其ノ一:開かれる宿命(2)
燕と翔の間に出現した草のつるは、次の瞬間何事もなかったように地面へともぐっていく。それに合わてぶつぶつと文句を言いながら、燕はふんっと鼻を鳴らして翔を睨んだ。
翔も負けじと降ろした足の代わりにチッと舌打ちをして燕を睨む。
よく見知った光景に、また華の顔が綻んだ。
「二人とも仲いいね。」
「「よくありません。」」
さすが幼馴染なだけあって息がぴったりだと、華はクスクスと笑っていた。
薄い桜色の着物に羽織をまとったまま、華は大人しく燕に髪を預ける。その様子を眺めていた翔は頭上高く飛ぶ鷲を追いかけるように、その視線を眼下の森へと走らせた。
「何か見えた?」
手慣れた様子で髪をまとめてくれている燕に体を預けたまま、華は翔にその行動の意味を尋ねる。
「いえ、なにもございません。」
「そう。」
意味ありげな視線を背後の燕と交わされた気もしたが、華は対して気にもとめずにそっと瞳を閉じた。
彼らが大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。
絶対的な信頼を置いているだけに、安心した華の息が春の風にのって流れていく。
「華様、できましたよ。」
「ありがとう、燕。」
「どういたしまして。」
頭上で一本に束ねられた髪は、華の細い首筋で流れるようにゆらゆらと揺れる。
その出来栄えに納得したのか、燕は腰に手を当てて満足そうにうなずいた。
「そうそう。保様が呼んでいらっしゃるわよ?」
本当は翔が呼びに行ったはずなんだけどと、燕は視線を華から翔へと泳がせる。そのイタズラな微笑みに、またも翔の眉がピクリと動いた。
「そう。」
華は急かすようにポンポンと優しく頭を撫でてくる燕に力なく微笑む。翔がむすっと鼻を鳴らした気がしたが、たぶん気のせいだろう。
「華様?」
幾姫の預言通りに誕生した草薙一族の姫君。離散した一族のかつての栄光はこの十七年の間にすっかり過去のものになりつつあったが、未だ噂が囁かれ続けるのは予言が信じられているからに他ならない。
ただ、華は信じていなかった。
毎日のように草薙一族の話や姫であることを教えられても、この国には束ねる民はおろか、守る里すらももう存在してはいない。
「なんでもない、いってくるね。」
華はそろって頭を下げる一組の男女に向かって、手を軽くふってから背中を向ける。
十七年前、幾姫の予言通りに到来した暗黒時代。十七年もの歳月がもたらした変化は、何も華の成長だけではない。
幾姫の預言を我が物にしようと世界中の秩序は乱れ、混沌の渦はそこかしこに散らばっている。
「華様、大丈夫かしら。」
心配そうに燕が華の背中に向かって呟くのも無理はない。
草薙一族が滅亡したあと、残る四つの一族は、不干渉を決め込んでいた人間の世界をも荒らし、あちらこちらでその名を耳にするようになっていた。
"勝利の影に物怪あり"と。
人ならざる者として忌み嫌われ、人里離れて暮らしていた彼らが人の世で必要とされる時代。
「心配ない。」
燕の声のあとを追いかけるように翔が言葉を伏せる。
決意と覚悟はとっくに決まっている。
この命は主君のために。
「この私がいるものね。」
「………。」
「何よ、その目は。」
並んで立つ翔の目に対抗するように燕も腰に手を当てて応戦する。
空は高く青い。平穏な春の匂いとは裏腹に、世論には緊迫した空気が充満していた。
相次ぐ戦
種族の血の薄れと減少
焦った一族の長たちは、こぞって若き者たちに跡を譲り渡している。
「華様が存在し続ける限り、我ら草薙一族は滅びない。」
「ええ、わかってるわ。」
若い者には若い者、新しい者には新しい者なりの規律が存在するが、異なる力を持った彼らにも強い共通点がたったひとつだけあった。
それが、幼少より聞かされていた"草薙の姫"の存在。
華を"許嫁"と刷り込まれて育った新しい頭領たちは、今や全兵力を注ぎ込んで花嫁探しに明け暮れていると、もっぱら噂は尽きない。
「華様は誰にも渡さない。」
「ええ、もちろんよ。」
誰もが未来の行き着く先を自らの手中に治めようと翻弄している中、渦中の人物である華は、全く違う悩みごとを抱えていた。
師、育ての親、命の恩人。
その全てに当てはまる人物が今、重い病にふせっている。
今日がたぶん、その峠だろう。