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セ・ラヴィ ~C'est la vie~  作者: 可名希
第1話「世界は光に頼れない」
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1話 - Ⅲ

 放課後。黒斗は一人、自転車を漕いでいた。現在、寄り道中。

 そのまま帰路に着こうかと思った彼なのだが、何の気なしに、ぶらぶらしたくなった。

 伊藤の話を聞いたせいだろうか。


(無力化してると、嫌でも息抜きしたくなる。オレは、あと何回、何回やれば……――)


 日常を保ちつつ、異常を続けるためには、こういったことが必要なのだと、黒斗は重々理解している。

 何処に行きたい訳でもなく、ただただ、うろ覚えの景色を横切るだけ。特に考えることを必要としないこの行為は、余裕のない心の息抜きにはちょうど良かった。車でドライブ(息抜き)する人も、ひょっとしたらこんな風に、心に空白を与えたいのだろうか。

 空気抵抗が前髪を仰け反らせ、黒斗はぼんやりとした瞳で街の風景を見やった。

 片側二車線の道路。コンビニやファミレス、本屋だったりレンタルビデオ店だったり、どこにでもありがちな、街の大通り。


(…………ん?)


 黒斗は、何か些細な違和感を感じた。気のせいだと思い、そのまま無視する。


(――っ!?)


 違う。あの声だ。あの声が心に振動を送っている。

 得体もしれない謎の声。ここ何日の間、快眠を妨げている元凶は、今までのものよりも圧倒的に鮮明で、脳内に囁くような声でありながら、しかしはっきりとした思念を訴えかけるような強制力も伴っていた。


『fac, quod rectum est, dic, quod verum est!』


(なんだよこの言葉。くそ、耳障りだ)


 いよいよ頭痛まで引き起こされ、とても安全運転できるような状態ではないと判断した黒斗は、ややよろめきながら自転車から降りた。ふらつく視界で、どこか適当に休憩できるスペースがないか探したが、こういう時に限ってどこにも見当たらず、彼は車体を支えにしながら歩くことにした。

 そしてこの時、石杖黒斗は妙な感覚に見舞われていた。


(呼ばれている、のか? 誰にだよ?)


 無知な理性は置いてけぼりにされ、本能だけは行き先を知っているかのように、彼の歩は勝手に進んでいく。一抹の不安を抱えながら、それでも逆らう意思もない彼は、その本能に従った。

 車体を押す手が、左折を望んでいる。コンビニの手前にある、車一台が通れそうな道。そこを通ると、大通りの賑わいから一転し、嘘みたいに静かになっていった。


 一軒家の柵から飛び出ている、手入れがなっていない観葉植物。

 錆び付いたママチャリ。古びた軽自動車。

 石杖黒斗は、この時になって、やっと思い出した。

 大通りにしろ、この脇道にしろ、どこかで見た景色のような気がしていたが、この道は、母方の祖父の墓参りに行く際に使用する道だった。


『おじいちゃんはね、黒斗が生まれる少し前に、死んでしまったの』


 いつの日だったか、祖父について自分が質問したとき、もうすでにこの世にいないと母から聞かされたのだが、それを不憫に思ったのだろうか、母は毎年、自分をここに連れて来てくれた。

 といっても、母と一緒に行ったのは、せいぜい指で数えられる程度で、一番新しい展墓でさえも、かれこれ5年近く前にまで遡ってしまう。


(うろ覚えだったのも、納得だぜ) 


 あまり気乗りじゃなかった母の顔は、今でも克明に思い出せる。

 ひょっとしたら、仲が悪かったのかもしれない。

 子供だったから、無神経な部分もあったが、何となくそれを察したのが5年前で、それ以降、ここに来たいとは言わなくなった。


『deus videt te non sentientem!』


 黒斗は思わず、耳を押さえた。

 しかし、この脳に直接響くような声は、耳を塞いだところで無意味に終わる。

 無駄な行動をしたと悔やみ、彼はとにかく前進することに神経を注いだ。

 なぜだか分からないが、祖父の墓に行くべきなのは分かった。

 朧げだが、行き方も覚えている。まっすぐ進めば、雑木林で生い茂った霊園の外苑部分が見えるはずだ。


「よし、合ってる」


 突き当たったら、今度は右折する。

 しばらくすると、左手に長い石階段が現れた。

 普段であれば、静寂に包まれた静謐な雰囲気を味わえるのだろうが、残念ながら今の黒斗の脳内はノイズで一杯だ。


『superanda omnis fortuna ferendo est!』


 黒斗は、階段のそばに自転車を置かせてもらい、少々不安だったが、すぐ戻るつもりだったので、荷物はカゴに放置したままにした。

 彼は段差に一歩足を踏み入れ、そのまま上を目指す。これを登りきれば、おそらく目的地であろう、祖父の眠る霊園にたどり着く。


 無駄に長い石階段だと、黒斗はふらつく思考で愚痴った。中腹まできたあたりで下を見下ろすと、置いてきた自転車が団子くらいの大きさになっていた。


 呼吸がかなり荒くなっていたが、体のコンディションになりふり構っている暇はなく、黒斗はぜいぜい言いながら最後の一段を登りきった。

 膝に手をつきながら前方を見ると、目の前には寺院が建てられており、その奥に霊園があった。

 そして今頃になって、黒斗は気付いた。

 祖父の墓石の場所までは覚えていない、ということに。


(――多分、あっちか?)


 幼い頃の記憶なのか、それとも、この不可思議な声に導かれているのか、いずれにせよ、彼は再び歩き出した。


 ――ドッ、ドッ、ドッ


 心臓の鼓動かと思った。しかし、これは違うと、即座に黒斗は否定した。

 もっと大きい振動だ。内から外に、自分の魂が出入りしているような、自分という存在自体が揺れている感覚。


 気付けば、目の前には、祖父の墓があった。

 会ったこともない。思い出もない。

 血の繋がりしか知らない、祖父と呼ばれる人物。


「なんでこんな場所に」


 虚ろな目つきだった。

 優しく、そっと、黒斗は墓石に触れた。


『Vitia erunt donec homines!』


「なんだ!?」


 突如、彼の立っている地面が光りだした。

 光はやがて地表を飛び抜け、彼の体を包み込んでいく。


「う、動けねえっ!?」


 体からは、みるみる力が抜けていき、立っているのがやっとの状態だった。

 石杖黒斗は思った。

 これは、もしかして天罰なのでは、と。

 この明らかに不自然なオカルト現象には、奇妙奇天烈な疑義しか湧いてこないが、どこか絶対絶命を予感させるほどの絶望感を彼に与えていることだけは確かだった。


 肉体を動かす感覚が凄まじい勢いで薄まっていくと、次いで意識までもが徐々に遠のいていく始末で、自信を取り囲んでいた周囲の現実が――曇り空や、暮石の鈍い黒光りや、備えられた仏花までもが――光に侵食されてしまった。


「ち、く、しょう」


 やり残していることなんて、まだ沢山あるのに。

 裁かなきゃいけない悪が、山積みなのに。

 なんでこんなところで、こんな訳もわからない理由で、死ななければならないのだろうか。


 悔しさが溢れる自我に反して、自己との繋がりはどんどん失われていく。

 とうとう、石杖黒斗の意識は、完全に堕ちた。

 やがて光も弱まり、地面から湧き出した薄明光線は消えて無くなった。

 全てが収束したとき、墓前にあった石杖黒斗の姿は、もうどこにもなかった。

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