暗殺者
「兄!!」
夜の清掃のバイトを終え、家に帰ってきた兄に、私は即座に声をかける。
「兄って……お兄ちゃんでいいだろ?」
「それは絶対嫌! だから兄って言うことにするわ。あれとかあの人とかいろいろ面倒だし」
「兄……まあ呼ばれ慣れてないこともないけど」
「なに、また異世界の幼女に呼ばせてたの?」
「ちが……あれはだな……」
「いい! 取り急ぎ異世界の話は遠慮願います!」
「落ち着けって。どうしたんだよ。今日は借りてきた漫画を読みたいんだけど」
「どうせBLでしょ……え、やだちょっと待って、もしかしてあんな卑猥なものをうちに持ち込んだの!?」
「言いかた……」
「単純所持でも捕まるわ! やだ! 早く捨ててきて!」
「馬鹿野郎! あれはお宝なんだぞ! ネットだと一冊数万円はする幻の本なんだ!」
「まるで麻薬取引ね! あーこわっ! ダメ、絶対!」
手のひらを兄の眼前に押し付ける。
「一度読んでみてくれ。絶対に志津香もはまるから」
「ハメる!? なにを!? やだ! 近寄らないで汚らわしい!」
獣よ!
けだものが寄ってくるわ!
「もういい。どうせ分かり合えない。これは宗教戦争だって言ってた意味がわかったよ」
「宗教を辱めないで」
「めちゃくちゃ言うな……それで、本題に戻ってもらっていいか?」
兄はうざそうに靴を脱ぎながら部屋に入った。
テーブルの上に用意してあった晩御飯のラップをむきながら、「うまそ」と小声を吐く。
私はテーブルに両手を叩きつけた。
「暗殺者に狙われてる!」
「……ん? それはわかってる。でも今日一日警戒してたけど、怪しい人物はいなかったんだ。もう少し待ってくれないか」
「違う! 私!」
「わたし?」
「私が狙われてるの!」
兄がぽかんと口を開けて私を見上げる。
「というと?」
「今朝のクモも、私の部屋にいたでしょ? それとトラバサミも、お母さんが出た時はなんの問題もなかったんだから、私の出るタイミングを狙ってた」
「……ふむ」
ふむ、じゃないわよ。
腹立つわー。
「それで今日、自分の作ったお弁当食べてたら、そのからあげに毒盛られてた!」
「なに? 毒?」
「そう。いろいろあって私の代わりに愛ちゃんが食べたんだけど、そしたら愛ちゃんが倒れちゃって……」
「大丈夫なのか?」
「お医者さんは、ひとまず安心していいって……愛ちゃんも薬飲んだら元気そうだったし」
「こっちの世界には治療薬があるのが幸いだったな……」
「だったな……じゃないのよ!」
もごもごと咀嚼する兄の顔に迫り問いただす。
「兄よ。どうして私が命を狙われなきゃいけないの?」
「……」
兄は考えるように眉根を寄せる。
「正直検討もつかん。そもそも誰が狙ってるかもわかってないんだ」
「考えて」
「いや、だから……」
「考えろ」
「ん~」
「Don’t think,feel」
「直感かよ!?」
そんなこと言われてもな~、と頭を抱える兄。
そうだ、悩め。悩むがいいわ。
可愛い可愛い妹の命が危ぶまれているのだから。
「し」
――と、兄が唐突に人差し指を口にあてがい私を見る。
静かに。その合図。
兄のその目は鋭くとがる。
「どうしたの?」
「外だ」
兄が静かに言い、玄関を見遣る。
「足音を殺してるけど、ごくわずかにこっちに近寄ってくる音がする……」
「お母さん?」
「違う。これはプロだ」
プロ。その言葉に即座に思いつくのは、暗殺者だ。
「まさか」
私を、直接ここに殺しに来たのだろうか。
緊張が走る。
身動きできない私を守るように、兄は私の前に立った。
そして目で、そこにいろ、と言って玄関に近寄っていく。
兄の目が、さらに鋭くとがる。
死角に体を寄せ、玄関から入ってくるその存在を、いつでも捕らえられるように準備する。
音が――止まった。
コンコン。
と、玄関を叩く音。心臓がはじけ飛びそうだった。
暗殺者が、玄関を、ノックする?
なんて丁寧な暗殺者だ。
でもそんな馬鹿なはずもない。兄はそう理解し、警戒を解かない。むしろこちらが罠であると思ったのか、周囲に気を配り始めた。
コンコンコン。
今度は三度のノック。
警戒しつつ、兄はドアノブに手をかけた。
え、開けるの? なんでわざわざ?
ここに引きこもろうよ――なんて提案をしようとした矢先。
兄が思い切り扉を開いた――。
ガンッ。
外側に勢いよく開いた扉。
それに、外に立っていた人物が思い切りぶつかった音。
痛快すぎる衝突音。
「いった~」
そして遅れて届いた、可愛らしくも泣きそうな声。
ノックをした人物は、赤くなったおでこをさすりながら涙目でそこに立っていた。
黄色を貴重とした衣服。
それはまるで漫画で見る武闘家のようだった。
「あ」
兄はその顔を見て瞬時に警戒を解いていた。
私もその人物を見たことがある。
よくは知らないけど、よく知っている。
「いきなり酷いですよォ……アラガミ様ァ」
それは先日、異世界から来た七色のプリンセスの内の一人。
名前は確か――。
「キ、キサキ!?」
ああそういえば、そんな名前だった。