答えを出す優しさ
「おかえりなさい」
食事も終え、お風呂にも入り終えた頃。
兄がようやく帰ってきて私はそう迎えた。
見る感じ土に汚れていて、じんわりと汗をかいているようだった。
「おう。ただいま」
普段は出迎えなどしない私に、兄は少し不思議そうな顔をしている。
「なんだよ。何か用か?」
「どうしてわかるの?」
「だってそりゃ、ここ俺の部屋だから」
そりゃそうよね。この部屋に入ることなんて、まずないもの。
部屋と言っても襖で区切られただけの、三畳間で。
私が一人床に座っているだけでもう座るところがない。
「キサキさんは?」
「もう少し走ってくるって。名古屋の方まで行くって言ってたな」
「ドライブか」
運動終わりのクールダウンみたいなノリでいく距離ではない。
「じゃあここで話しても聞こ――」
と、兄が。
突然私の口元を手でおおった。
汗臭い!
だが兄の顔が真剣で、首をそっと横に振るうものだから叫ぶのも憚られる。
兄は人差し指を口元に立てて静かにするように言う。
なに? もしかしてまた暗殺者……?
兄はおもむろに、畳の上で充電してあったタブレットを取り――いつの間にこんなものを買っていた。ガジェットだらけではないか――そこに文字を打ち始めた。
『キサキに聴かれたくない話だろ? なら気をつけろ。あいつは聴覚も異常にいいから、ほとんどどこにいても、特定の音を聞き分けられる』
マジ?
マジーニ?
名古屋にいるのに?
いや無理でしょ。
と常人なら思うのだけれど、あいにく私は常人ではなく異世界を実体験している特別なモブだ。キサキさんならやりかねない。
なるほど。だからあの人は平気で私の元を離れたりするのか。どこにいても私を暗殺者から助ける自信があるから。
「今日のご飯なんだ?」
と兄は口で吐きながら、手元のタブレットを動かし、『それで何の用だ?』と打ち込んで見せ、私にタブレットを渡した。
なるほど、キサキさんに怪しまれないように演技をしつつということか。
そういうことなら付き合おうではないか。
「んー……塩とかで、茹でた、肉とか、やつ……」
無理。別のこと話しながら打つのとか無理。
口から出る言葉がすべて適当になる。
『キサキさんのこと』
取り繕うのを諦め、文字を打つのに集中する。私がそう打って見せると、兄はまた複雑そうな顔をする。
この話題になると逃げる癖があるようだ。
『やっぱりこのままの関係は良くないと思う』
『志津香には関係ないだろ』
『ある。だってキサキさんはもう友達だもん。幸せになってほしい』
また返答に困って沈黙。
私はさらに文字を打ち始める。アプリのメモ帳に会話がつらつらと書き足されていく。
『もしそれが兄との未来だったら嬉しい。あんなお姉ちゃんが欲しいから』
でも――。
『あんたがリヒトさんのことを引きづってるのは知ってる。無理矢理前向かそうだなんて余計なお世話だとも』
『ああ』
兄は私の手に持ったタブレットに割って入り、そう返事をする。
意味ある? それ。
しかも「ああ」って文字でも打つんだ。言うだけじゃ事足りず?
私のタイピングに割って入ってまで?
どんだけ言いたいのよ。ああ。
『それに私はあんたがどんだけ引きずろうと興味はない。でもキサキさんの時間は有限なの』
だから――。
『答えを出してあげて。キサキさんとの未来があるのかないのか。あってほしいけど、もしないならキサキさんをきちんと解放してあげてほしい。あの人には、もっと素敵な人がいるかもしれない』
でももし――。
『キサキさんを受け入れるんだったら、私は大歓迎よ。異世界とかややこしいだろうけど、この家に住んだっていい。どこかで二人暮らしをしてもいいと思う。BL本のピッキングから足は洗った方がいいと思うけど』
ていうか洗え。
別の仕事をしろ。
職業に貴賤はないけれど。
でも実の兄がそうだと大声で言えないのは嫌だ。
立派な仕事だとは思うけど。
ごめん。
『仕事は変えない。天職なんだ』
もんすごい速度でタブレットを奪い、テキストを打ち返してきた。
なんでそこだけ!
キサキさんの件はだんまりなのに!!
『でも、志津香の言いたいことはわかった。その通りだと思う』
そう、打ち足す。
『次、キサキと2人きりなる時が来たら、俺の気持ちを話してみるよ』
その気持ちがどちらなのか。
それは言及しなかった。
私もそれは追求はしない。
そこから先はやはり、2人の問題だと思うから。
まだこれから考えるのだと思うから。
兄の少し寂しげな顔を見ながら私はそう考えた。




