何も履いてない
激しく交差した竹刀と腕が、弾かれるように距離を取る。
キサキさんと浦忍は一切視線を外さず睨み合う。
キサキさんの表情は、先ほどまでとは打って変わって、真剣な眼差しで。
一眼に戦闘モードに入ったのだと伝わる。
しかし一方で、浦くんはにやけた表情を崩さない。
「完全に隙を突いたつもりだったけど、これでも無理かよ」
「一瞬の殺気、それがなければ後手を取っていたでしょう」
「はっ、どうだかな」
浦くんは乾いた笑いを吐き捨てて、竹刀を肩に乗せる。
ああやって軽薄な態度を取ってはいるけれど、きっと彼もまた常に警戒心を張り巡らせているのだろう。
ピリピリとその緊迫感が伝わってくる。
「よう嶺志津香……めんどうだから志津香でいいか?」
「え、嫌です」
「は? なんでよ。別にいいっしょ」
「なんとなく、嫌です」
「な、なんとなくって……ひでーなおい」
思っていたよりも軽快な様子で語る浦くんに、拍子抜けしそうになる。
「じゃあ嶺。お前こいつ連れてるのは反則っしょ」
浦くんはアゴでキサキさんを指した。
「知っているの?」
「当たり前だ。世界の輪廻に終止符を打った八英雄の一人、キサキ・ヨウモン。ランバンで迅黄拳を教える道場を持ち、その本人も迅黄拳を極めて天下一武術に長け、その身一つで千の軍隊と渡り合うという化け物だ。今や教科書どころか、神話になりつつある人間だぜ」
「細かい説明ありがとう」
なんとなく細かく聞きそびれていたキサキさんの設定を教えてくれた。
兄といい、異世界の人たちは聞いてもいないことを説明してくれる趣味があるようだ。
「その口ぶりから察すると、やはり貴方も私と同じ世界の住人ということでよろしかったでしょうか?」
私の代わりに、キサキさんがそう尋ねる。
彼女はゆっくりと脚を上下に開き、右手を前に出し添える。
「ということは、私に挑む無謀さを十分に理解しているでしょう」
「知ってるか?」
「なんでしょう?」
「伝説はいずれ過去のものになるんだ、ぜっ!」
「だ」で片足を上げ、「ぜ」と行った時には彼の体は一直線にキサキさんへと向かっていっていた。
速い。
もう私の語彙力だと、キサキさんとの違いが表せないのが大変申し訳ないのだけれど。
しかし浦くんのその速度は、少なくとも常人のそれを遥かに超える速さで。
――が、浦くんが力一杯に竹刀を振り下ろした時には、すでにそこにキサキさんの姿はなかった。
彼女の姿はそう、彼の背後の上空に。
「おっしゃる通りです。ですが伝説を超えるには命を懸ける覚悟が必要ですよ」
キサキさんが浦くんの背中を力一杯打つと、浦くんの体は軽々と屋上の端まで飛んだ。
「うそ」
あわや転落するのかと肝が冷えたが、浦くんはギリギリで屋上の縁を掴んで耐えた。
「ふぅ。危ねぇ危ねぇ」
すぐに彼は片腕の腕力だけで体を引っ張り上げ、猿のように屋上に着地した。
「が、足りねぇなぁ!!」
馬鹿の一つ覚えのように、浦くんがキサキさんに突っ込む。
彼の振るう殺人的なまでの竹刀の雨あられに、キサキさんは後方に後退りしながらそれを避ける。
もう私から見たら、ヒュンヒュンと音しか聞こえない。だから細かいのは見えてない。
と、ある程度まで下がったところで、キサキさんの右足に力が入った。そのままその脚が振り上げられる――かと思いきや、キサキさんは躊躇うかのようにその脚を下げた。
「おいおいおい! 英雄様がどうしたよ! 遠慮はいらねぇぞ!」
「くっ」
あ、「くっ」とか言うんだ。
ってこらこらこら。そんなこと考えている場合じゃない。
キサキさんの顔に汗が滲む。
彼女はなにかをためらっているようだ。
そのままキサキさんは反対の屋上の縁まで追い詰められ、踵がもう下がれないと理解して止まる。
「危ない!」
竹刀が横からキサキさんに襲いかかる。
それはキサキさんの華奢な体を横なぎに払い、彼女は屋上の貯水槽に激しくぶつかって地面に落ちた。
「あら。当たっちゃった」
その状況にむしろ不思議そうなのは浦くんだった。
困惑した表情で倒れたキサキさんを見つめている。
「キサキさん、どうしてやられっぱなしなんですか?」
彼女ほどの実力者が躊躇う理由。
そうか!
