密偵はどこ?
さて。
さてさて。
そんなこんなで絶賛命を狙われている私だけれど、なんとか偶然に偶然を重ねた結果生きて最後の授業を受けている。主に身代わりにしてしまった愛ちゃんには申し訳ないのだけれど。
堂々と啖呵を切った相手、暗殺者の浦くんは、何事もなかったかのように私の後ろに座っている。
なんとなく、慣れてしまった。
おそらくだけれど、彼はこの衆目の中で私を殺す気はないようだった。
できれば隠密に、自分だと悟られずにーーそう。暗殺をしたいのだろう。
だから私は、この状況になじんでしまっている自分に少しだけ笑えてくる。
まあ、ナイフの一刺しであっけなく死ぬんだけれど。
本日の授業が終わる。
恐る恐る背後を見遣ると、しかしそこに浦くんは既にいなかった。
「え」
授業が始まる時には確実にいたのに。
いつのまに。
「え」
--と、私以外の生徒も同じようなリアクションをしているところ、おそらくほんの数秒前まではそこにいたのだと思われる。
もはや向こうの世界の住人は、目に見えぬ速さで移動するのがデフォらしい。
だったらさくっと私を刺し殺して逃げればいいのに。
なぜそうしないのか。
その答えは明瞭で。
私に危害を加えようとした瞬間、人外的な浦くんよりももっと速くて強いキサキさんが駆けつけてくるからだろう。運よく私を殺せても、その後キサキさんに捕まり粛清される。
それを恐れて慎重になっているのだと思う。
ーー彼の仲間がいるかもしれないです。
キサキさんはそう言っていた。
暗殺集団ウラの目となり耳となる諜報役が紛れ込んでいるかもしれないと。
確かにそうであれば、浦くんがいちいち私の近くにいる必要がない理由がわかる。
そしてもしそんな存在が本当にいるのだとしたら。
それは。
「このクラス、よね」
私を常に監視できて、近い存在。
それしかありえない。
もしいるとしたら、だけれど。
一番怪しいのは愛ちゃんだけれどーー前科持ちーーしかしその愛ちゃんが直接被害を受けている以上除外すべきだろう。
いえ、あえて自分で被害を受けることで容疑者から逸らしているという可能性もある。
だとしたらなんて策士なのだろうと思う。
「ないない。それはないわ」
愛ちゃんがそこまで手の込んだことをするとは思えない。
思えないけれど。
でも、それすらも可能性として考慮していかなければいけないのかもしれない。
「じ~」
その時、オノマトペを口に出していた斜め後ろの芽衣子ちゃんと目が合う。
私を大きく丸い瞳で見つめている。
最近よく見つめられている。
「まさか」
なんて一瞬思ってしまう自分を一笑する。
少し神経質になりすぎだ。
いるかもしれない、だけであり、必ず密偵がいるわけではないのだから。
とにかく、私が警戒すべきは浦くんで。
「警戒したところで何もできないけど」
ほんとに。
仮に浦くんが私を殺そうと動いたところで、私はされるがままに殺されるのだから。
気にするだけ無駄か。
これは私VS暗殺者ではなく、キサキさんVS暗殺者なのだから。
帰ろう。
なんだとしても、ここにいるのが一番危険だ。
○
「ばいと、ですか?」
キサキさんとの下校中。
彼女は初めて聞いた単語に、はてなを浮かべる。
彼女はわからないことがあると、いつも小首を傾げるのだけれど、その時に揺れる艶やかなポニーテールが見ほれるほどに美しい。シャンプーを使っていないのにどうしているのかと聞いたら、「日々の運動と、少しの色気です」と頬を赤らめて言った。
彼氏ができた女の子は、綺麗になると聞く。
それはやはり、男性経験とやらを通しているからなのだろうか。
無理。無理無理無理。
私には到底難しそうだ。
この安いシャンプーに慣れてしまったガシガシの髪とは一生付き合っていかなければならない。
「そう。働いてるんです」
「学業と並行して大変ですね。何の仕事をされているんですか? お屋敷の給仕係とか? それとも石切り場で運搬業務とか?」
