僕2歳 実は二人殺しています。僕は知らないけど
私のお気に入りのキャラは誰かって?
そんなの決まってる!
2歳になった。
長らく自分というものを忘れていた様な気がする。
あまりに人生が楽しくて、そして退屈だったからだろう。
最近、僕は人格まで変わってきたのではないかと思う様になってきた。
気がつけば、僕。
一人称が変わっていた。
そんな自分考察が出来る様になってきたのも、ようやく余裕が出来てきたからなのだろう。
魔法の書という超がつくぐらい難題の解読作業を延々と続ける日々。
そのストレスを発散させるために、屋敷のメイド達のパンツをどうやったら見られるか四苦八苦しながら悪戦苦闘する日々。
どっちも非常に頭を使う作業なのだが、もともと考えたり観察したり推測したり想像する事は好きな方なので、ほとんど苦にはならなかった。
同時に、未知の感覚である二つの力を、僕は常に操り続けている。
この世界に来てからというもの、その五感以外の未知の感覚を、僕は常に感じていた。
視覚では観る事の出来ない、何か。
嗅覚でも感じられないが、濃い薄いがあると分かる何か。
味覚とも違う、しかしそれぞれが独特な特徴を持っている何か。
聴覚でとらえられる訳でもない、それでもそれはあるとハッキリしている何か。
触覚でも難しい、だがもしかするとそれは一番近いかもしれない何か。
それは第六感である勘、直感、霊感とも違う。
無意識レベルの心覚、第七感とも違う。
本質真髄の阿頼耶識、蔵識とも呼ばれる第八感でもない。
しかし僕は、魔法の書というものがこの世界にあるのをこの目で見た時に、それが何であるかを悟った。
そしてそれは、メイド達の口から零れてきた言葉によって、確信に至る。
この世には、魔なる力を用いた法式が存在する。
それを人は魔法と呼ぶ。
この世には、聖なる力を用いた術式が存在する。
それを人は聖術と呼ぶ。
そしてその魔法と聖術の二つをまとめて、人はそれを法術式、もしくは法術と呼んでいた。
魔なる法と、聖なる術。
僕がずっと感じている、二つの未知の感覚。
それはつまり、魔力を感じる魔感と、聖力を感じる聖感だと僕は結論付けた。
まさにファンタジー。
ますます僕は魔法の書の解読にのめり込んだ。
だけどやはりそれは一丁一夕にはいかず、今現在もまったくその解読は出来ていない。
なので僕は今、この国で使用している一般的な文字の方を先に学んでいた。
僕の可愛いメイド達の膝の上で。
「イグニス様、これがイグニス様のお名前です」
ククリカというメイドの一人が、羊皮紙の上にサラサラサラっと僕の名前を書いていく。
メイドの中で唯一このククリカだけが文字を書く事が出来たため、比較的時間の都合のつく午後の小一時間が彼女と僕との日課だった。
紙の上に書かれた文字は、やたらと長い。
それもその筈、今はじめて知った訳なのだが、それが公爵という地位を持っているリゼルグの、その息子である僕のフルネームなのだから。
「イグニス・ゲシュペンスト・シフォン・ベルタユスと読むんですよー」
その言葉を簡単に訳すと、上から――
名前:イグニス
家名:ゲシュペンスト
立場:公爵家 第一子の息子
領名:ベルタユス
となるのだと、後からもっとちゃんとした教育を受けた時に聞いた。
こんなに長いのは僕が領地も家名も公爵の地位も持っているからであり、普通の人はククリカの様にただ名前しか持っていない。
「ちなみに、私の名前はこう書くんですよー。さらさらさらさらっと」
「あ! ずるいククリカ! 書くなら私の名前も買いてよ!」
「そうですよ。御自身だけ教えるなんて不公平ですよ。いくら一人だけ文字が書けるからといって、やって良い事と悪い事があります」
「もー。リースもケイトも冗談が通じなんだからー。って言っても、私は貴女達の名前の正式な綴りを知らないから、本当は書けないんだけどね」
「あ、そっか。そういえば、私の名前ってどう書くんだろ……」
「そんなの、私が知る訳ないでしょ」
「私は分かりますから、ククリカちょっと書いてみてくれる? 違ってる部分があったら指摘出来ますから」
文字を覚えるというのは、意外と難しい。
目の前にある羊皮紙に書かれた文字は合体しすぎて、一つ一つの文字がハッキリと分からないからだ。
