序章:宿命の日(2)
不自然な風も雪も雷鳴もピタリと止み、広間の炎が大きく影を揺り動かす。まるで耳を済ませてじっとしているみたいに、不気味な沈黙が辺りを包んでいた。
「して。」
先を促すように男はもう一度同じ言葉を繰り返す。室内に充満する空気とはうってかわって、その目はキラキラと少年のように輝いていた。
これ以上待たすのは得策ではない。
ゴクリと息をのんだことで、伝令役を任された者の緊張感が伝わってくる。
「誕生されたのは────」
伝令役を預かったその者はひとつ小さく息をつくと、他に聞くものがいないことを願いながら、そっと目を閉じて呟いた。
「────姫君です。」
その瞬間、音を立ててロウソクの火は炎となり消える。数ある蝋燭のたった一本が嘲笑うかのような燃え方をしたことで、草薙に姫が生まれたことは周知の事実となったことだろう。
秘密などあってないようなもの。
隠せるものなど何一つない。
生誕の情報がすぐに全国に広まることなど、二人の男は初めから知っていた。
仕方がない。
これは定められたことなのだ。
決して回避することのできない幾姫の予言である以上、姫が生まれることは心のどこかでわかっていた。
「そうか。」
薄暗くなった室内の中で吐き出された声がひとつ。
「よくやった。」
パンっと両手を合わせて笑みを浮かべたその顔は、威厳ある当主にふさわしい貫禄だった。
「"この実"は無事か?」
「はい。今は姫様をお守りするための術式を土井家と結んでおります。」
「そうか。」
たった三文字のその言葉の中には安堵と嬉しさが含まれ、また寂しさが色濃く聞こえてくる。
「"この実"には後でたっぷりと礼を言わねばならんな。」
「姫様をご覧には?」
遠慮がちに扉の横からかけられた声に、一瞬パチパチと目を瞬かせたものの豪快に男は声をあげて笑った。
「あやつらが待ってくれるものか。」
だからこそ急がねばならない。
喜びや感傷にひたっている時間は、微塵もないのだと覚悟を決めなければならない。
「皆、聞け。」
この部屋の主は立ち上がると、大きな深呼吸をして静かに息を吐き出した。
次に上げた顔は、鋭さをもって、その瞳に強い覚悟をにじませている。
「「はっ。」」
扉脇に控えていた男と保は、そろって主に膝をついてそれに答える姿勢をみせた。きっと、周囲一体が同じ姿勢をしているにちがいない。
我らが頭領。
草や土を操る一族の最後の言葉を聞こうと息をのんで、その時を待っていた。
「本日これより、草薙一族は離散する。」
里中に響き渡る怒号に、すっと頭を下げてから遠ざかっていく足音。何ヵ月も前から言い渡されていた覚悟の時が、たった今訪れただけ。
誰もがこうなることはわかっていた。
「保、あとは頼んだぞ。」
「要様。」
何か言いたげに固唾を飲んだよき友の肩を要はガシッと両手でつかむ。その重みが意味するものはなんなのか。
長年の付き合いだからこそ、すべての思いがその肩に託された気がして、保は静かに首を縦にふった。
「子を華と名付ける。」
親としてせめてもの贈り物だと、"要"は保の耳元でニヤリと口角をあげる。
「奴らには教えてやらん。」
歯をみせて不適に笑うその様子を一族の者は、みな慕っていた。
だから誓ったのだ。
皆、愛すべき里と頭領のために───
「この命に変えても、華様は守りきって見せます。」
─────揺るぎない決意を示すように、保は大きく頭を下げて立ち上がる。
「まかせたぞ。」
「要様もどうかご武運を。」
奥へと消えていくその姿を見ることは、きっともうないだろう。
「"人ならざる者"が相手だろうと、草薙一族が頭領。この草薙 要はそう易々(ヤスヤス)とやられはせんわ。」
ふっと、楽しそうに笑顔を見せた要のつぶやきが合図だったのか、ゴウッと音をたてて窓枠が燃え上がる。
パチパチと火花を散らせながら現れた人物に、要は「よう」と親しさをこめて片手をあげた。
次いで、突風が屋根を引き剥がし、稲妻が光を放つ。引き裂かれた扉の隙間から今度は二つの人影が姿を見せた。
「ぬしら、暇だのぉ。」
ポリポリと頭の後ろをかきながら、要は迫り来る三つの影に苦笑する。
いや四つ。
いつしか雨から雪へと様相を変えた吹雪が、最後の一つの影を舞い踊らせた。
「まったく、娘の顔をひと目拝ませてくれればいいものを。やはり、せっかちな奴らだ。」
親子の対面もさせてくれんのかと言う要の声は、ふてくされたように四つの影にむけられる。影はゆらゆらと何か思案するように顔を見合わせたが、その願いを聞き入れるつもりは初めからないらしい。
元より覚悟の上。
「よかろう。歴代最高と謳われた我が"力"見せてくれようぞ。」
要の声は、どこか楽しげに弾んでいた。