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Shade  作者: 柏木大翔
第一章
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001.求メ求ム

 ザワザワと世界がざわめいている。色彩鮮やかに様変わりする世界は万華鏡の世界のように幻想的だ。ともすれば虹とまごうばかりの色相環は明確な何かを形作ることもなく、ただ曖昧に移り変わり光を放つだけであった。正しくはそれは幻想ではなく、深い眠りの海底で見る夢の一葉であった。

 燦然と煌めくその景色の中に踊る一人の少女。何が彼女をそこまで歓喜させるのか、歓声を上げて無防備にも無邪気に、愛くるしくはしゃぎまわっている。視界を巡らせば釣られるようにもう一人の少女も踊り狂っているのが分かる。真似る少女は何も考えず、ただただ無邪気にはしゃいでいる。

(ああ、楽しいなぁ)

 西島にしじま 沙雪さゆきは夢を見ていた。楽しいと思っているはずなのに何がそんなに楽しいのか、夢の中の出来事の所以なのか判然とはしない。しかしそれが『楽しいこと』であるのには変わりない。その少女といるだけで楽しい。『楽しいこと』は楽しいことだから難しいことなんて考えなくていい。そう結論付けて沙雪は踊る。

 嬌声が響く。沙雪も従うように声を上げる。歓喜、歓喜、歓喜。歓び喜ぶ。さて、こんなに声を上げてはしゃぐのはいつ以来だったか――

 煌くように世界が一段と輝いたその刹那、突如世界が反転、視界が真紅に染まる。誰かの泣き声が聞こえる。助けを求めている。怒声が、悲鳴が、サイレンが、沙雪の耳に突き刺さっては通り過ぎてゆく。突然の事態に語るべき言葉も思考回路も失ってしまう。想像を超えた・・・非日常に呆然としていたのかもしれない。あるいは――

『うそつき』

 薄暗い心の底で歓喜していたのかもしれない。



 重力が身体をベッドへと縛り付けている感覚を無視して飛び跳ねる。覚醒は唐突で、夢の残滓は未だに頭を侵食するように沙雪を苛ませる。

(サイアク……)

 夢見は最悪であった。沙雪は心の中でそうぼやく。動悸は早くまるで一頻しきりの運動をこなしてきたかのようであった。

 その夢はとうに記憶から消し去ったもの。そのはずなのに何度も何度も、忘れた頃を見計ったかのように繰り返される。それはまるで断罪のように何度も、呆れるほどに執拗に与えられる。忘れようとも許されることのない、罪の記憶。

 グッと下腹部に力を入れ、胸の中をグルグルと渦巻いていた得体の知れない感覚を誤魔化す。気色の悪い感覚を堪えつつも手のひらに食い込んだ爪をようやく認識し、宥めるようにしてその力をゆっくりと抜いた。同時にフッといつも通りの息遣いが戻る。意識していないうちに息を止めていたことにもようやく気がついたらしい。息苦しさを整えるようにして何度も空気を吸い込んでは吐き出す。それは自身の命を確かめているかのような光景でもあった。そして同時に、失望したような表情が零れる。

 吸い込んだ空気は冷たく重い。厚くてやや重いカーテンを横に押し開くと窓ガラスは結露にまみれ、外の世界を臨むことは叶わない。指先で縦に直線を一本引いてみた。水滴がツッと一滴、涙のように零れ落ちた。今日も世界は寒いのだろう――


 高校も入学してから早八ヶ月。時期は既に冬を迎え、通うべき学び舎は既に冬休みという名の怠惰を迎えていた。受験を控えない学生の大半はこの期間を自堕落に過ごしていくのだろうが、沙雪にとってはそうはいくはずもなかった。

 視線をずらした先には六時三十二分と表示された目覚まし時計。いつもの自習室が開くまでにはあと二時間半ほどはある。それまでの時間を考えるとため息を零さずにはいられなかった。


