結婚して
2年ぶりに再開してみます。
今度は最後まで。。。
抵抗しようとした手はあっけなく振り払われ、先程と同じ態勢に無理矢理戻される。
胸元やスカートははだけ、みっともなく下着をあらわにする。
だがそんな些末なことはどうでもいい。
今目の前に、私に覆いかぶさっているこの獣。
今にも私に食らいつかんとするこの男を。
私の目は捉えて離れない。
離すことができない。
「すぐ終わる! せいぜい友達を起こさないように声を抑えとけ!」
「やめ――……んっ」
彼の大きな手が私の口をおさえ、もう片方の手が胸の上に置かれる。
痛い。
怖い。
苦しい。
隣で眠る愛ちゃんを、少しは憎く思う。
こうなったからではない。ただ何も気づかず眠っている愛ちゃんに、少しだけ腹立たしく思っただけ。
別に恨みはしない。引きずりはしない。
体の上で何かが動いている。
しかし全身が麻痺して、もはや何をされているのかわからない。
何をしているのか実際はどうだっていい。
ただ私は、頭の中で叫んだ。
お兄ちゃん。
キサキさん。
誰か。
誰でもいい。
助けて。
ぴたり――。
私の上で動いていた獣の動きが止まった。
そして私の口を押えていた手の力が無くなり、拘束が解かれる。
野良上は、何か驚いたように目を見開いていた。
おそるおそる、私は体を動かし離れる。
どうしたの?
なにがあったの?
まるで時間がーー。
「キサキ、さん?」
大きな野良上の体の向こうに、見覚えのある可憐な女性が立っていた。
キサキさんだ。
でも、それは私の良く知る無邪気な彼女じゃなく、その瞳は鋭く日本刀のようにとがり、腕をまっすぐに野良上の後頭部に添えていた。
そして遅れて、全身を激しい寒気が襲う。
なに。
なんなのこの寒気。
夏なのに、まるで真冬のように寒く、
――――恐ろしい。
私と同じことを感じているのか、まるで銃口を突き付けられているように硬直する野良上は、瞳だけをきょどらせつつ、ダラダラと汗を流し始め、唇は震え、息が激しく乱れ始める。
そしてまるで私に助けを請うように、瞳を向ける。
必死に息をするように、鼻を鳴らす。そうしないと息が止まってしまうからだ。
まるで筋一本でも動けば、そこに死が待っているかのように。
彼に後ろは見えていない。
おそらく、そこにキサキさんがいるかもわかっていないだろう。
しかい彼は、本能で背後に自分の命を危ぶむ何かがあることを察しているのだ。
ただひたすらに、キサキさんの殺気に怯えているのだ。
見なくていい。
感じ取れる。
それは私たちが敏感なのではなく、キサキさんがそう理解させている。
動けば殺す。
いや、動かなくても殺す。
お前に残された道は、死、のみであると。
「う……ぅう……」
――と。
いよいよ耐えかねたのか、野良上が奇妙なうめき声を上げた。
それとほぼ同時に、彼のズボンの股間部分からボタボタと水がこぼれ出た。
痙攣するかのように全身を震わせ、そしてすぐに彼の黒い瞳が上へと上がり、白目をむく。
そして、彼の大きな体は、力を失くし床へと激しく倒れ込んだ。
反射的にそれを避けつつ距離を取る。
「志津香さん!」
ようやく聞きなれた可愛らしい声音が響き、キサキさんが私に抱き着いてきた。
もはや先程まで場を支配していた寒気は無くなっていた。
抱きしめられるその瞬間まで、私は刃物が迫ってくるような恐怖心に苛まれていた。
ぎゅうっと抱きしめられて、安心する。
「キサキさん……どうしてここに?」
「くそっ、お前……邪魔すんなっ! クソが!!」
答えたのはキサキさんではなく、玄関から響き渡った声。
何事かと思って見ると、そこに布衣さんと末田さんがいて、どうやら何かもみ合っているようだった。
すぐに何かが壊れる男がして、その一部がこちらに飛んできた。
床を転がるそれは、スマホだ。
画面は割れているが、アプリは起動していて、それがビデオ撮影中であることがわかる。
「これって……」
「こいつらグルなんだよ」
答えてくれたのは布衣さんだった。
彼は末田さんの首根っこを掴みながら、室内へと入ってくる。末田さんは抵抗するように声をあげていた。
「グルって?」
