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4万5800円

「4万5800円……」


 絶望した。

 私は市内の大きな家電量販店のとある一画でその絶望なる表記を見つめていた。

 それはゲー研にも常備してあった、最新のゲーム機である。

 4万5800円。

 もう一度確認する。

 うちの二ヶ月相当の夕食代だ。

 二度見ても三度見ても、変わらないものは変わらない。

 0の間に「.」はない。

 どこからどう見ても4万5800円。

 私の1ヶ月相当のバイト代だ。


「お客さま。ゲーム機の購入でお悩みですか?」


 来た。

 なんとなく目の端にとらえていたけれど、案の定恐れていたことが起こった。

 店員が話しかけてきてくれたのだ。


「あの、これ全く同じものなに、右と左とので1万円も価格が違うのはなぜですか?」

「こちらはエントリーモデルで、右の物が上位機種となっております」

「エントリーモデル……? じょうい、機種?」


 なんだ。魔法の呪文なの?

 この人異世界人?


「プレゼントですか?」

「まあ、そんな感じです」

「でしたらこちらの上位機種のプラスをおすすめします。昨今のゲームはハイスペックなものも多いので、いざやりたいゲームがそうだった時に、エントリーモデルでは処理速度などが間に合わない場合もございます。プラスでしたらどのゲームでも最高のクオリティで楽しめますし、ハードディスクの容量も倍ですのでたくさんのゲームが楽しめます」


 やっぱり異世界人だこの人。

 わあ、こんなところに異世界人。

 YOUは何しにこの世界に?


「ちなみにSSDに換装しますと、さらにロード時間や起動時間が爆速になりますので、ゲーム時のストレスも軽減されますよ」

「えすえすでぃー、ですか」

「はい。こちらは別売りとなりますので、おすすめのものですと1万円前後ですね」

「い、一万!?」

 

 そんなわけのわからない横文字に、一万円!?

 恐るべしえすえすでぃー。


「あの、他にゲームするために必要なものってなんですか?」

「そうですね……。基本的にこのゲーム機を買えば遊べるのですが、まずはそう、ゲームソフトですね。どんなゲームをするかによりますが、おおむね7、8000円程度でしょうか」

「うっ」

「あとは最近のゲームですとオンラインが当たり前なので、オンラインの利用料として月々500円」

「えっ」

「あとそうそう。本格的に対戦型のゲームで遊ぶのであれば、ヘッドセットは必要ですね。音の聞き分けが勝負の決め手です。最低でも3千円程度のものは必須かと思います」

「ぐっ」

「家にテレビはありますか?」

「それはあります! リビングにですけど」

「何インチですか?」

「いんち?」

「大きさです」

「あー、どうだろう。これくらい?」


 頑張ってジェスチャーで伝える。

 店員さんの「そんなことも知らねぇのかよ」という目線がとても痛い。


「それでしたらおよそ24インチくらいですかね……ん~だったらかなり近くによってやらなきゃいけないですし、リビングを占有することになるので、もし一人で部屋でやられるのであれば新しいモニターをおすすめしますよ。こちらも古い型で在庫一掃セールしてるものがありますので、1万円程度でそれなりのものは揃うはずです」

「つまり、合計は……?」

「そうですね。ざっと7、8万円です」

「帰ります」

 

 すっごいにこやかな笑顔で言われたわ。

 なに、そのそれくらいなら当たり前みたいな顔。

 うちがその24インチのテレビを買うのに母とどれだけ悩み食事を削って頑張ったと思ってるのよ。

 一回、粗大ごみの日に各所を回ったほどよ。

 舐めないで。

 後ろで困惑気味に立ち尽くす店員さんを置き去りに、コーナーを離れると、近くでキサキさんが何かを見ているのが目に入った。


「キサキさん」

「あ、志津香さん! ゲーム機は買えましたか?」

「うっ……マイゲーム機は、少しバイト代を貯めてからになりそう」

「そうですか」


 あからさまに残念そうな顔。

 子供の期待に応えられなかったクリスマス。


「よければ、私がサッといって取ってきましょうか?」

「落ち着いて。何がキサキさんをそこまでさせるの」


 もう中毒じゃない。手が震えてる。

 しかもキサキさんなら誇張じゃなく、サッと行って取ってきそうで怖い。おそらく誰も盗まれたことに気が付かないだろう。

 完全犯罪はここにあったわ。


「大人しく部室の練習で鍛えるしかなさそうね」

「大丈夫ですよ! 私が手取り足取り丁寧に教えますから!」

「キサキさんゲームになると人が変わるからなあ」

「そ、そんなことないですよぉ!」

「自覚ないのが一番怖い」

「あ」

「ん?」


 突如、キサキさんが立ち止まって後ろを振り返る。


「どうしたの? もしかして、暗殺者? 視線とか……」

「いえ。この匂いは」


 スンスンと鼻を鳴らすと、キサキさんは反転しエスカレーターを駆け上がった。

 そして一つ上のパソコン周辺機器のコーナーへと足早に向かう。


「ちょっと、キサキさん!」


 しかしキサキさんは止まらない。

 まるで餌をかぎつけた犬のように進んでいき、そしてとある場所で足を止める。


「って、なにしてんの」

「お、志津香じゃん。キサキも」


 兄だ。 

 兄が何やら険しい顔をして立っていた。


「偶然、よね?」

「偶然だって。ほんとに」

「ここに何しに来たの?」

「ん? ああ、ほら、これ」


 言われて兄の前にズラリと並ぶ機器に目をやる。

 何やら小さいモニターのようだけれど、タブレットというやつだろう。昔欲しかったけど、泣く泣く諦めた。


「これ液晶タブレットって言ってさ、この画面に直接絵を描けるんだよ。最近のはすごいよな」

「へぇ」

「おぉ~」


 私とキサキさんは、そこに設置されていたディスプレイ画面を見て驚きの声を上げる。

 画面では、兄が手元のタブレットに走らせたペンの通りに、線が引かれていくのが映し出されている。

 今や絵は紙に描く時代じゃないようだ。


「こんなの買ってどうするの? 絵なんか描けたっけ?」

「だからこれから練習するんじゃないか。俺はこっちの世界に戻ってきて生きがいを見つけたかもしれん」

「生きがい?」

「ああ。読むだけじゃなくて、描いてみようと思ってさ。BL」

「黙れ腐れ外道!!!」


 つい叫んでしまった。

 私の中にこんな凶悪な悪魔が棲んでいたなんて。

 恐ろしいわ。

 ああ神様。こんな私をお許しください。


「それは絶対駄目! あんな、あんな卑猥なものを、うちで描くなんて……考えただけで吐き気がする!!」

「言いすぎだろ……健全な趣味だ」

「健全ではない! それだけはない!」


「まぁそうかもだけど」と気まずそうに兄は頬を掻く。


「びーえるとはなんですか?」

「キサキさんは知らなくていいことよ。知らないまま、清らかに異世界に帰るの。ね?」


 本気で諭す。

 尋常じゃない目力に押され負けたのか、キサキさんが黙ってうなずいてくれた。

 そう。それでいいの。

 素直な子は嫌いじゃないわ。


「そういう志津香こそ、こんなところで何してるんだ?」

「私は……その、ゲーム機を買いにきたんだけど」

「ゲーム機? 珍しいな」

「いろいろ訳ありなの! でも高くて買えないし、諦めた」

「ふぅん」

「なによ、何か言いたげね」

「いや。ふむふむ。志津香、俺に一つ提案があるんだけど」

「……?」


 兄の不適な笑みには、あからさまに腹立たしい思惑が滲み出ていた。

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