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好きなんですか?

「え、もしかして、キサキさんのこと……?」


 明確にわかっているにも関わらず、私は確認の意味を込めてそう尋ねる。

 布衣さんは噴き出したビールをぬぐいながら口を開く。

 ――が、何を言うわけでもなく頭を抱えてカウンターに突っ伏した。


「まじですか。キサキさんのこと、好きなんですね?」

「そうあけすけに言わないでくれ」

「すみません」


 いい年した男が、年甲斐もなく顔を赤らめてそういうのは、少しだけ可愛かった。

 兄と同じ年くらいだろう。なのにこうも人間味がある。

 わかりやすいなんて失礼な言い方はしないけれど。


「まだ好きとかそういうレベルじゃないんだ。ただ、ここで働いてるって聞いて、もう一度会って話せたらなぁって」

「布衣さんって、そういうの興味ないと思ってました。ゲーマーだし」

「関係ないだろ。それに、俺もこんな気持ちは初めてで……まさか人間の女に恋するときが来るなんて思ってなかったから」


 人間の女って。

 他に何がいるというのか。

 サル? ゴリラ? チンパンジー?


「正直戸惑ってる」


 最後はそう言って、布衣さんは一層頬を赤らめた。

 かわいい。

 なんか初々しくてかわいい。

 そうだよね。本当は恋愛ってこうだよねって、そう言いたくなる。

 でも同時に心苦しくなった。

 だって、そのキサキさんは、他ならぬ私の兄に恋をしているのだから。

 どうしてこう、恋愛というのはうまくいかないものなのか。

 摩訶不思議。

 まるであえて矢印が向かい合わないように、神様が悪戯しているようだ。


「諸行無常。恋とはかくも悪戯になりにけり」


 郷田さんが天井を軽く見上げながら何かを詠んだ。

 何を言っているんだこの人は。

 しかもそのままコップ拭きに戻った。

 布衣さんも「は?」みたいな顔で見ている。

 なんかうまいこと言いたかったんだと思う。でも失礼だけど郷田さんの語彙力では的確な言葉を紡ぎだせなかったに違いない。


「キサキさんのどういうところがいいんですか?」


 兄の事を言うのは簡単だ。

 でも、と思い私は話を広げてみる。


「どこがって、それは……まっすぐというか、裏がない感じ? ほら、周りの女って、みんな本心でしゃべってない感じがするというか、女らしく振舞おうとしてる感じがして嫌なんだけど、キサキちゃんは、素のままあーいう天真爛漫なんだろうなって」


 嬉しそうにそう語る。

 人にこんなに好かれるのはどんな気持ちだろうか。

 そしてキサキさんを好きになる気持ちが私にもわかる。

 そんな彼女がとてもうらやましいとまで。

 もし布衣さんとキサキさんがお付き合いをしたら。なんてことを考えてしまう。

 それは、少なくとも兄なんかとくっつくよりはよっぽど幸せではないだろうか。


「駄目だよ。志津香ちゃん」


 ふと、考えに耽る私に、郷田さんの声。


「何がですか?」

「布衣さんとキサキちゃんをくっつけようだなんて考えてるのかもしれないけど」

「それの何がいけないんですか?」


 私と郷田さんはひそひそと二人だけの会話をする。


「横耳で聞いててわかるけど、キサキちゃんは志津香ちゃんのお兄さんが好きなんでしょ?」

「そうですけど……でも兄はその気がなくて、むしろ都合よく体だけをもてあそんでいる状況で……」

「だとしても、第三者が人の感情を曲げようとしちゃだめだ。それは誰も幸せにならない。それで布衣くんとくっつけようとしても、その気がないキサキさんはつらいだけだし、それを見る布衣くんだってつらい」

「でも今の状態より……」

「それはキサキちゃんが言ってることなの?」

「え?」

「キサキちゃんが望んでお兄さんを好きになったんじゃないの? だったら、それがすべてだよ。それを変えようだなんて、おせっかいどころかありがた迷惑でしかない……と、経験上からのアドバイス。もしキサキちゃんとその他の人の未来があるとしたら、それはまずお兄さんとの恋愛に決着をつけてからだよ」