 沙雪は塾へ通っている。自習室と言うのも塾備付のものであり、勉学熱心な生徒には無償に解放されている。冷暖房完備、過去問充実。周囲は意識の高い生徒で編成されているため、もの静かな環境が保たれつつも張りつめた空気が充満している。その熱心・・な生徒に名を連ねているように成績は決して悪くはない。むしろ好成績を常にキープしているレベルだ。それを鼻にかけることもなく、ありのまま当然として沙雪は受け入れている。それでもなお勉学に励むのは、学力向上のためでも親の目を気にしてのものでもなかった。努力を続けるための習慣付け、とでも言ったところであろうか。その習慣は既に癖と言い換えていい程に沙雪に馴染んでいる。それはある種の才能とも呼べるものだが、対して沙雪本人の認識では『その程度』というものでしかない。人とは持つものに関しては無頓着であり、持たざるものに関しては執着を見せる。それは知らずのうちに他者から妬みや嫉みを買っていることに他ならない。しかし沙雪自身はそんなことにも無頓着であり結局のところ露知らずの様態であった。

 行く末は日本一の大学。この習慣の行きつく先は当然それしかなく、沙雪もそれを確信していたし周囲もそれを当然のものと信じきっていた。そして盲信するように今日も今日とて机へと張り付き、機械的に日々をこなす。


 ***


 文字を描き続けていたシャープペンシルが思い出したかのようにその動作を止めた。気が付けば時計は既に八時を示してる。沙雪は手元に置いておいた消しゴムを指で軽く弾く。ほんの些細で幼稚なそれを合図に焚いていた暖房を止め、参考書を閉じると軽く息を吐き出す。数式や単語に支配されていた脳が解放され、俗物にまみれた日常が復帰する。緩やかな動作で立ち上がり、そんな世界を憂慮するような重い足取りで沙雪は階下へと降りてゆく。


 食卓では父と母が食事をしていた。沈黙した食卓を盛り上げるようにテレビからは日本各地からのニュースを取り上げている。食事は湯気を立てているのに反して食卓は完全に冷め切っていた。それはいつもの通りの光景で、分かりきっていた状況に過ぎない。それでも嘆息してしまうのは想定した最悪の環境に気落ちしているのか、それとも――

 沙雪の両親は入ってきた人物を一瞥すると、すぐに視線を戻した。

千種ちぐさは?」

 沙雪が挨拶代わりとばかりに母親に向かって軽いジャブを繰り出す。千種とは沙雪の二つ下の妹で、沙雪とは対照的に快活で明るいが成績はあまりよろしくない。しかし、この家族の中では唯一のムードメーカーである。千種が居るだけで食卓には花が咲き、会話が溢れる。千種以外が率先して話をするわけではないのだが、それでも食卓には笑顔が零れる。沙雪はそれを摘むことないようにいつもそっと、伺っているだけでその輪に入ることはしない。

 千種さえいれば沙雪に向く視線は激減することは違えようもない。

「千種なら部活よ」

 そう答える妙齢の女性。年齢を重ねたせいか、あるいは苦労を重ねたせいか、最近はその黒髪に白髪が目立つようになっていた。母のその見た目に関しては千種がぶつくさと文句を言っていたが、結局その白の髪は染色されることもなくあるがままに放られている。それが尚更に年齢以上の印象を与えてしまっている。

 テーブルには既に一人分の食事が配膳されている。湯気がもうもうと立っているところを見る限り、作られてからさほど時間が経過していないことが伺い知れる。

「沙雪は?」

 母が事務的な声で尋ねた。

「塾」

 ただ一言、沙雪は切り捨てるようにそう呟くと食卓についてかき込むように朝食を摂り始めた。母はそんな沙雪を見ては聞こえないように小さく溜息を一つ吐いたのだった。



「行ってきます」

 全ての家人が退出してしまっている屋内から返事が返ってくるはずもない。父は相も変わらずに通勤し、母も同様に職場へと出かけて行った。

 分かっていることなのに何故かいつもこうして声をかけてしまう。やはり何か期待しているのだろうか。――ありえない。沙雪はバカバカしいと自身の考えを鼻で笑った。

 無言と扉の閉まる音を背中に、沙雪は凍え切った外の世界へと足を踏み出した。凍てつく風は刃向かう者に対してその鋭さを見せつけるような勢いで衝突を繰り返している。沙雪はコートの前のマフラーを整え直し、隙間を極力無くしてこれに対抗する。

(上着を脱がせたいなら温めればいいのに)