もしかしたらククリカの文字がただ単に汚いという可能性もあるが、こんなに可愛い女の子なのだから恐らくそれはないだろう。
とすると、やはりこの前後の文字がほとんど一筆で合体した文字を解読しなければならないという事になる。
それはある程度予想できた事でもある。
昔を思い出してみればいい。
幾ら日本語でも、昔の戦国時代に使われていた手紙の文章は、ほとんどにょろにょろしているばかりで、現代人にはまるで読めたものではない。
更に昔に戻って平安時代などに使われていた、かな文字。
百人一首とか有名な短歌、俳句を思い出せばいい。
あれはどうやっても素人には読めない。
それが日本語だと分かっていて、頑張ればかろうじて読み解けるかもしれないのかもしれないが、まったく見慣れない外国の文字ではそれは絶望的。
更にもう一つ、困った点がある。
それは……ククリカが書いた文字は、右から左に向けて書かれたものだった。
つまり、方向が逆だ。
読みづらいったらありゃしねぇ。
――っと、汚い言葉がついつい出てしまった。
僕は子供。
そういう汚い言葉を普段から使っていたら、実際に言葉を喋り始めた時、その口癖が自分の知らない所でつい出てしまうかもしれない。
心の中であっても、出来る限り矯正していかなければ。
「それにしても、今日はいつにもまして暑いわねぇ」
ククリカの膝の上から乗り出して、羊皮紙を読んでいる僕の視界にケイトの下着がちらちらと見え隠れする。
冬場は踝まで覆っている長いメイドスカートも、この時期になると膝上まで短くなるので、とても目の保養になる。
去年まではほとんどずっと胸に抱かれているばかりだったのでそういう機会はまったくなかったが、今年からは違う。
周囲にほとんど男性のいない屋敷内であれば、彼女達は物凄くガードが低くなる様だった。
「あう?」
まるで不思議なものを見るかの様に、僕は首を傾げながらその花園の光景をマジマジと眺め続ける。
「あらあら、イグニス様はもうこちらに興味がおありなんですか?」
相手が2歳児の子供だからだろう、そのメイドは逆に俺に見せる様にスカートを捲り上げる。
(グッジョブ♪)
まったく警戒していないメイドのその態度に、僕は心の中でそう叫んでいた。
しかし表では、まるでそれを理解していないかの様に首を傾げたまま、不思議な興味を向けているかの様に振舞い続ける。
ピッチリと閉じられた膝の先に見える三角形の色は、意外にも紫色をしていた。
お嬢様風の美人の顔にはちょっと似合わない妖艶な下着を身に着けていた彼女への高感度が、微妙にだけあがる。
しかし次の瞬間、急上昇。
「ちらっと」
僅かに一瞬だけ、閉じられていた膝が空く。
瞬間、僕のボルテージがマックスまではねあがった。
「何やってんのよ、ケイト」
「いたっ」
が、すぐにその妙な事をし始めたメイドの頭が隣にいた同僚に叩かれて、秘密の花園は落ちてきたスカートの向こう側へと消えていった。
「ちょっとした冗談じゃない」
「やって良い事と悪い事があるでしょー。ってこれ、さっき貴女が私に言ってきた言葉よね」
「でもまだ子供だし、大丈夫じゃない?」
「リースも……もう少しメイドとしての自覚を持った方が良いですよ。それでなくとも、私達は不真面目だってジルに睨まれてるんですからー」
ここにいない誰かの事など気にしないで、もっと淫らになってほしいと思う。
だが同時に、もっと慎ましやかになってくれると、僕の本能が健全に成長してくれるのでもう少し自重してもほしいと思う。
なんというか、見えそうで見えないチラリズムがいいのであって、意図的に見せられるのはあまりグッとはこないのだ。
そこの所をケイトはもう少し分かってほしい。
さて、またいつもの様に集中が乱されてしまった。
本来の目的を思い出し、文字の習得を目指そう。
「あー」
羊皮紙に書かれている文字の一つを指差し、それ単体の文字がいったいどんな形をしているのかを聞く。
教わる側が教える側にどう教えていけばいいのかを指示するというのは何ともおかしな話だが、こうでもして教える側を誘導していかないと、まともな授業にならない。
それはここ数日のククリカ先生の授業を聞いていて、非常に理解した。
「あら? イグニス様のおててがとっても可愛い♪」
しかし、僕の苦労はいつも報われない。
