危険な夜
「長いの、穂田ちゃんと?」
タクシーの中で、助手席から野良上さんが尋ねてきた。
後部座席では私と愛ちゃんが座り、愛ちゃんは私に体を預けて眠っている。
「ええ。腐れ縁です」
「あははっ。そういうってことは相当仲がいいんだね」
彼は終始爽やかに笑う。
嫌味がなく、とても落ち着いていて、理想とする大人の男性という感じ。
多分相当モテるだろう。
「すみません。タクシーなんか乗せてもらっちゃって」
「気にしないで。大人になったらタクシーくらい普通に乗るようになるし、1人も3人も値段は同じだから」
こういうことをサラッといえるあたり、かっこいい。
大学生になったらこういう人たちばかりなのだろうか。
そうあってほしいけれど。
そうこう話している間に、タクシーは愛ちゃんの家の前についた。
眠っている愛ちゃんを引きずり出し、家のチャイムを鳴らそうとすると、
「待って。そこ、駄目……」
と甘い声で愛ちゃんがささやいた。
チャイムを鳴らすと家族が出てくるし、未成年でお酒を飲んでいたことがバレるとマズイのだろう。
それはその通りだけれど、これだけ酔っていても変なものの言い回しに徹する愛ちゃんはさすがだ。
野良上さんと顔を見合わし、渋々愛ちゃんを一人で住んでいる離れへと連れて行く。家族が住む母屋とは違い、離れは元々祖父母が住んでいたらしいが、亡くなったため今は愛ちゃんの牙城と化している。
愛ちゃんのカバンから鍵を取り出し扉を開ける。
カバンの中にさらっと入れてあった避妊具は見て見ぬフリをする。……こいつ。
ようやく部屋に入って、愛ちゃんをリビングにあった大きなソファへと寝かした。
「ん……激し……」
「もうっ、パンツ見えてる!」
気を抜いたのか、ソファの上で大股開きをする愛ちゃんの脚を慌てて閉じる。
無意識に野良上さんを睨むと、彼は紳士にも目を手で覆い顔を逸らしていた。
「すみません。いつもこんなで……」
「スーと気が合う理由がわかったよ。老婆心だけど、責任が取れる年齢になるまであいつとは関わらない方が良い。少なくとも、ヤらない方が」
「当り前です!」
「ごめんごめん。でも、君が傍にいれば大丈夫そうだな」
そう言って野良上さんは再び笑った。そして部屋に沈黙が走る。
そういえば、こうして周囲にキサキさんがいない状況って、とても久しぶりだ。
いつもはキサキさんに話しかけるが、今は話かける相手がいない。肝心の愛ちゃんも寝ている。
「じゃ、じゃあ帰りましょうか」
「あ、そうなの? ごめん、タクシー行かせちゃった」
「そうなんですか……じゃあ歩いて帰りましょうか」
「いいよ。もっかいタクシー呼ぶから、少しここで話そう」
「……はぁ」
曖昧に相槌を打つ。
遠慮がちに野良上さんは壁にもたれるようにして床に座る。
私も愛ちゃんを避けるようにソファの恥に座った。
「てかすごいね、この家。さっき見た母屋も超でかかった」
「愛ちゃんの家、小さい会社やってるんです。一族経営らしくて、いつかは愛ちゃんの旦那さんもここを継ぐとか」
「え、婚約者いるの!?」
「違います違います。将来できるであろうまだ見ぬ旦那さんです」
「逆玉ってやつか。スーが聞いたら喜ぶだろうな」
「ん~どうでしょう。愛ちゃんのお父さん、チャラい男大嫌いだから」
「だったら殺されるな。ま、その方が世界が平和になる」
一瞬どういう意味で言っているのかと唖然としたが、すぐに野良上さんがくすっと笑い、そこからお互い笑い合う。
しかし、じっと私の目を見つめてくる野良上さんに、少し気まずくなり話を振った。
「えっと、野良上さんは、彼女に振られたんですか? あ、さっきの話……ごめんなさい無遠慮に」
発言がしどろもどろ。
なんかこういう空気は苦手。
「ちょっと、近くいい?」
「へ?」
私の許可など待つことなく、野良上さんが私の座るソファの足元まで近づいてきた。そして彼は今度はソファに背中を預けるようにして座った。
少しいい匂いがする。香水だろうか。
「俺の元カノね、大学入って最初のクラス会でお互い一目ぼれ。1年目の夏のサークルの合宿で付き合って、2年の夏からはほとんど同棲状態。毎晩学校にも行かず、ずーっと一緒にいて、俺にとっての生活の一部だった。それはきっと向こうも同じだったと思う」
彼は天井を見つめたまま独り言のように語りだす。