 そんな童話に対する幼稚な答えを頭の中で呟きつつ、最寄りの駅までの道でローファーをコツコツと鳴らし歩いていく。服装は制服。わざわざ冬休みの時期にという意見もありはするが、校則で『塾等へ赴く場合は、制服着用のこと』と細かいことながら指定されている。実際はあってないような校則ではあるが、守っておいても損はしないが、守っていなかった場合に損をする可能性がある以上、着用しておくのが最も無難だということで沙雪は遵守している。私服は当然所持してはいるが、わざわざ着る必要がない以上、制服が一番気楽である。勿論このことは他人には説いたりはしていない。こういった話をすれば、『変わっている』というレッテルを貼られた上で異端性を認められ、グループから爪弾きにされる可能性があるからだ。だから興味もない服も買うし、微塵も可愛さを感じないキーホルダーを付けるし、面倒な化粧を施しもするし、無価値な雑誌を読み込んだりもする。下らないドラマも見続けなければならないし癪に障る美麗な俳優も覚えないとならない。それは無駄なことであり、そして沙雪にとっては欠かすことの出来ない物であった。愚かな事だと理解しつつもこうして些事にまみれ、無価値に埋没し、無意味を纏うことにこそ意味がある。人々がそれを退屈と呼ぶ人生であろうとも、沙雪にとってはそれこそが心の安寧であった。

 中でも最も多く話題に上がるのは男女交友の関係であるのは語るまでもない。正直のところ、男がどうだの女がどうだの、惚れた腫れたどうだのと言ったことに興味など一切ない。恋愛感情――自身をコントロールできなくなるような愚かなもの――など、下らないものと付き合っていくつもりは微塵もなかった。世界はそんなことに現を抜かし、下らない現実をこれでもかと言うように見せつけてくる。流行り廃りの激しいJ-POPであろうと、ニュースで取り上げられる小説であろうと、公共の電波をジャックしているドラマであろうと、皆等しく『世界に溶け込みたくば恋をしろ』とでも訴えかけているかのようであった。

 ――世界には本当に馬鹿しかいない。

 沙雪は頭の中でそう呟いていたが、自身がまさにその筆頭であることを思い出して歯噛みした。どんなに悔やんでも過去は変わらない、変えられない。愚かだった自分は決して消せない。過去とはどんなに逃げても一生付き纏う呪い。――その呪いをかけてやまないのは、沙雪自身だとは気付かないまま。


 沙雪の通う塾は隣駅。ターミナルとしても利便性があり、このあたりでは一番大きな物だ。最寄駅からすると隣駅へは下り方面になるため、幾分かは空いてはいる。これが上り方向であれば通勤ラッシュという監獄に閉じ込められていたに違いない。流石に座席に座ることは出来ないものの、周囲を見渡す余裕がある程度には空いていた。

 窓には景色が次から次へと現れては後方へと流れていく。車内の空調はこの時期にしては珍しく送風になっているようだった。責め立てるような暖房の地獄であれば上着を脱ぐくらいは必要にもなるが、そう言った意味では現在の環境は気を遣った憎い心遣いの演出とでも言ったところであろうか。――携帯電話に話しかける女子高生。それを見て訝しげな表情でヒソヒソと話をしている主婦。リュックを背負ってはしゃいでいる小学生。それにも関わらず眠り続けるサラリーマン。イヤホンをしてゲームを続ける男子学生。仲睦まじつ会話するカップル。どこか物憂げに車窓外を眺める女子中学生――有象無象をごちゃまぜにしたようなそんな光景。何の変哲もない、至って普通の光景。そして西島沙雪もそんな光景を織り成す一つのピースに過ぎない。そんな事実を再認識してほっと一息。特別なことは何一つない、何も代わり映えはしない下らない世界。それが沙雪の生きている現実だ。


「さむ……」

 数分後、車内から解放されて凍えるようなホームへと解き放たれた。雑多な空気を洗い流すように呼気をすると冷たい空気が肺に突き刺さる。電車によって遮られていた木枯らしが吹き付け、冬の厳寒が身に染み入る。襟元のマフラーをきつく締め直し、そして再び歩みを始めた。


 冬も休みの真っ盛りだというのに駅前の大通りには溢れんばかりの人々で埋め尽くされていた。サラリーマンは言うに及ばず、高校生らしき制服を着用した学生や私服姿の男性女性も寒さを気にしつつも身を寄せるようにして雑多に待機していた。これらの集団は何かを待ち合わせているようで、その殆どが一様にケータイなりなんなりを覗き込んでは時間を潰している。どうやら世間とやらもそうそう暇にはなりえないようであったらしく、沙雪はなんとなしに溜息を一つ吐いた。