僕の意図する所を彼女は全く理解しようともせず、ただお人形遊びの玩具の様に僕の手を取って可愛がろうとする。
ちょっと……好かれすぎたかもしれない。
この2年間の僕の頑張りが、こういう場合においては思い切り裏目に出てしまった様だった。
「リースぅ、そろそろ休憩終わりだよぉ」
そして更に追い討ちとなるのが、ナニアの存在。
彼女は僕の心を物凄く乱してくれる。
視線を向けた瞬間に、スカートがふわっと浮き上がって、とても健康的な股を魅せるのをナニアは得意としていた。
本人が意図してやっている訳ではないのだが、猫化の種族らしく活発な動きをするナニアは、一つ一つの動作が機敏で大きい。
だからこそ、ナニアのその見えないチラリは本当に悩ましかった。
ちなみに、ナニアは縞パンをよくつけている。
そのせいか、俺の好みもいつのまにか縞パンフェチに傾いていた。
「イグニス様、また後で遊んでくださいねー」
「ばいばーいぃ」
そういって獣っ娘達が去っていく。
去り際にもナニアのメイドスカートはふわっとはためいて、艶かしい太股だけが僕の瞳を楽しませた。
なかなかナニアの縞パンは見られない。
そして今日も文字のお勉強はぜんぜん進まなかった。
僕、最近なにをしてるんだろ……。
確かに今はハーレム状態だったが、僕はなんだか違う気がしていた。
どこかで進むルートを間違えたらしい
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執事のジルの一日は、何故か遅い。
一日の始まりを告げるのは、屋敷で飼っている猫の鳴き声。
どういう訳か、自分が使用している部屋に、猫のリリは入り浸っていた。
元は前執事であるルードヴィヒが使用していたその部屋は、歴史を感じさせる程にあちこちが痛んでいる。
それをだましだまし使っていた名残なのか、それとも意図的にルードヴィヒがそうしているのか、猫の様な小さく身軽な動物であれば入ってこれそうな穴が幾つも空いていた。
個人の部屋としては大きめともいえる部屋に、ほとんど家具は置かれていない。
それはジル自身の私物がそれほどなかった事と、この部屋を使いは始めてからというものリリに壊される事が頻発したからである。
それは決まって、自身が寝ている間に起きていた。
「……おはようございます、リリ」
今日も、その被害を受けていた私物を瞳に入れて、憂鬱に日々が始まりを告げる。
毎日整理整頓を心がけている筈の部屋に散らかった、紙の切れ端。
決して安くはない筈のそれは、確かに昨日、そういう事が起こらない様にとリリには手の出し様のない場所にしまっておいた筈だった。
いったいそれをどうやって出してきたのか。
考える前に、ジルは部屋の片付けを始める。
本来ならば既に屋敷の仕事を始めている時間。
にも関わらず、部屋の片付けをしているのは、リリのせいだとジルは思い込んでいる。
実際には、ジルがただ寝坊しているだけなのだが。
日が昇り、明るくなってからもなかなか目の覚めないジルに、リリがほぼ毎日の様に起こしにきているのをジルは知らない。
それはただ、ジルの事が大好きなリリが、ジルと遊びたいがためにしている事なのだが、猫の気持ちなどまったく分からないジルにはまるで通じていない。
それ故に、リリはジルの気を引こうと色々と頑張っているだけだった。
「折角、イグニス様のために用意したものだったのですが……」
とはいえ、ジルはリリにはとても優しかった。
リリがどういうつもりで自身の私物だけをこうまでダメにしていくのか、ジルには理解出来ない。
理解出来ない事には、リリを責める事は出来なかった。
ジルが今片付けているのは、言葉を教えるためにジルが用意した勉強のためのもの。
メイドの中で唯一文字が書けるククリカがイグニスに文字を教えているのは、ただの暫定処置にすぎない。
イグニスは屋敷のメイド達にとてもよく好かれていたので、それならばと思い文字の書けるククリカに手の空いている時間にイグニスの教師役をお願いしたのだが、それはまったく予想通りに勉強は進んでいなかった。
だからという訳ではないが、こうしてジルも手の空いている時間に、なかなか言葉を話してくれないイグニスの教育を買って出ている。
というよりも先の事がほとんど予想できたので、それは仕方なくだった。
一応ジルも文字を書けるのだが、それよりも大事な『話す』という方を重点的にジルはイグニスを教育している。
