005.戦う人形
――剣戟。
金属と金属の擦れ合う金切り声が周囲を満たしている。人々の呼気が空気に熱を伝え、むせ返るような熱気と息苦しさを作り上げる。怒声が響き、悲鳴が聞こえ、嘲笑と落胆がその合間を埋める。
「オラァッ!」
息を吐き出すと同時に鋭い蹴りが繰り出され、重苦しい鎧の男がよろめきを見せる。作り上げた隙を見逃すことなく、蹴りを繰り出した男はその無防備にも晒された胴部を全力で叩き切った。
ガツンという重たい音と同時に「グエッ!」とカエルを潰したような声が聞こえ、鎧の男はその場に倒れ伏した。
「勝者っ! アドリア・フェデリアッ!」
その宣言が下った瞬間、二人の男を取り囲んでいた黒山の人だかりから大きな歓声が響く。
「まーたアドリアの勝ちかよ」
「クソッ! 今晩の酒代摩っちまった!」
「へへーん、俺は明日の酒代まで手に入れたぜ」
熱気はそう易々とは消えてはくれず、戦いを終えてもしばしその姿を残したままだった。そんな周囲の喧騒に巻き込まれることもなく、アドリアと呼ばれた男は厳めしい冑を外して額に浮かんだ汗を拭った。息を切らせた様子もなく、つい今しがたの打ち合いもまるでなかったかのようだ。長身に痩躯、赤というよりはオレンジに近い朱の髪。整った、と言うまでもないが崩れているまでとは言わない。簡単に言ってしまうと十人並みの平凡な顔。日に焼けたのか少し肌が黒い。そして、つり上がった目はどこか狐を思い起こさせる。
「あなたは剣に頼りすぎですね」
アドリアは倒れ伏した男にすっと手を伸ばす。嫌っているというわけでもなければ稽古が終わればただの仲間。手を貸さない理由はなかった。
「……そんなにほいほい切り替えられるもんじゃないだろ」
ばつの悪そうな顔でそう言いながらも素直にその手を握った男はアドリアの助けを借りてサッと立ち上がる。がすぐに顔を顰めて脇腹を押さえた。
「っと大丈夫ですか?」
「打ち込んだ本人がそれを言うか?」
相変わらず苦笑が剥がれることはなく、気遣う様子のアドリアに大丈夫だのジェスチャーを送ると男は人だかりの向こう側へと消えた。
アドリアは思考する。悪い癖だ。分かってはいる。分かってはいても、体が身勝手に行動を起こしてしまうのだ。心と体の向こう側で、アドリアの意思だけだ置き去りにされている。そんな錯覚すら覚える。
未だに残った人垣と熱気が、唐突に水を打ったように静まり返り、その円陣はモーゼがしたように滑らかに道を開いた。
その先から現れたのは蒼の青年。アドリアよりも三つは年下であろうその容貌も、対峙すれば年齢に分不相応の覇気を纏っていることが分かる。
「少し五月蝿いようだが?」
そう言って周囲を見渡す。大半が青年よりも年上であるはずなのに、一切の反意も見られない。それだけこの青年に覚えるところがあるのだろうか。
「アークたーいちょ。みーんなドン引いてまっすよー?」
「そうですにゃ。みんにゃにゃかよく、にゃ」
一瞬張りつめた空気を取り払うように二人が人垣の合間から合いの手を入れる。一人は中学生ほどのパーマがかった亜麻色の髪がピョンピョンと暴れまわっている少年。もう一人はキジトラ模様の長毛をした猫人の女性だ。
「アレクサンドラにレオンハルトか」
「やーん、そのにゃまえじゃにゃくてにゃーって呼んで欲しいって言ってるのにゃ。にゃんど言えば分かるのにゃ」
「五月蝿いレオナルド」
「もはや違うにゃまえにゃ!」
駄々を捏ねる猫人をアークはバッサリと一切り、なます切りにする。しかしその程度ではレオもまた挫けない。そのような繊細な心を持っていたところで、現在所属している隊ではやっていけないだろう。
「タイチョの頑固もにょー。……でもそこがまた可愛いのにゃ。ポッ」
「魔法込みでし合うか?」
「魔法込みじゃタイチョの圧勝にゃ。せめて体術だけにしてほしいのにゃ」