「でも俺がなじみすぎてつまらなくなったんだろうな。半年くらい前からよそよそしくなって、先月ついに振られた」
「……それは、残念ですね」
「その時は何も思わなかったんだ。でも、学校で別の男と一緒にいるのを見ちゃって、何を思ったか二人をつけたんだ。そしたら案の定、二人で新しい彼氏の家に入ってくのを見て……なんか爆発した」
少し涙をにじませるような声に、こちらまで心が苦しくなる。
「生きていてそこにいるのに、もう一生俺はあいつに触れられない。触れられないどころか、別のやつがあいつを好きなようにしてる。毎晩抱いて、たまに避妊もせずにエッチして、いずれ俺のじゃない子供ができて、家庭を築いていく。そこに俺はいない。そんな妄想ばっかして、自分で自分を苦しめてた……あ、ごめんね下ネタ。気にしないで」
「大丈夫です。そこまで初心じゃありません」
「よかった」
初心なんだろうけど。
こういうところで見栄を張ってしまうよくわからないプライド。
「でも俺って誰かに相談できるタイプじゃないから、一人で抱え込んでたんだ。外面もあるから、振られて女々しい感じも出せないし。こっそり占いに行ったり、復縁の神様に神頼みしに行ったりもした」
「女子ですね」
「だろ? でもそんなとき、あいつ、スーが声かけてくれてさ。あいつ、馬鹿だけど他人の恋愛には敏感でさ。振られて悲しいだろ~とか平気でいじってくるんだ」
「やりそうです」
「そ。でも俺にはいい激薬だった。あいつと話してると、失恋なんてたいしたことねーなって思えたし、実際こうやって合コン来るくらいまでには気持ちは軽くなった」
「そうだったんですね」
まるで機械のような相槌しか打てない自分に辟易する。
モテる女子というのはこういう時どう接するのだろうか。
キサキさんに偉そうに言えた立場ではない。
「ま、結果はあーなっちゃったけどな。ごめん、長々と」
「いえ。野良上さんいい人だし、きっとすぐに素敵な人ができますよ」
「そう? 志津香ちゃんとか?」
「えっ、な、なに言ってるんですか? 冗談はやめてください」
だからその目で私を見ないで。
少し寂しそうに、まるで捨てられた子犬のように何かを求める目が。
私は直視できない。
「志津香ちゃん」
その私の反応を、恥ずかしがっていると取ったのか、野良上さんが私に近づいてくる。
「ちょ、ちょっと……」
「俺、店入った瞬間から、君のことをしか見てなかった」
「えーっと……元カノに似てるとか?」
「関係ない。俺は君と出逢うとために、あいつと別れたんだって、今わかった」
「落ち着いて、ください。野良上さん……」
その時、後ずさりする私が愛ちゃんのカバンを倒してしまう。
ソファから転げ落ちたカバンの中から中身が飛び出し、そしてなんと不運なことか、先程確認した避妊具が床へと転がった。
野良上さんが、おもむろにそれを取り上げる。
「……俺、本気なんだ」
「こ、困りますっ」
いやいやいや。
私は全くその気なんてないんだから。
一人で盛り上がらないで。
「……駄目かな?」
「駄目、というか。野良上さんはとても素敵だと思います。でも、私は今恋愛するつもりがないんです」
「じゃあ恋人になるかどうかは、ゆっくり決めてくれたらいい」
そう言ってさらに体を寄せ、ついには私の体に覆いかぶさる。
こうして見上げると、とてもたくましく大きな体だ。
私なんか華奢な体で抵抗できるわけもない。
「そういう意味じゃなくて……」
「いいから、じっとしてて」
「なっ、ななな、なっ! 何してるんですか!」
野良上さんの手が、私のスカートの中に入り、上へと昇ってくる。
両手でその腕を制止しようとするが、彼の力は強く動かない。
「は、離れて……んんっ」
ピクリ、と彼の大きな指が、私の秘部へとかすった。
一瞬で全身に嫌な電気が走り、体を硬直させる。
「ほら、感じてる」
「やめて、ください!」
私はあらんばかりの力を振り絞って、野良上さんの体を蹴りつけた。
さすがに彼も体を後方に倒し、頭を壁に打ち付ける。
私はすぐに距離を取って、近くにあったゲーム機のコントローラーを武器に手に取る。
「警察呼びますよ!」
「ってぇ……」
その時。
ずっと微笑をたたえていた野良上さんの瞳に、烈火が走った。
彼は一瞬にして表情を変え、まるで別人のような様相で私を睨んだ。
体が、無意識におびえる。
「じっとしてろ!」
そう叫んで、彼が――猫を被った猛獣が私にとびかかった。