もう2歳。
にも関わらず、未だに言葉らしい言葉を話さないイグニス。
リリのしでかしたゴミとなった紙を片付けた時、予定の時間よりも随分と遅れてしまったなと思うが、ジルが時間にルーズな事は屋敷の誰もが知っていた事なので、ほとんど問題にされていない。
それでなくともジルは屋敷の執事という肩書きを持っているだけで、ほとんど誰にも執事として認識されていなかった。
戦でほとんど屋敷にいないリゼルグは、最初から屋敷には仕事を持ち込んでいない。
それは前任のルードヴィヒが引退する前からの事のである。
故に、屋敷内でのジルの執事としての仕事は、もっぱら屋敷で働くメイド達の相談事の処理に限られていた。
××が足りないから買ってきて欲しいとか、△△が壊れたので修理して欲しいとか。
基本的に屋敷の維持だけであれば、基本なんでも出来る万能のメイド達だけで事足りる。
執事の何たるかの教育を受けた事のない、ただ若いだけのジルに出来る事はほとんどなかった。
しかし、ジルはリゼルグのいない間は自分がこの屋敷を守っていかなければと思っている。
その中での最優先事項は、なんといってもイグニスの教育。
それは時が経つほどに強くなっていく。
なぜなら……。
「まだ、言葉もろくに話せぬか。法術に関しては多少の才は持ち合わせていた様だが、所詮は怠け者か。貴様は尽く俺の最低限の期待すら満たせない様だな」
いつの間にか屋敷に戻ってきていたリゼルグに、今日もイグニスは殺されかけていた。
不意打ちにも程がある。
そんな事をいっても仕方がないのだが、もはや屋敷での名物にもなりかけているその親子のじゃれあいを、ジルは溜息を一つついてから止めに入った。
「お帰りなさいませ、リゼルグ様。今日もお変わりなく、お元気のご様子で何よりです」
イグニスの首を絞めるリゼルグの腕を取りサッと払い、肘を曲げさせ力を殺してイグニスを助け出しながらジルは言う。
謀略家ではああるが剛の武人でもあるリゼルグに、柔の技は非常に相性が良い。
もしもの場合を考えて武術に磨きをかけているジルだったが、身体的な理由からあまり活発に動く事の出来ないために、この屋敷に来てからは特にその柔の技を集中的に磨いていた。
「……御前はだんだん可愛げがなくなってくるな」
「事あるごとに理由をつけてイグニス様の首を絞めるからです。私も主に対してこの様な無礼を行いたくはありません」
助け出したイグニスを近くで戦々恐々と見ていたメイドの一人に預けてから、ジルはリゼルグへと向き直る。
メイド達と比べて遜色ない体格のジルと武人であるリゼルグとの体格差は歴然としている。
頭一つ分以上の背丈差がある事も、ジルが柔の技を急速に身に着けていった理由の一つでもあった。
「あやつの教育は、まったく芳しくない様だな」
自分の息子の事をあやつ呼ばわりするリゼルグに、ジルは少しむっとする。
「……我々は指導者としては知識も経験も、どうやら才もない様ですので。イグニス様の成長を手助けするには力不足だと日々痛感しています」
「もともと期待はしていなかったが、どうやらその様だな。御前も彼奴等も、あやつに随分と骨抜きにされているらしい」
「イグニス様の人徳のなせる技かと」
己の身すら危うくなる主への暴挙を敢行するぐらいには、ジルもイグニスの事が大好きだった。
例えイグニスが自分にだけは何故かあまり懐いてくれていなかったとしても、その気持ちに変わりない。
遠くからイグニスの愛らしい微笑みを見ているだけでもジルは幸せな気持ちになった。
可愛いもの好きとして生まれ育ってしまった者の宿命である。
ピシッとした執事服にこそっと見えない所に刺繍をしているのを知っているのは、恐らくこの屋敷の中では情報通の乳母カーラだけだろう。
ジルの部屋に入れば、それは一目瞭然な訳なのだが。
「やはり、外部から専属の教師を招き入れねばならぬか。屈辱の極みだな」
「法術の才を開花させるためと言えば、幾分かは誤魔化せるのではないでしょうか?」
「それでは法術士か導士を雇わねば誤魔化せまい。領主の俺が雇うとなると、その辺に転がっている平民を連れてくる訳にもいかなくなるからな。言葉や文字を教えるだけの者を用意するなら適当に教養のある貴族の婦人でも宛がえばよいが、法術士や導士となるとそう簡単には見つかるまい」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