怒りの態度も何のその、軽くいなして何事もなかったかのように振る舞う。あまつさえ軽口を叩いてみせる。
どうせ怒ったところでなんの意味もないことを理解していたアークは、関わらないことが最善であるかのようにレオの一切を無視することにした。
「アークたーいちょ。たーいちょも打ち合ったらー?」
間延びした呼称で言うのはアレクサンドラ、もといアルはチョイと首をアドリアに向ける。それが意図するのはアークとアドリアの一騎討ちだ。
その提案に静まり返っていた周囲がざわめき始める。
「アドリアとアーク隊長が?」
「流石に勝てないだろ」
「だが俺はアドリアに百ガルだ」
「お前はやめておけ……」
呆れたようにアルは視線を周囲に走らせる。
「ほーらね。どーせっ、今日はお祭りみたいーなもんだよ。まっともな訓練になるはずなかったんだよー」
呑気な様子のアルの言葉と裏腹に、周囲のふざけた空気が一転した。
「オイガキ、それは流石に聞き捨てならねーなぁ」
「≪特務隊≫だからって調子に乗ってんじゃねえぞ?」
「おっとー、こっわこわ。それじゃアークたーいちょ、俺は向っこーでちょっとー打ち合って来ーるよ」
そう言い残しアルは人垣を抜け出して空いたスペースへと歩み出す。それに釣られるようにしてこの場を離れていくのは、今しがたの挑発を買った者たちだろう。少なくとも二桁はいる。それは小柄な少年にとっては絶望的な人数の筈だ。しかしアークはそれに微塵も心配した様子を見せず、視線を切り替えてアドリアへと向き合う。
「手合わせ願おう」
アドリアは首肯した。
再び身重になった体の調子を確かめる。今度の相手は余裕を持って対峙できる相手ではなく、それこそ胸を借りると言っていいほど力の差は歴然だ。その力の差を認識し、そして逸る心を宥める。
(落ち着け、冷静になれ)
「準備はいいか?」
「はい! いつでも!」
かけられた言葉に肯定の意思を返す。
「それでは――」
審判を買って出た兵の声が朗々と響く。構える。見据える。思考する。
「始めっ!」
瞬間、アドリアはアークに向かって飛び出していた。五メートルはあった距離が三歩目にして既に互いの殺傷圏内へと収まっていた。重たいはずの鎧を身に纏っているにも関わらず、その速さは風を置き去りにする。助走でいつの間に整えたのか剣を上段に構え、渾身の袈裟斬りを放つ。
「ガアアッ!」
口からは咆哮が漏れ、滾った血潮が体を熱くさせる。全力を乗せた一撃はアークの剣と一瞬の拮抗を見せたが、すぐにアドリアの一太刀がアークの剣を押しやった――と、傍目には思えただろう。実際はアークが力に対抗して押し返した直後に力を全力で抜いただけだ。同時に体の位置を僅かに変え、左上段からの刃の軌道からその身を逸らした。
一瞬押し返されたことで拮抗を破ろうと力んだアドリアは虚空に向かって全力で振り下ろしていた。当然それ以外の箇所には全くの無防備であり、完全に右半身――懐を取られた時点で勝敗は決したはずだった。
しかしアドリアはその踏み込んだ右足に乗る体重を無理矢理左足を追ってそちらへと重心を移し、弧を描くようにして右足を後ろへと引きながら力任せに剣を左から右へと薙ぐ。
「ゼッ!」
体重の乗りきっていないそれはアークが完全に受け止め、不安定な右足を無視して重心の乗っている左足を掬い上げるようにして思い切り蹴り払った。
見えてはいた。完全にその足の軌道は読めていた。しかしアドリアは横から叩き付けた剣でアークの剣を全力で抑えなければ、それが自らを貫くことを知っていた。だから軸足である左足から力を抜くことは出来なかった。故に回避行動も起こせず、素直にアークの一撃を受けたのだ。
「ガッ!」
体は地面に叩き付けられ、一瞬白んだ後に目の前に突き付けられる銀を垣間見て、アドリアは自身の敗北を理解した。
