろうか。
この界隈の人たちと会話するのは気を遣う。
「nekonekonyaonの正体を知りたいの」
「だからどうして」
暗殺者に狙われてるから――なんてことを口が裂けても言えるわけがない。
キチガイに思われてしまうだろう。
「その、このゲーム機でキサキさんも遊んでるんだけど、その人がキサキさんに悪意あるメッセージをしててね。身の危険を感じるから、大事になる前に突き止めてモノ申してやろうかなって」
「思ってたけど、志津香ちゃんって見た目のわりに考え方が豪快だよな」
え、そうかな。
乙女じゃない……?
まぁ確かに、根性はついたと思う。
というか余程のことが無ければ怖くない。
伊達に修羅場くぐってないから。
「キサキ、ちゃんはどう? うまくやってる? デート」
「あ、おかげさまで。なんだかんだうまくやってそうなんで、今は観察をやめました。あとは……なるようになるって感じですかね。最終的には本人たちの問題ですし」
布衣さんは少し意味ありげに間を空ける。
好きな異性が、他の人とデートしているというのは、どんな気分なのだろう。
それはもう、辛いのは間違いがないだろうけれど。
「nekoさんの素性だけど、まず難しいだろな。ネット上の相手の住所を特定するのは、並大抵のことじゃない」
「やっぱりそうですよね」
「でも、脅されてるんだったら、話は別だ」
少し布衣さんの口調に強気が加わる。
「本来、IPアドレスはサーバーの管理者にしか見ることができないし、サーバーは強固なセキュリティに守られてる。でも少し知恵があれば、こっそりIPアドレスを抜くことも難しくない」
「とりあえず、できそうってことですね?」
謎の魔術用語が次々と繰り出され、私のおちょこ程度の脳は一瞬にしてあふれ出す。
この手の話は、異世界の話題並みに拒絶反応が出る。
「もちろん、リスクもあるけどね」
「それって……犯罪的な?」
「場合によっては」
んー。個人情報だなんだと言われて久しい昨今。そういった情報は徹底した管理が義務付けられているし、ましてやそれを盗もうだなんて国家権力に正面から喧嘩を売っていくようなものだろう。それはデジタルに詳しくない私でもわかることだ。
であれば、他の方法を考えるしか。
そう思い立った時。
「任せて。やってみる」
「え? できるんですか?」
「ちょっとだけかじっててな。それくらいならできる」
この人ほんとなんなんだろう。
ありがとう! というべきところなんだけれど、この人いろいろ怪しいから素直に褒められない。
盗聴器とか極小カメラとか、そもそも末田らの知り合いだったり。
だいたい犯罪じみた事に絡みすぎじゃないかしら。
いやまぁ興味を持つくらいは誰でもしていいことなんだけれど。
この人との距離感は気を付けようと思った。
「でも犯罪なんですよね?」
「そうだけど。まぁこれも縁だろ」
「キサキさんとの?」
「もあるし、君たちと。特に将来に目標があるわけでもなく、特に誰かに必要とされているわけでもない俺にとっては、十分やる動機になる。たまには人の役に立たないとな」
言い終えるや否や、何かキーボードをタイピングする音が聞こえて来る。
「安心しろ。別にバレて捕まっても、君たちのことを言うつもりはないから」
「そこは私も責任を負いますよ」
「どーだか」
半笑いする。だが言葉とは裏腹に、タイピングの音が早まる。
「よし。入れた」
「どこに?」
「管理サーバー。とはいってもすぐにセキュリティが復活するからさっさと出ないと……nekonekonyaon氏の最終ログイン履歴を辿って……お。あった」
その言葉に、緊張が一気に高鳴る。
私の膝の上で寝ていたシンディを無意識にぎゅっと締め付けてしまい、うめき声が上がった。
「近いな。本当に君の知り合いかも」
「やっぱり……」
私の脳裏に、ある人物が思い浮かぶ。
ゲー研の騒動以来、学校からもいなくなり、パタリと消息を絶った。
あのいかにもな存在――浦忍。
首を絞める両手の入れ墨が入ったその奇抜な存在。
あからさまに怪しいその存在が、この件のキーマンであることは明白だ。
「じゃあ住所を読み上げるぞ」
言われて私はペンと紙を手に取る。
布衣さんがたどたどしく読み上げていく住所を、そこに書き記していく。
それは確かに、私の聞き覚えのある住所が続いて――。
「え?」
「どうかしたか?」
「それ、ほんと?」
すべての住所を聞き終え、私はペンを止めて布衣さんに尋ねる。
「ん。絶対間違いない。家から近いのか?」
鼓動が、久方ぶりに激しく高鳴った。
それはどんどんと激しくなり、私は居ても立ってもいられなくなり、ヘッドセットをつけたまま部屋を飛び出た。
「どうしたんだよ? 知り合いの家だったのか?」
布衣さんが異変を察知したのか、そう質問を飛ばす。
ゲーム機から離れているから、ブツブツと音が途切れそうになる中、私は足りない息を吐き出すように言った。
「その住所は、ここ! 私の家の住所なの!!」