実際にはリゼルグが気にしているのは、手を出しても問題ない見目麗しい女性を屋敷に軟禁する面倒の方だった訳だが。
あまり公には認識されていないが、ジルもメイド達も、乳母のカーラも妻のユディアでさえも、屋敷からはほとんど自由に出る事は許されていなかった。
外に出る場合も、メイドであっても必ず兵士達が付きそう。
兵士達にとっては可愛いメイドと共にいられるのだからとても喜ばしい事だった訳なのだが、必ず付きまとわれる側の者達にとっては迷惑この上ない。
だが、屋敷に住んでいる身としては、まだその軟禁されているという事実はそれほど気にする事でもなかった。
何故なら、そこが自分の家なのだから。
だが、外部から人を招き入れるとなると、そういう訳にもいかなくなる。
己の目の届かぬ所で一体何をされるか分からない者達を定期的に屋敷内へ招き入れるのは、色々と秘密を多く持っているリゼルグとしてはまったく歓迎出来ない。
軟禁するにしても、こっそり裏取引をして買い揃えた平民の若いメイド達とは異なり、才ある者や貴族達は学や気位があるため、色々と厄介な事をしでかしそうで酷く躊躇われた。
乳母のカーラは運良くそういう事のない敵国の諜報員だったために、容赦なく軟禁し、子供を殺し、手篭めにし、監視をつけて泳がせている。
そういう扱いやすい美人がまた現れてくれないものかとリゼルグは密かに待ち望んでいた訳だが、残念ながらそういう条件を満たした者は以後一人として現れなかった。
カーラが流している情報がそうしているのだともリゼルグは知っていた訳だが。
仕方なく、リゼルグは時期尚早ながら以前から暖めていた策を実行に移す事にした。
「近く、イグニスの教育係として屋敷に客人を招く。準備を進めておけ」
「はい」
一礼して去っていくジルに、リゼルグは暫く会っていない前執事ルードヴィヒの人選が本当に正しかったのか、頭を悩ませた。
詳細も聞かずに、いったい何を準備するというのか。
部屋と食事のみ準備しそうなジルに、リゼルグは近くを通りかかったメイドに必要な事を指示し始めた。
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フフフ……。
私の名はシルフィル。
リゼルグ様の屋敷で働くメイドの一人、屋敷の清掃を主に任されている美少女だ。
私は一人でいる事が多く、影も薄い。
リゼルグ様もユディア様も、私の存在にはほとんど気が付いてくれない。
執事のジルに至っては、私を空気か何かと勘違いしていないかと思ってしまうほど気が付いてくれない。
乳母のカーラ様は一応気が付いているみたいだけど、話し掛けてきてくれた事は一度もなかった。
メイド達もあまり話し掛けてきてくれない。
だけどイグニス様だけは違った。
イグニス様はそんな私にも分け隔てなく接してくれる数少ない愛すべき人。
だから将来、私はイグニス様のために全てを投げ出すつもりでいる。
この屋敷のメイド達は、私を除いて既にリゼルグ様にお手つきをされている。
この前もリゼルグ様は朝突然に屋敷へと帰ってきたかと思ったら、リースを連れてお風呂へと向かっていった。
いったい中で何をしていたのかは愚問。
フフフフフ……。
今日、玄関の掃除を行っていると、屋敷に新しい人がやってきた。
見た目は美人だったから、きっとリゼルグ様の人選だと思う。
そうでなくとも屋敷の中には例外を除いて男性は入る事は許されていない。
見た目が悪い女性の人も、屋敷の玄関よりも前に建てられている訪問客用の建物までしか出入り出来ず、兵士達も有事の際以外はそこまでしか敷地内に入る事を許されていなかった。
だからここは、リゼルグ様にとって最高に居心地の良い世界となっている。
何故リゼルグ様がその様な世界を作り上げているかは、権力を持っているからとしか言いようがない。
男性という生き物は、そういう生き物なのだから。
他の領主や王族も、この国ではそれが当たり前の様にしているので、誰も気にしない。
私も気にしない。
今日、屋敷を訪れた女性は、暫くこの屋敷の中で暮らす事になると思う。
