仮名シバリ
真夏は足音を立ててやってくる
雨が降ったり雹が降ったり
かみなり、空のお祭りの音
誰も来ない場所にもじりじりと誰かの気配
寝苦しくて目を覚まして体が動かないなんて
別に知っているのさ、ただの生理現象だと
暑さで眠りが浅いから体が眠っているのに目を開けてしまうとか
汗で失われるミネラルのせいとか
俺の胸の上に膝をつき首を絞めてくる三本足の獣
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、なんぞ?」
そんな問いかけをしてくれば俺は「人間」だと答えるのだろう
だがそんなものは正解ではない
ただ答えを聞いて知っているだけだからね
もはやその問いは知力を測る物差しではなくなってしまった
それでも「人間」だと得意顔で答えられるやつを
世間では賢いともてはやす、そういうもの
くだらないと思っていたんだ、ただの人為だからね
問いかけをする人間の頭の中を読むだけのクイズショウ
作為も贔屓も抜きの絶対的な答えが
存在するべきだと思っていたんだ、流されない何かが
それでも結局は誰も彼もが流されていく中で
流されるままに生きて何者かに
なれる道へとなるべくしてたどり着く者と
ただ流されるだけで何も成さぬ者との違いは何か
自我
人間であるかどうかだ
人の間と書いて人間であるからには
人と人との間の存在になってこそ人間であり
それは流動的でありながら区切られた空間のようなものだ
そこに至らない間の「人間」とは仮の名でしかない
洪水の水面に浮かぶ舟のようなもの
旧約聖書でも思い出すがいい
生き残る者生き残らない者
流される水と同化しないで個を保つということ
だからこそそれは成立してしかるべきなのだ
問いかけをする人間の頭の中を読むだけのクイズショウ
上等だ、暗記問題なんかよりよっぽど上等だ
それに気付いてやっと俺は二本足だ
ベッドの上で押さえつけられる胸が苦しい
夏の息詰まる充満した無音に窒息して死にそうだ
暑さ、熱気、立ち込める気配、足音、耳鳴り、血液の巡る音、
そこら中の、何か何者か物か何物か
そいつの三本の足は杖なんかではなくて
人の首を絞める手が二本と
その手がないと自分を支えることすらできない足が一本
かの答えがもしもそれだったならあまりに残酷だ
「人間」になりきれずに夜も暮れてしまった三本足も
それが何かと問われれば「人間」と呼ぶ他はなくて
だからこそ「人間」だとやっと答えを出すことができるし
そして次に同じ問いをされたときそれはもう答えではない
眼球が震えるのと同時に現実が帰ってくる
飛び起きるほどの気力は残ってなくて
身じろぎをして身体も俺に帰ってきたことを確かめる
そっと窓を開けて空気がわずかに動くのを感じて息をする
びしょ濡れになったシーツと寝間着には
さっきまで俺だったものがぐっしょりと染みついていて
俺は新しく俺になるペットボトルの水をがぶがぶ飲んで
仕方ないから着替えてもう一度横になる
夏は人格をつくるものと誰かが言ったか
こんなに垂れ流して生理的に液体の激しく流動する中で
変わらないものを見つけることこそが自分だからかな
汗といっしょにいろんなものがこぼれては俺を通り過ぎていく
毎晩のようにうなされるのをやりすごし
秋が恋しくなりながら早朝の鳥の声を聞く
三本足の獣は今日も獲物を探しては
仮の名を積み重ねて夏の試練を問い続ける