「末田と野良上は、こうやって飴と鞭というか、狼と犬でキャラを演じ分けて、女性を騙して持ち帰るのを繰り返してたんだよ。でも実際は両方とも狼で、初心な女の子騙して犯して、映像に収めてネットで売ってたんだ」
「な……なにそれ! 知ってたの?」
「……ごめん。言い訳もない」
布衣さんが申し訳なさそうに視線を逃がす。
「布衣さんはあくまで、噂を知ってただけです。合コンに参加したのも、以前大学の授業で借りがあったからだそうで」
「……本当にこんなことしてるって、思ってなかったんだ。ただの噂だって。でも店の片付け終わって帰ろうとしたら全員いなくなってて、もしかしたらって思って駆けつけたら……」
「随分探しました。私がわかる範囲を出ていたので、とりあえず手あたり次第探して、少し遅れましたが」
キサキさんが優しく微笑みかけてくれた。
その時、私の中の何かが激しく震えた。
そして無意識のうちに、私はキサキさんに抱きついていた。
今度は安堵だけが私を支配する。
「……遅れて申し訳ありません。守ると誓ったのに」
「ううん。守ってくれた。キサキさん大好きよ」
「照れますね……えへへ」
「ずっと一緒にいて。守って」
「私なんかで良ければ。是非」
彼女の言葉は、いつもの可愛いそれとは少し違って、とても芯のあるたくましい声音だった。
もしかしなくても、これが恋って感情に誓いのかも、なんて思う。
吊り橋効果ってやつかな。
「は、ははっ。いいけどお前ら、撮った動画はクラウドに保管されてるからな! 俺をボコったところで、動画は永遠に保存される!」
ずっと黙っていた末田が口元から赤い血を流しつつ、得意げに叫ぶ。
「学校に流してやる! どうだ! 嫌だったら俺のしゃぶれ! ははっ!」
「貴様――」
再び、キサキさんから冷たい空気がにじみ出る。
が、私は歩み出ようとするキサキさんを制止し、自分が一歩前に出る。
そして床に膝つく末田を睨み落とした。
「なんだよ? 手ぇ出してみろ、ボタン一つで全世界に拡散できんだ――――ぶぅっ!!」
言い切る前に、その憎たらしい顔を蹴り上げる。
末田の体は奥へと倒れ込み、そのまま激しく頭を打って昏倒した。
「どこかの三流ヤクザと同じことしてんじゃないわよ! こっちはその程度の修羅場経験済みよ!」
言いながら、何度も何度も、末田の股間を上から踏みつけた。
ぐにゅぐにゅ感触が気持ち悪いが、感触がしなくなるまで潰してやる。
「え、おっ、うわぁ……」
横から、とんでもなく痛そうな表情で布衣さんが見つめている。
「あははははっ!」
今度はキサキさんが笑い始めた。
「もっとやっちゃってください志津香さん!」
「言われなくても! 男としての役割を終えさせてやる!」
「そ、それくらいで……痛そ……」
ひと通り発散し終えて、足を床に下ろす。
なんだかすっきりした。
「でもさ、クラウドに上がった動画はどうするんだ? その、パスとかないと入れないと思うけど」
「ただの脅しです。まだ動画は保存されていませんので、このまま保存せずに削除してしまえば終わりです」
キサキさんが、床に落ちたスマホを拾い上げて言う。
「でも、その動画だけとは限らないんじゃ? 他にも撮ってるかも? あいつらの動画、合コンの最中からベッドの上までの流れを撮るのが受けてるらしいし」
「なんで知ってるんですか?」
「う、噂だって! ほんとに!」
「大丈夫ですよ志津香さん。布衣さんがおっしゃってることは真実です」
「ならいいけど……」
「クラウドなら大丈夫です」
そう言いつつ、キサキさんがスマホを持って倒れる末田の許へと歩み寄る。
そしてスマホを末田の顔に向ける。
「ほら、入れました。フェイスIDを採用していますので、これでパスなど知らずともログインできます……動画はないですね。他の被害者のものがあるみたいですので、こちらはすべて削除しておきましょう。あとそうですね、ついでに初期化して叩き割っておきましょう。主要なアドレスをすべてでたらめなものにして、フェイスID登録変更しつつ、スマホの位置情報記録から家を割り出せそうですので家にあるパソコンから回収しておきます」
怒涛のように説明してくれたキサキさんに唖然とする。
「キサキさん、結婚して」
心の底からそう思った。