「勝者っ!アーク・レイディアスッ!」
そのジャッジの声に息を詰まらせるようにして観戦していた周囲の人々は、おお、だのやっぱり、だのと今しがたの試合をそう評価していた。
「速さだけは断トツなんだが――」
「それだけじゃダメなんだろ」
「今月の酒代が……」
「そうなるわな」
あれやこれやと雑多な声が聞こえ始め、青天井を見上げていたアドリアの中に冷静さが舞い戻る。
「えっと、アーク隊長、お手合わせ頂きありがとうございました」
スクッと上半身を起こし、立ち上がろうとして足に痺れが走ったことで起立を諦めた。あまりにも短い一合にアークは汗も流さず、息も切らさずにいた。一方のアドリアは息を止めた瞬間的な攻撃によって、心臓は猛烈な勢いで打ち、息もやや乱れている。
「今暫くは立たなくてもいい」
「……ありがとうございます」
アークは一瞬だけアドリアへ視線を投げ、すぐにそれをアルの元へと向けた。
人が右から左へ、左から右へ、時には上へと飛ばされていた。そしてその奇妙な光景を生み出しているのはあどけなさの残る彼の少年だ。
「……化け物ですね」
「あいつは体術の天才だからな」
アドリアの言葉にアークも同意の言葉を重ねた。
その少年は打ち合いだと言うのに何故かその手に得物はなく、ただの徒手空拳で幾人も相手にしている。
「ただまずいのは、あいつの打撃は鎧を貫通することだな」
「……え?」
アークのさりげない一言にアドリアは硬直する。
現在この場にいる騎士が着用している鎧は、本来の機能に加えて魔法によってその衝撃を十分の一以下に抑えている。これによって例え全力の訓練であっても、死者はほぼゼロに抑えることが出来ている。
「……まさか誰か死んだりはしないですよね?」
「その程度の加減は流石のアレクサンドラでも分かっているだろう。これも痛み分け、というところか。……そんなことよりお前自身の事だ。分かっているのだろう?」
アークはアドリアを顧みることもなくそう言った。途端にアドリアの表情に苦いものが浮かぶ。
「……分かってます」
「確かにお前の長所はその早さだ。上背もあって振り下ろしは最大限力を引き出すだろう」
「はい」
「それだけである程度力の拮抗している相手ならば問答無用で勝てるだろう。まずはその速さに追いつけないからな」
「はい」
「だが実力が上の相手には全く通用しない。それを忘れるな」
「承知しております……」
言うべき言葉は全て告げたとばかりに踵を翻し、アドリア背を向けて逆の方向へと歩き出す。
ふとその足が止まり、アークは振り返ってアドリアに目を向けた。
「お前は誰と戦っている?」
――そんなもの対峙している相手だ。そう言いかけて、過去の亡霊しか見出だせないことに気が付き、アドリアは愕然とした。
「やっぱりいけ好かねぇな」
アドリアに語りかけるのは目の下に三本の爪痕のをアクセントにした厳つい表情の男。焦茶の短髪に鳶色の瞳。眼光は鋭く騎士と言うにはあまりにも粗暴だ。見てくれだけで言えば、山賊や盗賊に近い。
「あの人は正しいですよ」
「……それぐらい、俺だって弁えてるさ」
そう答える男の表情は苦々しい。誰しもが自身を悪だと真に理解するのは苦しいものがある。男はその考えが理に適わないことくらい承知の上だった。
「ただ……気に食わねえんだよ」
「何ですかそれは」
呆れた様子でアドリアは男の様子を窺う。それが癪なのか、男は身を捩ってみせた。
「あんだけの力を持ってるのに、満足してないって言うか……」
「向上心が有るってことでしょう」
「そうじゃねえよ。ただ、底が見えねえ気持ち悪さっつーのか……」
「それこそ曖昧ですね。それに貪欲と言うのなら俺も同じでしょう」
「お前のとはまた違うんだよ。んー……あー……わっかんねー!」
