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トイレではシてはいけません

 劇場がようやく開演し、人波に押されるようにカメラは中へと入っていく。

 ちなみにこの間、御影くんはアニメショップを3件と、家電量販店を2件程はしごした挙句、たこ焼きを食べて優雅に過ごしていた。

 プライベートな情報なので、彼の趣味については割愛しておこう。家電量販店では店員が近づいて来る様子を見せた途端逃げ回っていた。

 あとトイレのシーンもあった。

 そういう時はカメラをオフにしろと言ったのに。

 思い出すのはやめだ。


 さて、ようやく本題である。

 立見席は会場内の最後方。兄たちは当然座席をキープしているため、場内を探す。すると、中央程に、頭一つ抜き出たキサキさんの姿を見つける。

 御影くんも見つけたようで、カメラは二人をとらえている。


「よかった。なんだか楽しそうね」


 始まる前から、二人は場内の何かを指さしたりしながら談笑している。

 こうしていれば、本当にカップルにしか見えない。

 ブザー音が鳴り響き、どん帳が上がる。

 派手な色をしたスーツを着た男性が2人出てきて、マイクの前に立つ。カメラに映った人たちの頭が、楽し気に上下に揺れる。

 こういったことは犯罪なような気もするが、少しくらいなら。そう思い音声をオンにしてみた。


『っはっはっはっは――っ! っ!っ!』


 御影くんが大爆笑してた。

 息苦しいほどに。慌てて音声をオフにした。

 カメラが揺れに揺れ、もはや酔ってくる。

 おい、落ち着け。

 お笑いを楽しみにきたんじゃないでしょお前。

 キサキさんを映しなさいよ。

 さっきお笑いバカにしてたくせに。

 ーーと、いきなり画面が床を映す。笑いすぎて膝をついているようだ。

 結局まともにキサキさんらを映すことがないまま、約2時間ほどの公演が終わりを迎えた。揺れる画面はだんだんと大きくなっていた。


 また人波に押されるように劇場を出る際、運が悪いことに御影君は兄たちとほぼ接触する形になってしまった。


『お笑いというのは、やはり面白いですね。私もやってみたいです』

『キサキは天然系だからな。いいツッコミを見つけたら案外受けるかも』

『そうなんですか? ではソウタさんにお願いしたいです!』

『いやいや。俺はそういうの柄じゃないから』


 なーにが、「柄じゃないから」よ。

 人生そのものがお笑いのくせして。


『案外志津香なんていいんじゃないか? あいつツッコミ担当だし』


 勝手に決めるな。

 厳密には、突っ込みにならざるを得ない状況に追いやられているの。周りが変なやついてばっかだから。


『あ、それかスザクなんかどうだ。あいつと話してる時面白いぞ』

『スザクさんはまじめですからねぇ。台本通りに動くとなると、固くなって演技っぽくなりそうですね』

『あーわかる。じゃあソウリュウは?』

『あーソウリュウなら。って、ソウリュウはドラゴンやないかーい』


 キサキさんが棒読みでツッコミを入れた。

 すると二人の間に小さく笑いが起こった。

 何が面白いのかはわからない。

 ていうかこの間御影くんのカメラがずっとキサキさんのたわわなお胸を捉えている。やめて。キサキさんをそういう目で見ないで。そしてたまに斜め前の女子のスカート越しのお尻を見ないで。まっすぐ前を向いて歩いて。煩悩に支配されすぎよあなた。

 ――と。


『ん?』


 カメラの端に、兄の視線を捉える。明らかにこちらを見ていた。

 御影君も気づいたのか、慌てて視線をズラした。


『どうかしましたか?』


 やばい。

 兄は、その敏感さ故、超小型カメラに気づいたのかもしれない。

 しかもやつらは人間の鼓動の異常も聞き分ける。御影くんはチキンだからいま彼の心音はゴリラのドラミングのように音をかき鳴らしているだろう。

 やばい。


『いや、隣の子がちょっと怪しかったから』

『暗殺者ですか?』


 かろうじて、収音マイクがその声を拾う。

 キサキさんの声音も、一段下がって警戒を示した。


『違うな。多分、キサキを見てたんだと思う』

『えぇ!?』


 キサキさんが小さく赤い悲鳴を上げる。

 まぁ間違ってないけど。


『可愛いからな。キサキ。エロい身体してるし』

『や、やめてくださいよもうっ』

『キサキ』

『こ、ここでですか?』

『ん』


 おい!

 盛るな!!

 御影くんも驚いて二度見してる!

 兄とキサキさんは、人波に逆らうように流れから出て、突き当たりのトイレに向かって行った。

 これはなんにせよ、カメラの存在がバレずに済んでよかったと思うしかない。ひとまず2人の何かが終わるのを待とう。


          ◯


 ようやく劇場のエスカレーターから兄とキサキさんが降りてくる。ぱっと見は変わらないけれど、気のせいかキサキさんの顔がほんのりと赤みがかっている。気がする。

 想像したくもない。

 あー消えろ消えろ!

 と、近づいてきた兄たちから隠れるようにカメラが引き、御影くんの体を映し出す。

 ん?

 ーーって血! 御影くんのシャツに血がついてる!

 鼻血出してんじゃん! 

 絶対暑さじゃないわよね。お前私がみてなかった間、トイレを除いてたな!

 公共の場で何やってんのよこのポンコツども!

 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!


 その後、劇場を出た二人は、何事もなかったかのように繁華街を楽しそうにデートしていた。

 たこ焼きを買ったり、家電屋さんに入ったり、服を見たり、川沿いを歩いたり。

 ほんとにただのデートのように。

 ただその歩みが早いため、ついていこうとする御影くんが露骨に疲れ果てているのが手に取るようにわかった。

 御影くん。もう少し体力つけた方がいいわよ。

 私はそこで、御影くんに連絡を送る。

 もういいわよ、と。

 そして様子を映し出していたテレビをオフにする。

 心配していたけれど、やはり私にできることはほぼないのだ。

 これから日が暮れて、兄とキサキさんは答えを出す。

 それを見届けたかったけれど、そこから先はやはり2人の問題で。

 覗いていいものではないだろう。

 ていうか御影くんに見て欲しくないし。

 私はどんな答えも受け入れる覚悟で、2人が帰ってくるのを待とうと思う。

 なにより、私には私だけの差し迫った問題があるのだから。


「暗殺者。どうしよ」


 忘れてたわ。

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