「殺して」
最終回は次回になりました・・・。
糸に連れてこられたのは公園だった。雨の日の公園には人はいない。
「よいしょっと……」
糸はブランコに座った。傘も差さずに勢いよくブランコをこぐ糸の姿はまるで小さな子供のようだった。
「風邪引くぞ」
「大丈夫だって!」
今日は妙に元気な糸、何故だか嫌な予感がする。
ブランコから飛び降りた糸は雨で滑りやすくなった地面に着地を失敗して泥だらけになった。
「あーあー、失敗しちゃった」
「何やってるんだよ」
「えへへ」
転んだ糸に手をさしのべる、掴んだ手は驚くほど冷たかった。
転んで泥だらけになっても笑う糸が少しだけ不気味に思えた。
「ところで、お願いってなんだ」
「ん?何でしょうね」
「早く言ってくれ」
「ふふっ慌てないでよ、真白くんにプレゼント買ったんだよ」
糸が取り出したのは細長い白い箱に赤いリボンで飾り付けた物だった。
「ありがとう、でも何で……」
誕生日でも何でもないしどうして糸が僕にプレゼントを渡すのだろう、不思議に思いながらも受けとる。
「開けてみて」
「うん」
赤いリボンを紐解き、箱の蓋を開けるとそこにはプレゼントというにはあまりに相応しくない物が入っていた。
銀色に鈍く光るサバイバルナイフ、それと糸を見比べる。糸は微笑んで言った。
「お願いだよ」
「は……?」
くすりと小さく笑う糸、僕はまだ状況を理解しきれていない。
「殺して」
あまりにも軽く言うので一瞬事の重大さを理解することができずにいた。
「何いってるんだよ、殺せるわけないだろ!」
「殺せるでしょ?あの人も殺したんだから」
確かに僕は殺し屋だが、糸は僕の友達だ。それとこれとは話が別である。
銀色のナイフを糸の真っ赤な血で染めると考えるとおぞましかった。
「糸は僕の友達だから、殺せない」
「真白くんは私以外の人だったら殺すの?同じ人間の命なのに、その人たちのは奪っちゃうの?変わらないじゃない」
「……とにかく、僕は糸を殺せないから」
「私は、真白くんに殺されたいの」
糸から狂気を感じる、逃げたいが蛇に睨まれた蛙のごとく僕の足は動かない。
そんな僕から糸はナイフを取り、僕の手に優しく握らせた。
「好きだよ、真白くん……殺して」
「糸……」
突然の告白に僕は狼狽えた。どう答えたらいいのだろう。
「私、初めて人を好きになったの」
白い肌がうっすらと桜色染まる。
告白など僕は初めてでどう反応すれば良いのか分からずにただ糸の話を聞いていた。
「大好きな人に、殺してほしいって思うようになったの」
なんて残酷な望みなのだろう。できることなら糸の願いを叶えてあげたい。しかし、この願いは僕には叶えてあげることができないだろう。
当然だ、僕は糸が大切なのだから。
「……僕も糸が好きだ」
「本当?」
「うん、願いも叶えてあげたい。けど殺すと言う願いは無理だ。」
「……そっか、残念」
糸は僕の手を優しく包み込む。よかった、これで僕は糸を殺さないですむ。
安心した途端、腕を勢いよく引っ張られた、声をあげる暇もないまま、ずぶりと肉を突き刺す感触が伝わってくる。
「ごめんね」
「糸……何して……」
嬉しそうに笑う糸、僕の手は糸の血で真っ赤だった。僕はただ呆然と糸の血に染まる腹を見ることしかできなかった。
「ふふ、幸せだなぁ」
「……これが、糸の幸せなのか?」
こくりと糸は頷く。
「そうか、そうなのか……」
糸が喜んでくれるのなら僕は糸を殺してもいいのだろうか、いや、よくないだろう。でも今の糸は今までで見てきた中で一番幸せそうだった。
これが糸の幸せなのだろうか、それならばこのまま僕は糸を見送った方がいいのか。
僕にはもうわからなかった。
小さくて微かに震える手をそっと握る、冷たい、糸の手には力が入っていなかった。
「本当に、これが幸せなんだな?」
「う、ん……」
「そうか……」
それから僕らはお互いに一言も言葉を交わすことはなかった。
「ごめん、ね」
糸の手が僕の手の中からするりと抜け落ちる。命の途絶えた合図だった。
「嫌だ、やっぱり、こんなの嫌だっ……」
どんなに後悔しても、悲しんでも、時間を巻き戻したいと思っても一度死んだ人間がよみがえることはない。
身勝手と思われるだろう。
散々人を殺してきた僕が泣くのを僕に殺された人間はどんな風に見ているだろう。
僕が死ぬことで糸が生き返るのなら喜んで僕は自分の命を捧げることができるだろう、しかし、漫画ではない、ここは現実だ、そんなことは天地がひっくり返ってもできない。
頭では分かっている。
ただ、僕の心がついてこないだ。
「ごめん、ごめんな、糸……」
僕は結局糸の命を救えなかった、あれだけ偉そうに止めるとか言っていた僕が糸を殺した。
後ろから足音が聞こえた、ふと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「あーあ、何やってんのよ、真白くん」
「千幸さん……」
「これが噂の友達かしら?ずいぶん可愛い子ね」
友達、という言葉に胸が痛んだ。
「僕が殺し屋じゃなかったら、こうならなかったのかな」
「……どっちにしろこの子は死ぬ運命だったのよ、死にたがりだったんでしょ?だったら止められないわ、当然よ、私言ったはずよね?人の心はそう簡単には変われないものだって」
「……分かってるよ、だけど!」
「だけど?」
どこかで僕は信じていたんだ、いつか糸が生きる楽しみを見つけてくれることを、祈っていたんだ、明日も糸に生きていてほしいと。
「とりあえず、伊賀さんに連絡してみるわ。待っててちょうだい」
放心状態の僕はふと隣に落ちてあったナイフを見つけた。
こんなもの一つで人は死ぬ、僕の心臓をこれで刺せば――
「糸のところに行けるかな……」
柄を固く握りしめ刃先を自分に向けてみる、不思議と恐怖はない。今なら迷うことなく刺せる。
目を閉じて刃先を近づける。怖くない、大丈夫だ――
糸、僕も死ぬよ。
君と同じ場所には行けないかもしれないけれど。