考えることを放棄して男が頭を掻き毟る。その様態の男をアドリアは困惑と呆れの入り混じった視線で眺める。
しかしそこで男は急に何かを思い付いたかのように表情を明るくした。それこそが正解であり、行き着くべき答えだったとでも確信しているようだった。
「そうだ! あいつの求める力って言うのは守るための力じゃねえんだよ!」
「また曖昧な……」
「でもお前の求める力って言うのは守るための力だろ?」
「……」
男の言葉にアドリアは沈黙した。守る力。――それは誰を? ふと自身が己に尋ねては薄れてゆくように消える。その答えをアドリアは、持っていない。けれど力を得た先に答えがあるような気がして、ただ闇雲に強さを求めている。
「だから俺は……」
「まだまだ強くならなくちゃならない、か?」
「……」
「お前はいつも話がすぐ変わる。俺じゃなかったら着いてこれねーぞ?」
「別にこの話には着いてこなくてもいいですよ?」
「いいや。お前はもう少し正直に吐き出すべきだと思うぜ?」
「俺、そんなにひねくれてますか?」
「いいや。真っ直ぐだ。……けどすぐにひねそうになる。見てるこっちの方が心配になる」
「……」
「それに」
重苦しくなった空気を取っ払おうとしたのか、男は急に声を大にした。間近にいたアドリアはその行為に眉を潜めて難色を示すが、男はそれを全く気にしない。
「俺からしてみればお前は十分強いさ。常識外と戦うならそう負けないだろ」
「それじゃあ駄目なんです!」
アドリアは男の言葉を強く否定した。その思いは決して否定されてはいけない、譲ることの出来ない絶対不可侵。そしてアドリアの、生きるための寄辺。答えは見付けられずとも、そこだけは己が身体から覚えているものだ。
そのためには圧倒的に足りないものがあった。戦闘における冷静さ。その欠如。怒りに支配された四肢と思考。常に振るう剣には理性がなく、あるいは獣のように。蹴り出す足は地面を抉り、打ち出す拳は敵を穿ち、繰り出す剣戟は命を断ち切る。
そこに洗練された美麗な技術はなく、躍り狂う人形のように滑稽に身体を駆使している。
そうだ、それは人ではない。ただの戦う人形だ。思考することに怯え、敗北を想像することを忌避し、自らの責任を放棄しているのだ。
恨めしいとは思いつつも、それを完全には捨てきることは出来ない自身。もどかしさを感じつつも、堅い殻の内側に隠ったままなのだ。
「俺は……もっと……!」
握りしめる拳を見据え、力の足りない自身の不甲斐なさを恥じる。
その視界は急遽、外的要因から妨げられた。
「うりゃっ!」
こめかみに拳の軽い一撃。痛くはないが痒くもない、絶妙な力加減を以てして与えられたそれは、アドリアの狭まった視界を再び広げることに成功した。
「何するんですか!」
「あんまり深く考えすぎんなよ」
「何を言っているんですか! そんなこと出来るわけないでしょう!」
無責任なその言葉にアドリアの表情は苛立ちを隠せずにいた。しかしその男の表情は余裕を浮かべている。
「時には視点を変えて見ることも大事だろ?」
ニヤリ、と悪党面が微笑んだ。
「それにしても副隊長はどうしたんだろうな?」
「女でも引っ張り込んでるんじゃねえ?」
「ははっ、しっぽりむふふってやつか?」
「かーっ! 羨ましいぜ!」
「昼間から元気だな」
「ああー! 俺もハッスルしてえな!」
「お前溜まってんじゃねえ?」
「今日発散しにいくか! 最近可愛い娘が入ったってよ」
「おっ、いいねぇ」
騎士たちの下世話な話題は喧騒の中に消え、誰の耳にも止まらずに色褪せていった。
「へっくし!」
「唾」
「うわ、単語で酷い」
沙雪が目の前でくしゃみをしたヴェルデをバッサリと切って捨てていた。
噂の副隊長は、女の子を部屋に招き入れていたとかどうとか、真しやかに囁かれていた。