 塾へと赴く道すがら、心許なくなったルーズリーフの枚数を思い出し、道中の本屋へと立ち寄る。一般的な本屋と言えば開店は十時からというのが常であるものの、この個人経営の本屋では八時から開業していることが売りらしく、学生に限らずに社会人などにも需要があるらしい。しかしと言うべきかやはりと言うべきか、それでも流石に店舗内が常に満員という訳にもいかない。むしろ人影はまばらであり、現在も見える範囲でいえば一人二人が店内を散策している程度だった。

 そんな人影を気にすることもなく沙雪は目的であるところのルーズリーフを購入し、ついでとばかりに参考書のコーナーへと足を向ける。そこにあるのは堅苦しい空気でいかにも真面目一貫と言った雰囲気であった。その荘厳にも近い空気は確かに息苦しくもあったが、一方で沙雪にとっては心地のよいものでもあった。その空気を纏い、始めに手に取るのは目標とする大学の問題集。流石に片手で持つには憚られる重さのそれを軽々しく弄ぶことも適わず、両手でしっかりを位置を保つ。脳内で軽く方針や数式を考えたところで両腕の悲鳴を無視できなくなり、沙雪はそっとそれを元の位置へと戻した。軽い力試しが済んだところで沙雪は自身の力量不足を痛感し、その足を塾へと向けるのであった。


 塾へ足を向けると言ったところで精々それは十分にも満たない些細なものでしかない。道中の本屋までは五分、つまり残りは五分足らずと言ったところ。連立するビル群は外界から沙雪の姿を覆い隠すように起立する。下から見上げるビルの屋上は果てしなく高く、見上げている首が痛みを発する勢いである。そしてそのビルの更に上には重く息苦しいほどの曇天が広がっている。立ち込める暗雲は鈍重な姿を以てして白い結晶を予感させる。天気予報を覗いてはいないものの、現在の気候を鑑みてそれは容易に推測されるのだった。その予感を肯定するように一層冷え込んだ空気が沙雪を打つ。

塾内ではきっとその資金にものを言わせ、十二分とも言える勢いで空調を駆使しているのだろう。冬と言う季節さえ無視したようなその温度を思い出し、沙雪の足は自然と早まるのであった。



 ――今振り返ればそれは必然であったのかもしれない。


 いつもであれば気にせずに通り過ぎる特筆すべき点もないビル群の間隙。沙雪の脳内に飛び込んだ情報から仄かな違和感が囁くようにその声を上げ、その囁きに従った沙雪は思わずして足を止める。

 ビルとビルの合間、日光を遮られて常に薄暗い闇に覆われているその場所に存在している発光体。――羽根を携えた白き卵――それが不自然にも重力に逆らって浮遊していた。見なかったことにしてその場を立ち去ってしまえばそれで終わりだったのかも知れない。ともすればほんの僅かな好奇心から近づいて見てしまうのもありだったのかもしれない。

 その選択肢で言えば沙雪は見て見ぬふりをしてその場を立ち去ってしまうタイプであった。しかし何故か沙雪の足はその卵へと向けられていた。特に何かの理由があったわけではない。知的な好奇心が、あるいは些細な気まぐれが湧いたわけでもない。ただ自然と、本能がそうするのに従っていただけ。

 一歩、また一歩と近づく。そして歩みを進める度に卵との距離が少しずつ、少しずつ狭まっていく。その度に沙雪の鼓動が高鳴り、体は重く熱くなる。沙雪の心臓に呼応するように卵さえも鼓動を繰り返している。あまりにも不自然で不気味であるところのそれを、沙雪は愛おしい気持ちで見つめていた。眺めているだけで心の底まで暖かくなっている気がする。――もしもそれを捕まえることが出来たのならば――そんな思いから沙雪が手を伸ばす。暖かい光が沙雪の手を包む。同時に沙雪は感じた。光が確かに、沙雪の手を掴む・・のを。巌のようにゴツゴツとした掌そっくりの感覚が沙雪の手を握り締めているのを。

 沙雪の指先が卵へと触れる。触れたはずなのに、得られる感触は皆無。それでも何故か沙雪はそれに触れたと確信を持っていた。


 ――タスケテ。


 そして沙雪の体までもが重力を失った。


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