「なんで基本的な考えが奴隷寄りなんですか……でも給仕係が一番近いかもしれませんね」
そんなことを話しながら、私はいつもの慣れた道を行く。
最寄駅を下り、人混みを外れ、街の大きな病院の脇を抜けて少し静まった住宅街。その中に突如、大きな看板が掲げられたのが目に入ってくる。
『SECOND COZY』ーー以前『二軒目』という居酒屋だったそこは、新たな名前になって生まれ変わっていた。
「おはようございます」
大きな声で挨拶し、中に入る。
中は以前の落ち着く雰囲気を抑えつつ、照明を薄暗く雰囲気を重視したものになっている。
「おはよー志津香ちゃん」
中で迎えてくれたのは、店長の郷田さん。
店長って言っても、店ができて数週間の新米店長。
ツーブロックの髪を後ろで縛り上げた濃い二重のイケメンで、いかにもバーの店長って感じの人だけれど、とてもやさしい頼れるお兄さんだ。
以前の『二軒目』から一緒に働いていて、晴れて店長とあいなった人なのだけれど。
「あれ、その子は?」
郷田さんは、私の隣に立っていたキサキさんを見て尋ねた。
「あ、その、私の親戚が来てまして……」
「へ~。かわいいじゃん」
こういうことをサラッといえるのが郷田さん。
そこに卑しさが感じ取れないのがすごい。大人って感じ。
クラスの男子とは全然違うなと思う。
「でもなんでここに?」
「それが、家誰もいなくて帰れないので、ここにいさせてもらっていいですか?」
「そうなんだ。いいよいいよ。どうせ席は余ってるし〜」
郷田さんからの乾いた笑い。
そう。
この二週間。店を開いてから客足が芳しくないのである。
元々は大衆居酒屋っぽい雰囲気だったものを、180度変えて若者向けの店にしたのだけれど、以前までの『二軒目』を好んでいてくれたお客さんが離れてしまったのだ。
郷田さんの狙いでは、近くの大学生なんかが集まる場にしたいとのことだったのだけれど、まだまだ店の浸透には至っていないようで。
私はそのまま半地下のトイレの奥にあるーーなぜここなのかはわからないけれどーー更衣室でバイト着に着替える。以前の、腰巻きに筆文字が入ったいかにも居酒屋って感じのバイト着は廃止され、今は黒を基調としたバーの店員みたいな服になった。
とっても可愛いんだけれど、個人的にはスタイルが露骨に出るのが恥ずかしくて困っている。
着替えてフロアに上がると、店長がカウンターに立ちながら、席に座らせたキサキさんと話していた。
「へ〜じゃあ外国から来たんだ? またなんでこっちに? それ、志津香ちゃんとこの制服でしょ?」
「社会勉強なんです。日本の文化と生活を知りたくて、高校生の真似事をさせてもらっていまして」
「なにそれ面白いね。あ、そうだキサキちゃん、なんか食べる?」
「そ、そんな申し訳ないですっ」
「いいのいいの。こうやってサービスすることで、次につなげるのも俺らの仕事だから。むしろそのやらしさに乗っかってよ。お腹空いてるでしょ? はい」
郷田さんは、有無も言わせずメニューをキサキさんに渡す。
キサキさんはそれを驚いた様子で受け取り、中を物珍しそうに見つめる。
「えーっと、じゃあ……レムをザゴスティしてイータラでトルムンガできますか?」
「え、レ、レム……?」
「郷田さん私が代わりまぁぁぁす!!」
すっかり気を抜いていた私は、慌てて間に割って入る。
なんだ、異世界ではその料理が定番なのか。こっちでいう野菜炒め的なのか。
「志津香ちゃん。彼女ってお兄さんと同じところに住んでたの?」
「うふふ。実はそうなんですぅ」
小声の郷田さんに返し、にっこりと笑って見せる。
何もおかしくない。
「やっぱり。どこの国の料理なの? 前検索してもまったくわからーー」
「店長お客様で〜す!!」
タイミングよく入ってきたお客様に、飛びつく。
この話は終わらせよう。
異世界なんてないないないない。
この感覚を久しぶりに思い出した。