「も、もしかして、浦くんが生き別れの弟だとか!?」
「はぁ!? ちげーよ!」
否定したのは浦くん。
そうか、違うのか。
「じゃ、じゃあ浦くんが弱すぎて殺してしまいかねないとか!」
「るせぇ! そこまで弱くねぇよ!!」
「でも異世界がデアドラゴンとかのせいでやばい時に、特に表に出てこず顔も覚えられていないってことは、実力がなかった証拠でしょ!」
「痛いとこ突くなおい! やめろ!」
「……違います」
立ち上がったキサキさんは、特に傷ついた様子もなかった。
彼女は困まり果てた表情を浮かべたまま、小さな声で何かを言った。
「……です」
「え?」
「だ、だから、下が、その……」
下。
あーそういうことか。
「高所恐怖症ですね!」
ぶるんぶるんと首を横に振るう。
え、違うの。
「違うんです! 私いま、下にズボン履いてないことに気がついてしまって!」
しーん。
私と浦くんは時が止まったかのように唖然と顔を固めた。
キサキさんが顔を真っ赤にして、満を持してした告白はあまりにも唐突で。
そうだ。いつもはスカートなんか履かないから。
今日は潜入のために制服を着ていたから。
彼女が体を動かすたびに、ひらひら。ちらちらと。
「パンツ丸見え――」
「言わないでください!!」
そんなこと気にしてる場合なのだろうか。
いや、乙女にとってはなによりも一大事なのだろう。
私も乙女だけれど。こんな状況でそこを気にすることはないと思う。
でもキサキさんの顔は真っ赤で。
「えーっと」
浦くんが困り果てたように頭をかく。
「ってことは、とりまチャンスってこーとーでー!」
しかしそこは彼に取って思わぬチャンスの到来だ。
浦くんは間合いを詰めるようにキサキさんに詰め寄ったが、キサキさんはスカートを押さえながらひたすら逃げ始めた。
「おい! 戦え!」
「嫌です! 絶対嫌です!」
鬼ごっこかよ。
って微笑ましく見ていられる状況じゃないんだから。
「ええい、仕方ない!」
私は意を決して自分のスカートの中に手を入れる。
なんか仕方がないって割り切ってたつもりだったけれど、お天道様の下で堂々とこんなことをするのが少し恥ずかしい。
誰も見てませんよーに!
「キサキさん!」
「はい!?」
逃げ回るキサキさんに向かって、私は脱ぎたてのそれを投げる。
屋上の空には、黒いホットパンツがふわりと舞う。
それを見た途端、キサキさんは目を爛々と輝かせた。
そして強く地面を蹴り、ホットパンツに向かって飛びついた。
「させるか!」
同じく気づいた浦くんが、ホットパンツに飛びつく。
どちらもほぼ同時。
私の脱ぎたてズボンに飛びつく二人。
って、この絵面。とてもアホらしい。
「取った!」
わずかにキサキさんが競り勝ち、ホットパンツを掴む。
そして浦くんの背中を蹴ってさらに上へと跳ねた。
夕陽の逆光が眩しく、キサキさんがシルエットでしか見えない。
でも確かに、今彼女は空中でくるりと身を翻しながら、ズボンを履いた。
そして地面に耐性低く着地する。
「志津香さん、恩に着ます!」
そこからはまるで水を得た魚のようだった。
地面に突っ伏した瞬間の浦くんが顔をあげるや否や、既に目の前にキサキさんが立っていて。
彼女は再度浦くんの体を蹴り上げる。
そのまま彼の体は一定の位置で浮き続けていた。
というのは観測者の私の視点で、おそらくとてつもなく速い動きでキサキさんが四方八方から蹴りやパンチを見舞っているのだと思う。
周囲から打撃を受け続けているから、まるで浦くんの体は浮き続けているように錯覚する。
「ぐはっ!」
地面に落ちた時の浦くんは、まるでタイムスリップして来た別人のように顔を赤く血で染め上げていた。
「さて。では何から尋ねましょうか」
「へ、へへっ……やっぱ天然の天才にゃあ敵わねぇってか……」
「そうやって笑っていられるのも今のうちです」
「そうだなぁ。とりあえず正面突破は無謀だったってことで」
浦くんが、ポケットに手を入れて何かを取り出した。
それは丸いビー玉のようなもので。
彼はそれをキサキさんに向かって投げる。
――と、その瞬間、その球体から激しく雷光のようなものが放たれた。
「っ!?」
眩しい。
私が本能で視線を逸らして戻した時には、すでにそこに浦くんの姿は無くなっていた。
「キサキさん!」
「大丈夫です。目眩しでしょう。少し喰らいましたが、多少痺れた程度です。逃走用の道具かと」
「浦くんは?」
「逃げました。気配もすでに絶っています……隠密に長けた様子を見るとやはり……」
「ウラって組織ですか?」
「でしょうね。しかし歩に落ちない点もあります」
「歩に落ちない点?」
「この道具」
キサキさんは落ちた黒い球体を手に取る。
「先ほど放ったのは、マギアでした」
「え……」
「こんな道具、見たことも聞いたこともありません。あったとしても、最先端の技術が使われています。果たして復活したばかりのウラがそこまでの資金力を持っているでしょうか」
「ということは?」
「敵は、私たちが思っている以上に強大かもしれません」
そのシリアスな顔やめて。
どんどん不穏そうになってくじゃん。
私何か悪いことした? 借金踏み倒したこと? 宗教団体に喧嘩売ったこと? それともヤクザに?
あ、結構やらかしてるかも。
「そういえば、ズボンありがとうございました」
いってキサキさんはスカートを巻くし上げる。
ズボンを履いているからいいものの、あまり女の子らしい仕草ではない。
「キサキさん、そういうとこ直したほうがいいですよ」
「え、あ、ははは……あーそうです、これ返しますね!」
「いや、今はいいですから」
こっちが恥ずかしくなる。
というか。
洗って返してほしい。




