名前を教えて
少女と別れた帰り際にふと名前を知らないことを思い出した、明日はちゃんと聞こう。
でも、名前を聞くということは自分の名前を教えなければならないということだ。僕は自分の名前が大嫌いだ、真白という名前が今は気に入らない。
白という色から連想するのは人によって様々だと思うが共通して言えるのは純粋さだと僕は思う、今の僕にこの名前は似合わないだろう僕はもう真っ黒に染まってしまった人間だ。
「はあ・・・・」
偽名でも使おうかと考えたが思いつかない、それに少女に嘘をつくのは躊躇われた。
翌日の夜も僕は橋に向かっていた、橋の上に人影があって目をよく凝らして見てみるとそれは少女だった。
「やあ、今日は早いね」
「そうでしょ?」
得意げに少女は言った。そこまで得意げに話すことではないと思うのだけど。
「あのさ」
「何?」
「名前、教えてくれないか?」
「名前?教えてなかったっけ?」
「うん」
「そうだったねー、そういえばあなたの名前も知らないや」
咳払いをして少女は口を開いた。
「私の名前は糸だよ」
「糸か、いい名前だね」
「そう?あなたの名前は?」
「僕は・・・真白」
「真白?かわいい名前だね、とっても素敵ね」
男にかわいいってどうなんだろうか、少し微妙な心境だ。こういう時はお礼を言ったほうがいいのか、何も言わないほうがいいのか。
「ど、どうも・・・?」
「えへへ、どういたしまして」
糸、その名前にどんな意味が込められているのだろう、僕は他人の名前を聞くとそんなことをいつも考えてしまう。僕の名前にはどんな意味が込められているのか、もう知ることはできない。できたらもっと普通の名前がよかった。
何を考えて両親は僕にこんな名前を付けたのか、きっと何も考えずにつけたのだろうな、僕の両親はそんな人だった。
「糸ってどういう意味で付けられた名前か知ってる?」
「ううん、聞いたことないよ」
「そっか」
「何でそんなこと聞くの?」
「何となく気になっただけ」
「ふーん、じゃあ真白は知ってるの?」
「知らない」
名前ってその人を表すものだと何かの本で読んだことがある、その理屈は僕には当てはまらないから違和感を感じてしまう。それは僕が捻くれた考えをしているからだろうか、目の前の少女を見ながら思う。
「どうしたの?」
糸は僕の名前を素敵と褒めてくれた、でもそれは僕のことを全く知らないからだ。きっと僕が人を殺す仕事をしていると知ったら糸はきっと僕を軽蔑するだろうな。
「ねえ、大丈夫?」
「え・・・」
「考え事してたの?」
僕は無理やり口角を上げて笑顔を作って見せた。
「うん、ちょっとね」
「そっか」
僕らの間に沈黙が広がっていく、何となく気まずい雰囲気が漂う。隣に立つ糸を横目で見る、糸はこの沈黙を全く気にしていないようだった。どうやら気にしていたのは僕だけのようだ。そう考えると不思議と沈黙も気まずいと感じなくなった、むしろ心地よくも感じる。沈黙が心地いいなんて自分でも変だと思う、だけど本当に心地が良かった。
冷たい風が僕らの体温を奪っていく、手はかじかんで痛いくらいだ。
「寒くなったねー」
「そうだな、そろそろ帰るか」
「もう帰っちゃうの?」
「まあ、寒いし、風邪ひいたらいけないだろ?」
「・・・そうだね」
暗い影の差した顔で糸は言った。もしかしたら帰りたくないのだろうか、しかしそんなことを言われても困る。もう夜も遅いし、外は寒くなっていくだろう、そんな中二人でぼんやりと外で突っ立っていても風邪をひくだけだ。
「また明日来るから今日はもう帰ろう」
「うん」
風が僕らをこの場所から追い払うかのように強く吹きつけた。
会えば会うほどに糸という人物がつかめない。何を目的として僕と会っているのか、どうして僕なのか、知りたいような知りたくないような。
死にたがりの少女は今日も生きている、そして僕と明日を約束した。
そんな約束は破ろうと思えば破れる、僕でも糸でも。ただ何故だろうか、僕は破れそうにない、人をたくさん殺してきた僕が何故こんな思いをしているのか。
「はあ・・・」
溜息が外に白くなって吐き出される。
その白が夜の闇にじんわりと優しく溶けていった。ああ、僕もあんな風に消えてしまいたい。
僕に自殺願望はない、時折消えてしまいたいとは思うが死にたいとは思ったことはない。僕はこれといった生きる目的はないのだけどそれでも死にたいとは思わない、ぼんやりと生きていると言ったらしっくりくるだろうか。
道行く人たちは足早に僕の隣を通り過ぎていく。皆早歩きで忙しそうだ。この人たちは何を思って何のために生きているのだろうか。家族だろうか、恋人だろうか、それとも自分のためだろうか。
僕は何のために生きているんだろう、他人のためでも自分のためでもない気がする。
「僕の生きる意味って・・・」
人を殺すためなのだろうか。
そんなの僕以外の人間にしてみたらはた迷惑な話だ、思わず苦笑する。