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元カノの忘れ方

「過去の恋愛を忘れる方法?」


 バイト先の『SECOND COZY』のカウンターに越しに、店長の郷田さんが洗い終わったコップを拭きながら言った。

 実は今日は私はバイトではなくお客としてきている。

 客といっても目の前にあるのはお酒ではなくジンジャエールだけれど。

 バイトとして入ると、キサキさんが必ずついてくるからこうして客としてここにいる。この話はキサキさんに聞かれては少し気まずい。

 キサキさんはというと、うまいこと言って兄と山で鍛錬している。こっちの世界に来てから、お互いに体が訛っていると言っていたので、たまには発散していざというときに備えたらと進言したのだ。キサキさんも兄と鍛錬中であれば、私の些事に目を配る暇もないだろう。

 思惑は思いのほかうまくいき、兄は嬉しそうにキサキさんを伴って家を出て行った。

 ……。

 ……ん。

 今思うと、嬉しそうだったのはもしかすると久しぶりに二人きりになってヤれるからではないか。

 ヤってる。

 これ絶対ヤってるわ。

 はぁ……まぁいいけど。だったらなおさらこのチャンスを生かさないと。この隙に話を進めよう。


「ん~。こればっかりは劇薬はないよ。唯一無二の薬は時間かな」


 半地下の厨房に洗ったお皿を持って行って帰ってきた郷田さんが、ようやくそう返答をくれる。

 兄とキサキさんの恋愛の問題点は兄の過去の恋愛にあるとわかったので、今こそ恋愛マスターの郷田さんを頼るときだと思ったのだ。

 けど、反応は芳しくない。


「仮に全く同じ容姿の人が現れたとしても、きっとそれでも心の穴は埋まらない」

「はぁ。使えないなぁ郷田さん」

「こればっかりは仕方がないよ。志津香ちゃんだって、お父さんが亡くなったことを受け入れて次に進むまでとても時間がかかったでしょ? お母さんなんか特に」

「それとこれとは、違うくないですか?」

「違わないよ。だってその元恋人は、もう二度と自分の傍にはいてくれない。他の誰かに笑顔を向けて、そりゃあもちろん、体だって許すわけじゃん?」


 郷田さんは下の話をしにくそうに言った。


「男ってのはプライドが高いわけ。独占欲もある。動物的な考え方だけど、自分のものだったはずのものが、他の男に奪われて好きなようにされるんだから、その妄想に取りつかれて常時プライドがズタズタに引き裂かれる思いなんだよ。目を閉じれば顔が浮かんでくる」

「それだけ愛していたってことですよね」

「どうだろ。意外とそうでもなくても、“奪われた”という事実が男を苦しめて、相手を美化しちゃうんだよ。失ってからその大切さに気づくってよく聞くでしょ」

「んー。でも奪われていなくて、その元恋人が事故とかで亡くなっていたら?」

「あー。経験したことないからわかんないけど……多分一緒かな。要は別れると、自分にとって都合の良い綺麗な記憶だけが走馬灯のように頭の中で行き交うから、もうこの幸せは二度と来ないんだって、それを突き付けられて辛い。その元カノとの未来は、自分というゲームのエンディングに含まれてないの。エアリスみたいなもん」

「えありある?」


 お菓子の? あんまり好きじゃないけどあれ。

 私の疑問符に、伝わらなくてもいいやといった感じで、郷田さんは肩をすくめる。

 なんとなく、郷田さんもきっと過去の振られた体験でも思い出しているんだろうなーと察する。郷田さんも決して順風満帆な恋愛をしてきたわけではなさそうだ。


「いらっしゃい」


 郷田さんが店員モードで言って、店の入り口を見やる。

 どうやらお客さんは一人のようで、カウンターの私の二つほど隣の席に座った。テーブル席も空いているすっかすかのお店なのに、どうして。

 郷田さんが適当に話しかけ、注文を取る。

 ようやく私がその人物を見ると、それは大学生くらいの人で、おしゃれなバーで一人飲みといったところだろうか。大学が近いこともあり、最近そういったお客さんが多い。


「って、あれ……?」


 見たことがある。その人物を。

 私の視線を感じたのか、その人物も振り返る。

 それは確か……。


「あ、合コンの時の」


 名前は、確か。

 えーっとっと。

 おっとっと。


布衣(ふい)だよ」


 忘れてひどいな、なんて小さな声で言って笑った。


「ごめんなさい。あの日限りかと思って記憶から消してました」

「器用なことするね。あ、この間はごめん。怖い目に合わせて」


 言われて思い出し、ぞっと鳥肌が立つ。

 今思い出してもおぞましい。


「あのあとあの子……キサキちゃん? が警察に届けて、証拠の動画もあって。被害者の女子も次々と名乗り出て、めでたく御用となったって。SNSで動画売ってたのもばれてたから……大学は退学だろうな」

「いいです。それこそ忘れたいので」

「……ごめん」

「それにしても布衣さんは、どうしてこの店に?」

「え、いや……大学が近いから。いい店できたって友達に聞いて」


 その言葉を聞いていた店長がカウンターの端っこで小さくガッツポーズを決める。


「嘘ですよ。噂の立つような店じゃないですし」


 ズコーっと、店長がすっころぶ。けど無視無視。


「いや、ほんとだって。こうやってたまに一人で飲みたくなるんだ」

「ほんとですかー? 布衣さん、一人でバーでのむタイプにも見えませんけど。この間も飲んでなかったですし」

「この間は高校生相手だから、控えてたんだ。俺がインドアだからって決めつけるな」


 むっとして布衣さんは話を終わらせる。

 何かを隠している。私の直感がそう告げている。

 その視線に耐えられなかったのか、布衣さんはわかりやすくきょどりだす。


「君こそ、どうしてこんなところに? ここ飲み屋だろ?」

「私ここでバイトしてるんで」

「えっ」


 じゃあ――と何か言いたそうな顔。


「へ、へー。じゃあ、あの子もここで働いてたり?」

「あの子? ああ、キサキさん?」

「そうそう」

「お手伝いで一時的ですけど」

「まじ?」

「……なんか布衣さん、嬉しそう」

「は? ないない。そういうんじゃないって」


 ん~? 気のせい、か。

 私は愛ちゃんほど観察眼に優れてないから何とも言えない。

 だが何かを隠しているのは確かなはずで。

 すると郷田さんが生ビールを布衣さんの前に置き、布衣さんは話をそらすようにビールをグイっと喉に流し込んだ。


「お客さん、お目当てのキサキちゃんなら明日の17時から出勤ですよ。待ってますね」


 郷田さんが布衣さんの耳元でそうささやいた。

 すると、ブッと流し込んだビールが大きく宙を舞った。

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