ああ、ヤってた
「ふぁ~あ」
命を狙われていても、眠気というのはどこからかやってくる。
気が付けば眠っていた私が目を覚ましたら目覚ましが鳴る十分ほど前。
もったいないことしたな、と思い二度寝をしようともう一度布団を被る。
「……?」
声がする。
……話し声?
違う、もっと叫び声に近いような。
耳を澄ませる。
音は私のベッドを通してその下から聞こえる。
兄か。
いやでも、兄の声とは違い高い女の子のような。
「ん、んん?」
リズミカルに聞こえるその艶やかな声。
よく聞けば、ドンドンと同じリズムで何か叩くような、揺れるような音が聞こえる。
これは。
いやいやいや、これは。
「嘘……嘘って言って……」
布団を顔まで被せて耳をふさぐ。
しかし一度理解してしまった私の脳は、響いてくる小さな音に敏感に反応してしまう。
「ぬんっ」
もはや眠れやしない。
ギンギンに冷めた目をこしらえ、私は音の正体を確認するためにゆっくりと音をたてないように部屋を出た。
そろーりそろーり。
この古く歪みきった階段を音もなく降りるのは至難の業だけれど、音がきしみにくい床の位置は十分に把握している。伊達にこのぼろ屋に長年住んでいない。
階段を降りきり、私の部屋の階下、そう、兄の部屋へと向かう。
かすかに聞こえていた音は、今確かに大きくなっていく。
――と、ぴたりと音が止んだ。
しまった気付かれたか!
私は即座に歩幅を増やし、一気に兄の部屋のふすまへと手をかけた。
思い切り扉を開く。
「お、おお志津香どうした」
部屋の中に兄。
なぜか上裸。その肌は明らかに汗ばんでいる。
そして兄の部屋の押し入れに視線をやる。押し入れの隙間から、黒い布がはみ出ていた。私は押し入れのふすまを開く。
「あ、あはは」
中にしゃがむように隠れていたのは、やはり。
「キサキさん。どうしてここに?」
「え、えーっとちょっとソウタさんに話がありまして」
「こんな朝っぱらから? うちの制服着て?」
「え、えへへ」
そう笑うキサキさんの顔はどこかつややかで。
ほんのり赤みが混じっている。
「キサキさん。上、裏表逆ですよ」
「え、うそっ、しまった急いでて……あ」
語るに落ちる――とは少し違うかもしれないけれど。
失言をしたキサキさんは顔を真っ赤に染め上げ、兄はしまったと言わんばかりに視線を天井に向けてため息をついていた。
○
「なにしてたの?」
朝。
ただでさえ忙しいこの時間に、私は鳴り響いた目覚ましを止めに一度上に上がった後、ダイニングテーブルに兄とキサキさんを座らせて、居住まいをただす二人を睨んでいた。
「えーっと……」
「いい! やっぱ言わなくていい!」
口を開こうとした兄を制止する。
聞こうと思ったけれど、言葉にされると生々しくなってしまうからやめておきたい。
「まじか。まじなのね。マジ卍なのね……」
改めて認められると、おそろしく恥ずかしくなる。
きゃっ、とか言いたいところだけどあいにくそんな無邪気なリアクションは出せない。
「あああ、あのねのねっ、しし、志津香しゃん、そのっ」
「キサキさんはとりあえず喋らない方が賢明かと思います」
言い訳しようにも、おそらく顔が真っ赤の彼女からはまともなことは言い出さない。
墓穴を掘るだけだろう。
「はぁ……二人とも年ごろの男女だし、そういう気分になるのも仕方がないっていうか、お盛んな年ごろだとは思うんですけど……私がどうこう言う問題じゃんないんですけど……その、さすがに時と場所は選んでほしい、かな」
ひゅ~ぼんっ、とキサキさんから湯気が出始める。
私こういう状況初めてだけど、すごく色っぽく見えるのは気のせいだろうか。
えっちい。
「悪い志津香。つい」
「つい? つい女子高生の制服に興奮しちゃって収まりがきかなかったってこと?」
肯定するように、兄は肩をすくめた。
「最低! 変態! コスプレマニア!」
「なっ、しょうがないだろ! 俺高校行ってないんだから、その、ちょっと憧れてて……」
「うっさい! 口を開くなロリコン小卒BLピッキンガー! 遅れてきた青春か! あんたBLに目覚めたんじゃないの!?」
「あれは芸術。これは生理現象だ」
「きりっ、じゃないわよ! ていうかあんた、昨日恋人はいないって言ってなかった?!」
「ん? だからそれはいないって」
兄は、怪訝な顔で私を見つめる。
「え。いやだって、ほら」
「ん?」
「んん?」
あれ、私なんか盛大な勘違いを起こしてる?
「ごめん。整理していい? 二人はえっと、その~……」
「ああ、ヤってた」
「やっぱりそうよね!? 勘違いじゃなかった!!」
「や」が「ヤ」になってるのは十分に伝わってきた!
「待って。恋人でもないのに、するの?」
「恋人じゃないとしたら駄目なのか?」
「……え」
私何かおかしいこと言ってるかしら。
「ふふ、普通、恋人同士でするものでしょ?」
「こっちではそうなのかもしれないけど、向こうの世界だとある程度ラフに体の関係は結ばれるんだよ」
「ええ、あちらでは一夫多妻制の国の方が多いので、男性が多数の女性と交わることが普通なんです」
キサキさんがフォローする。
「なな、なにそれ! 不謹慎! 不衛生! 不殺生! 不偸盗! 不邪淫!」
「最後なんでお経……」
「お父さんの法事で嫌でも覚えたから!! っじゃなくて!」
私はキサキさんを見る。
彼女は本当にこの状況がおかしいと思っていないようだった。
でも。
「キサキさんは、それでいいんですか?」
「どういう意味ですか?」
無垢な瞳ではてなを浮かべる。
確かにあちらの世界の常識はあるのだから、私がとやかく言うべきではない。
ましてや、こちらの価値観を押し付ける必要もない。
だけれど。
彼女がおかしい思っていないのと同じように、私はおかしいと思うのだ。
それはどこまで行っても平行線かもしれないけれど。
「ごほんっ。わかったわ。そっちの価値観にケチをつけるつもりはない。ヤリサーに入った大学生の兄くらいに思っておく」
「えぇ……」
「た だ し! うちでヤルのはなし! ここは私とお母さんも住んでるんだから! わかった?」
兄とキサキさんは顔を見合わせ、小さくうなずき合う。
そして兄は私に向き直って言った。
「二人がいないときならいいか?」
「外でヤレッ!! この猿!!」