其ノ一:開かれる宿命(7)
穏やかな春の気候は、どうやら海にも言えるらしい。
「こういう時、風見一族だったらいいのにって、思うわ、よ、っね!」
長い棒をこぎながら燕が声を張り上げる。
ギーコギーコと、きしむ木の船は三人を隙間がないほど埋めたまま海の上を泳いでいた。
「そうだねぇ。」
のんびりと水面を見つめていた華は、チラリと後ろの翔を盗み見る。
さっきから不機嫌そうな顔で燕同様、海水をかく翔。本人は、至って普段通りをよそおっているつもりなのだろうが、あきらかに燕への嫉妬が顔に出ている。
翔は、いつもこうなのだ。
仲間外れが気に入らない。
「ばっかじゃないの。」
棒読みにも近い燕の呆れた声は、華には聞こえなかったようだが、なぜか華よりも遠くにいる翔の耳には届いたようだった。
翔が、ギロリとその目を細める。
翔を盗み見ていた華は、燕が原因だとも知らずに、慌てて視線を水面へと戻した。
「きっ今日は、風もないし。なっ波も穏やかだから、船全然進まないねっ。」
どこかぎこちなく華がそう話題を切り出すが、誰も答えない。
「あっ。えーっと、私もこぎたいっ。なぁ~なんて。」
立ち上がろうと腰を浮かしていた華は、突き刺さるような視線に咎められて、無理ですよねぇと大人しく中央に座り直した。
「華様の手をわずらわせるわけには、いきません。」
「華様は、大人しく座ってればいいの。」
こういう時の二人の結託は強い。
華は、自分が出来る範囲のことは自分でしたいと常日頃から思ってはいるのだが、食事から着替えから、はたまたこういった力仕事といったことは一切させてもらえなかった。
「私、二人がいなくなっちゃったら、絶対生きていけないだろうなぁ。」
もはや諦めた様子で、そうこぼした華に、「華様。」と何故か涙ぐむ二人。
忍び装束の二人の真ん中で背筋を伸ばしたまま前を見据える少女は、それこそやんごとなき身分の姫君であることが伺いしれる。本人に自覚がないことを覗けば、だが。
草薙一族。
深い森に住み、動植物と心を通わし、また力を得る。
血の濃いものは、土を自在に操ることが出来たという。華はもちろんのこと、代々頭領の側近を勤めてきた鷲尾家の現主人である翔も土を操ることは出来る。燕は、土井家という比較的血の濃い家の生まれにもかかわらず、両親を亡くした時のショックでか、その力が発揮されることはなかった。
その代わり、燕は植物に関しては強い。
「結界が切れてるんだもの。力は極力使わないわ。」
プカプカと波に揺られる海草を憎らしそうに燕は見つめる。
「彰永丸も、きっとそう思ってるわよ。」
はぁーと長い息を吐いた燕に苦笑して、華は空を見上げた。
何もない青い空を独占するように、そこには大きな翼を広げた鷲が一羽、黒い影を海面へと落としている。後方の翔が手笛を鳴らせば、影のみを写していた船のはしに、立派な鷲が鋭く爪を立ててとまった。
「従順ですこと。」
燕の嫌味を受けながらグラリと一瞬船は揺れたが変わらずに前へと進む。
穏やかにないだ風が鼻腔に海の匂いを送り込んでくると、順調な旅出に感謝するように華は瞳を閉じた。
初めて見る世界。
これから訪れる生まれ故郷。
まだ見ぬ自分を狙う者には、少し怖さを覚えるが、それでも新しい土地に足をおろす華には守ってくれる味方がいる。差し出されるその手を迷うことなく掴めば、強く握りかえしてくれる人たちがいる。
「あ、船ってどうやって返すの?」
「何言ってるのよ、華。」
陸にたどり着いたばかりの燕がとびきりの笑顔をむけてきた。
「そんなの翔が何とかしてくれるわよ。」
「自分の始末くらい自分でつけろ。」
予想だにしなかった燕と翔の会話に口をパクパクとさせながら、華は舟と両腕をひく二人を交互に見る。
「やっぱりちょっと不安かもしれない。」
踏み入れた新しい土地で早速言い争い始めた男女の真ん中で、華は避難するように飛び立つ彰永丸の影を追う。
空は茜色。
水平線に太陽が赤く沈んでいた。
《続く》