其ノ一:開かれる宿命(5)
秘密の話を守るように森の木々たちは、燕の声を隠すようにサワサワと音をたてる。
深い森の匂いが、華の鼻腔をくすぐった。
「結界が無くなった今、わたしたちは何処に隠れようと、いずれ必ず捕まる日が来る。嫌な考えだけど、すでに追っ手がせまってるかもしれないわ。」
「えっ!?」
華は小さく肩をすくめながら辺りをうかがう。それをみた翔がクスリと笑いながら背後へとまわってくれた。
「今は、そのような気配は感じられませんので、どうかご安心を。」
「よかった。」
安堵するように微笑む華とは対照的に、燕のほほは膨れる。
「まったく楽観的すぎよ。私たちだけで守るにも限界は必ずあるわ。」
「問題ない。」
「またそうやって、あんたはねぇ!」
ギャーギャーと、ついには木の上で立ち止まって鳥も驚くほどの声量でわめき始めた二人に華も立ち止まる。どれだけ音もたてずに走ろうと、小声で話せる距離にいようと、これではすべて台無し。
「ふふっ。」
腰に手を当てて怒鳴り始めた燕は、ふいっと顔をそむけた翔の態度が気に入らないと、ますます声をあげている。
「まぁまぁ、二人とも。仲がいいのは良いことだけど、今は先を急がなきゃ。」
華は笑顔で二人の間をすり抜けた。顔を見合わせたあと、後ろから二人の気配が慌てたように続いてくるが、悪い気分じゃない。
この二人がいれば怖いことなんて何もない。
「誰がこんなやつと仲いいですって!?」
目は大丈夫?と、続ける燕の横で「華様を愚弄するな。」と、翔が睨みながら続く。
「あんたは華様に甘過ぎよ!」
ふんっと燕は鼻から息を吐いたが、中央でニコニコと笑顔を浮かべる華に気づいて、それ以上は何も言わなかった。
「深緑の大樹は、自分たち草薙一族の御神木です。道のりは厳しいですが、どうぞご勘弁を。」
翔のこのかしこまった口調でも十七年の歳月は、華に親しみを感じさせるには充分な年月。
「はぁい。」と可愛らしく返事をした華を挟んで二人は一時休戦としたらしいが、結局、静かな旅とは程遠い道中となる。
それが正に今、この時にも言えた。
「ちょっと翔。こんな時こそ力を出しなさいよ。」
「燕こそ力を出したらどうだ。」
「わかってるわよ。だから今、考えているじゃない。」
もう、かれこれ半時間も言い争う二人の中央で困ったようにしゃがみながら、華は「うーん」と唸っていた。
深緑の大樹があるのは、本州の中央付近なのだが、四方八方を海に囲まれた島国からそこまでは実に遠く感じられる。島の森を駆け抜けて来たものの、足止めをくらうのは必須。
目の前では白い砂浜に穏やかな波がよせては引きを繰り返し、静かな波音が心地よく響いている。
目指すは、水平線にわずかに見える山のまだ先。
「やっぱり、この砂で船をつくって渡るしかないんじゃないかな。」
ポツリとつぶやいた華の言葉を、
「タヌキと知恵比べしてるんじゃないのよ。」
と、燕の呆れた声が否定する。
「魚の餌になるなんてゴメンだわ。」
「華様を危険な目には、あわせられません。」
「じゃ、やっぱり私が船を作っ──」
「「それだけはなりません。」」
「───もう!」
言い方は、それぞれ違うものの、結局華の考えはなかったことにされた。
うーんと再び頭をひねる華を見て、どうにかならないものかと辺りを見渡していた燕が、
「あっ。」
と、小さな声をあげる。
その声に華が視線をずらせば、ちょうど漁から帰ってきたのだろう、小さな船が一艘こちらに向かってくるのが見えた。
「わたし、ちょっと行ってくる。」
言うが早いか、すでに駆け出した燕の後ろ姿に翔のため息が聞こえた。
それに気付いた華は、振り替えって見上げた先で苦笑する翔の目とぶつかる。
「大丈夫?」
「華様の心配には、およびません。」
今度はふわりと優しげに目を細めた翔に、「そっか。」と、華も笑顔を返した。
あれだけ走って息ひとつきれないところは翔らしいが、いつも気を張っている翔にたまには息抜きをしてもらいたい。