 それだけ言って、郷田さんは私の傍を離れていった。

 あんな真面目な郷田さんは珍しい。こと恋愛のことだけはうるさいみたいだ。

 ちょっと笑いそうになってしまった。不謹慎だけれど。


「いるんだ。あの子、好きな人」」


 ――と。

 隣から震える声。


「あ」


 ばっちり布衣さんが聞いていた。そして果てしなく白くなって落ち込んでいた。

 ごめん。

 ほんと気遣いなくてごめん。

 そりゃこの距離だし、聞こえるよね。


「ごめんなさい。応援してあげたいのは山々なんですけど……」

「いいよ。慣れてる。あんだけ可愛い子が恋愛と無縁ってことはないから。むしろ早めに知れてラッキー」


 とは思っていなさそうなどん底顔。

 困って郷田さんを見ると、郷田さんはまるでわかっていたかのように肩をすくめて見せた。

 なるほど。郷田さんはわざとそうやって気づかせたのね。

 ひどいやつ――いや、むしろ変に期待を先延ばしにしないための優しさか。


「まぁでも、そっちもうまくいかなさそうなんで、まだチャンスはありますよ」


 なんてその場しのぎの期待を持たせてしまう。


「そうなんだ。なんでうまくいかなさそうなの?」


 私はあまり言葉を選ばずに、ありのままの状況を伝えた。

 ヤったヤらないの話をしたときは、さすがに布衣さんも辛そうだった。

 好きな人が誰かのセフレって、考えただけでキツイわよね。

 あ、もちろん異世界の話は伏せましたよ。当たり前じゃん。

 聞き終えた布衣さんは、最初だけ辛そうな顔を見せていたが、すぐに立ち直ったのかつまみを口に運びながら淡々と話しだす。


「なるほど。死んだ元カノを忘れられない男と、その男を好きな女か。少女漫画の題材によくありそうなやつだな」

「確かに。そう言われれば」

「女の子って、影のある男のこと好きだよね。支えたいって思うのかな。母性本能ってやつ?」

「そんな単純じゃ――」


 と否定しかけて、ふと北田くんの顔がよぎった。

 あー。なんていうか。私も。そっか。

 あーあーあー。忘れろ忘れろ。


「もしその男がキサキちゃんを振り向くとしたら、それはきっと第三者の声じゃないか」

「第三者の声?」

「そう。多分二人だけだと、答えを出さずにずるずるこのままいくと思う。そのほうが楽だし、答えを出すのって怖いし」

「ふむふむ」

「男の方は、亡くなったその元カノに引け目を感じているんじゃないか。だからその人を尻目に、新しい女性とくっつくことにためらいがある」

「ほうほう。でも、ヤってるんですよ?」

「そりゃ、男だから。性欲は沸くし、キサキさんならなおさら……」


 と言いかけて、また布衣さんは顔を真っ赤にする。

 この人おもしろい。


「とにかく、そういうことをするってことは、少なくとも恋愛対象にはなりうるってこと。末田……大学のチャラ男とかも、よくそういう相手作ってるけど、本当に無理な相手はその、ワンナイト? とか一回きりで何度もはしないって言ってるし、普段からは一緒にいないようにしてるし」


 一瞬、布衣さんが出した名前に、遅れて胸が苦しくなる。

 そう気遣って、布衣さんも言い直してくれたのだろうけれど。


「少なくとも、志津香ちゃんから聞くその男の人は悪い人じゃなさそうだし、だったらきっと、新しい恋をしても大丈夫だって、誰かが押してあげればいいんじゃないか? あるいは、それを待ってるかもしれない」


 誰かが、次の恋に行くのを許してくれるのを。

 そうなのだろうか。


「アドバイスありがとうございます。参考になります」

「いいよ。飲みに付き合ってくれてるお礼」

「でもいいんですか? それで二人がうまくいっちゃっても」

「俺が願うのと同じくらい、誰だって好きな人とくっつけるのが一番幸せだろ。キサキちゃんの場合、俺よりもその男とくっついた方が幸せなんだからそれでいいんだよ。ていうかそれしかない」


 少し強がっているように、布衣さんは残ったビールを喉に流し込んだ。

 最初の印象とは反対に、素敵な人だ。

 願わくば、キサキさんじゃなくても、素敵な人と出会ってほしいと思う。


「ていうか、みんなちゃんと恋愛してるんだなー」


 一人そうごちる。

 私の恋愛は、いずこにあるんだろうか。

 なんて、少しだけ本気で考えてしまった。

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