生きる意味
僕の生きている意味ってあるんだろうか、昨日からこんなことを考え続けて眠れない。そんなことを考えて何の意味があるんだろう、考えるだけ無駄だ。何回もそう自分に言い聞かせた、しかし、僕の意思とは関係なく脳は考え続ける。
誰かに相談したい気分だ。相談できる相手は片手で足りる程度の人間しかいない。
僕は伊賀さんのいる会社へと向かった。
「あ?生きる意味だ?」
僕が会社に来るなり相談すると素っ頓狂な声を伊賀さんは上げた。変なことを言っただろうか。
「うん」
「そりゃ、お前、人それぞれだろうよ」
「伊賀さんの生きる意味って何か教えてよ」
「俺か・・・そうだな、金のためだ」
「金か」
「生きて働いている人間のほとんどはそうなんじゃないのか?金がなけりゃ生きていけないからな、もちろん大事なのは金だけじゃないがな」
「家族とか?」
伊賀さんは少しだけ寂しそうな目をした。そしてそれを誤魔化すかのように僕の頭を乱暴に撫でた。
「分からなくたっていいさ、きっと生きてりゃ嫌でも見つかる」
「・・・うん」
伊賀さんのその言葉に僕のもやもやは少しだけ晴れていった。伊賀さんにお礼を言って階段を下っていると殺し屋の仲間の一人に出会った。
「あら、真白じゃない」
「・・・千幸さん」
千幸さんは人懐っこい笑みを浮かべて僕に近づいてきた、甘い香水の匂いが鼻につく。黒のジャケットの下に着ているのは赤いYシャツ、ジャケットと同じ色のタイトな膝丈のスカートから伸びる脚は長く、全体から女性らしさを惜しみなくさらしている。
「仕事の相談に来たのかしら?」
「違う、伊賀さんに質問をしに来たんだ」
「あら、何の質問なのかしら、あたし興味あるなー」
目力の強い茶色い瞳に見つめられて僕は蛇ににらまれたネズミのように動けなくなってしまう。
そんな様子を見て千幸さんは小さく笑った。
「あたしにも聞かせてくれる?」
会社の近くの寂れたカフェに入って千幸さんにも伊賀さんと同じ質問をしてみた。千幸さんは僕の質問を聞いてにっこりと微笑んだ。
「生きている意味?考えたら負けよ」
「負け?なんで?」
「何でって、あんた、そりゃ考えたらきりなんてないからよ。そんなこと考えるよりも今の人生を楽しみなさい、後から後悔するわよ」
赤い爪を眺めながら千幸さんは言った。伊賀さんと同じように分からないらしい。
「そうか、ありがとう」
店員がコーヒーと紅茶を運んできた。コーヒーが僕で紅茶が千幸さんだ、目の前に置かれたコーヒーが湯気を立てながら香ばしい匂いを漂わせている。ミルクも入れないで飲む僕を千幸さんは眉をひそめて僕を見ていた。
「あんた、そんなに苦い飲み物よく飲めるわね」
「千幸さんは飲めないんだ」
「コーヒー牛乳は飲めるわよ」
飲めないと言われて癪に障ったのかよく分からない言い訳をした。
苦いがまずくはない、コーヒーの匂いが僕は好きだ。
「大人ね、真白は」
「そうなのか?」
「うん、あたしより大人みたいよ。あんたのほうが年下なのにね」
「コーヒーが飲めるから?」
そう言うと千幸さんは小さく苦笑して「違うわよ」と言った。
「そうじゃなくて精神的に大人ってこと」
「そういうことか・・・大人なのか、僕は」
「うん」
大人、僕みたいなのが大人なのだろうか。僕は同年代の人間とあまりかかわらないからよく分からない、糸は大人ではないように思える、危なっかしく目を離すとどこかに行ってしまう子供のようだ。
まだ、糸とは数回しか会って話したことがないが何となくわかってきた気がする。
「あんたの目、濁ってる、子供の目じゃないわ」
「え」
まっすぐに僕を見据えて千幸さんは言った。
「とっても、悲しい目ね」
そう言って千幸さんは立ち上がった。
「時間を取らせて悪かったわね。ゆっくり話せてよかった、じゃあね、お金は払っておくからゆっくりしなさいな」
「うん・・・じゃあ」
千幸さんは最後にまた微笑んで去って行った。
家に帰って鏡の前に立った。自分の目をよく見てみた、濁っているのだろうか、自分ではよくわからない。千幸さんとは違って黒い僕の目、自分では何も分からなかった。
今日はいろんなことが得られたと思う、生きる意味についてはあまり知ることができなかったが、生きていれば分かるらしいのでとりあえずはもう考えないようにしよう。いつか、分かる日が来ればいい、それまで気長に待つことにする。
それが僕の出した結論だった。