プロローグ
26年の人生初の海外旅行で、行き先はハワイ。
社員旅行。
正直オレは浮かれていたと思う。
実質的に現地で遊べるのは二昼夜だけという、限られた日程だけど、気心の知れた同僚達と、それなりに有意義に過ごす予定だった。
もしチャンスが有ったら、気になる同期の女子社員を誘い出して、夕暮れの浜辺に二人っきりで……とか、実現性の低い妄想に浮かれまくっていた。
…………まさか、自分が乗ってた飛行機が、ピンポイントで墜落・大破炎上するなんて夢にも思わないもんよ。
死に際のことは正直あまり詳しく覚えてないが、突然の激しい揺れと浮遊感に……
(あ、コレは終わった……)
などと思った次の瞬間には、今まで経験したことの無い強烈な痛みが幾度と無く全身を襲い、あまりの痛みにオレが意識を手放すまで経過した時間は、恐らく十秒にも満たなかったんじゃないだろうか?
『――ブツンッ!』
テレビの電源を落としたかの様に、唐突に視界が暗転し、意識は闇に閉ざされた。
本当に不幸な出来事だったが、こうしてオレ……烏丸 芳樹は、その平凡で短い人生を終えたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
いったいどれだけの時間、五感の全てが『黒く・暗く』染められていたのかは分からない。
あるいは時間や、空間の概念すら『ソコ』には無かったのかも知れない。
ただただ闇に包まれたまま、あるいは自分自身も闇と同化したまま『ソコ』に漂っていた。
死んだらどうなる?
どこに行く?
なんて人並みに考えてみたこともあったけど、只々無明の暗闇だけが広がる世界……天使も悪魔も仏も鬼も『ソコ』には存在しなかった。
このまま永劫に続くかと思われた時は、しかし突如として『ソコ』を満たした爆発的な光によって、唐突に終わりを告げた。
激しい眩しさに襲われ……それと同時に、どこまでも昇っていくかのような感覚が訪れたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
…………気が付いた時には、見覚えのない部屋でベッドに横たわり、額には冷たく濡らされた、手拭いの様な布が置かれているようだ。
あたりを見回すと、枕元には、こちらに背を向けて、リンゴの様な果物の皮を、器用にナイフで剥いている、金髪の若い女性らしき後ろ姿が有った。
「う……うぅ、ここは…………?」
オレが何とか掠れた呻き声をあげると、果物を剥いていた女性はパッと振り向いて、心の底から嬉しそうに微笑みを浮かべた……のだが、彼女はオレが全く知らない女性だった。
「良かった。気が付いたのね。貴方ったら食事中に突然倒れたかと思ったら、酷い高熱だし、中々目を醒まさないし……本当に心配したのよ?」
相手の女性は、まるでオレを知っているような口振りだ。
しかし金髪の美人の知り合いなど、一人も居ないのは、悲しいことにハッキリと言い切れる。
第一、海外旅行も未経験のまま死んだのに。
……って、そうだった!
そう言えば、オレって事故で死んだハズなんだよ!
思わずガバッと起き上がると、その勢いで額から濡れた手拭いが、毛布の上に落下した。
手拭いを拾おうと右手を伸ばすが、そこで朧気に答えが分かってしまった。
……無いのだ。
小学生の時に、ガラスの破片で、親指の付け根に付いたハズの傷痕が、綺麗に無くなっている。
よくよく見れば、オレの腕にしては、かなり短くなって、ぷっくらして、色白で……明らかに幼児の腕のそれだった。
あまりのことに、目眩に襲われ、またベッドに倒れ込んでしまう。
「……あらあら、大丈夫? まだ、お熱が有るんだから、無理に起きないで、寝てて良いのよ」
「うん……」
「リンゴ、剥いておいたから、もし食べられそうなら、食べるのよ。……じゃあ、また後でね。私の可愛い、カインズ」
乱れた毛布を掛け直し、オレの頬に口付けすると、女性(恐らく母)は、部屋から出ていった。
取り残されたオレは、ようやく自分が次の人生(?)を、カインズというらしい少年として、生き始めていることを何となく自覚し始めていた。