ジルがそういう話を最近していたからなのだが、それよりも前にメイド達の噂で私はそれを知っていた。
無能なジルが何故今でも執事でいられるのかは分からない。
屋敷の七不思議としてあげられるぐらい、不思議な事である。
それはそうと、ジルよりも有能な私達にその訪問客である女性をもてなす準備を指示したリゼルグ様は、また明日から戦に出掛けるという。
なんでも、南にあるウズキアという国との戦争が苛烈を極めているらしい。
らしいというのは、外からの情報は私達にはほとんど入ってこないからだ。
たまに街へ買い出しに出掛けた時に、若い兵士達やお店の人達から聞いた話をメイド達がお喋りし、それが噂となって私の耳にも届いてくる。
ただ、所詮は噂なので何が本当で何が嘘なのかは分からない。
なのでもしかしたら戦をしているのは西のレレリルとかもしれない。
どちらにしても、私には関係ない。
私はただ大きな屋敷を掃除しているだけで幸せな気持ちになれるのだから。
フフフ……。
埃を見つけた。
どうやって退治してあげようか。
はたきで叩いて箒で屋敷の外まで掃き出してしまおうか。
それとも雑巾で跡形もなく拭き取ってしまおうか。
フフフ……。
そうそう、さっき来た女性だけど、早速イグニス様の可愛さに触れて心を悩ませていた。
イグニス様も罪作りなお人。
まるで悪魔の様な魅了の特殊スキルを持っているかの様に、次々と女性達を虜にしていく。
聞いた所によると彼女は最初スパルタでイグニス様を躾け様としていたみたい。
でもイグニス様の方が一枚も二枚も上手。
私達メイドや執事のジルの熱心な教育をいとも容易くはね除けているのは伊達ではない。
何度私達が苦渋ならる幸渋を飲まされた事か。
そのいきなり心が折れ掛けている美人のスパルタ教師の心の隙間を、リゼルグ様は易々とついて寝床へと連れて行く。
相も変わらずにリゼルグ様の毒牙はとても鋭い。
後で聞いた話だが、その美人教師はリゼルグ様の知り合いの娘らしかった。
北に作った村で今も元気にしている前執事からの推薦でイグニス様の臨時教師に抜擢されたという。
リゼルグ様は前々から狙っていたのだろうか?
フフフ……。
私にはどうでもいい事ね。
それからまた数日が経ったある日、私は隠れてイグニス様を見ているカーラ様を見つけてしまった。
最初は何をしているのだろうと思っていたのだけど、カーラ様は余程集中力を裂いているのか存在感の薄い私が近くを掃除していてもまるで気が付いてくれない。
そんな日が数日続いた頃。
私はイグニス様が魔法の書を開いて、そこに書かれている内容を朗読している事に気が付いた。
まさかと思った。
でも間違いない。
遂にイグニス様は、その魔法の書の文字までも読んで言う事が出来る様になったのだ。
今でもイグニス様は、遊び半分で文字を教えているククリカや、熱心に言葉を喋らそうと頑張っているジルや、今では穏和な態度になってしまった女性の授業中に、一切を分からない振りをしてすごしている。
何を思ってイグニス様がそこまで頑なに言葉を拒んでいるのかは分からない。
もしかしたら、何となくタイミングをいつも逃してしまって、済し崩し的にそういう状況になってしまっているのかもしれない。
兎も角、イグニス様は私の目にも年齢不相応の知識を有していて、隠れた努力もするとても素晴らしい子供として映っていた。
ちなみに私がそれを知っている理由は、イグニス様もたまに私の存在に気が付かない事があり、すぐ近くにいるとも知らず独り言をたまに喋っていたからだ。
フフフ……。
いつかこの秘密を盾に、イグニス様に迫ってみようかしら?
そうすれば、私はリゼルグ様の妻ユディア様のように、次期領主であるイグニス様の妻の座を手に入れる事が出来るかもしれない。
ユディア様は幼い頃からリゼルグ様が手塩にかけて育てた生粋のリゼルグ様っ娘ともいえる存在。
その逆を私がするのも、今からでも決して遅くない。
じゅるっ……。
フフフ……。
話がそれたわね。
カーラ様がイグニス様を見ていない時、それは私がイグニス様にこっそり近付く事が出来る時。
だけど最近、それが出来ない時がでてきた。
その原因は、困った事に屋敷の新たな住人である美人教師さん。
彼女は何故か、イグニス様が一人の時を狙って近付いていく。
それも、すぐ近くには誰もいない時を見計らって。
最初は人目を忍んで逢い引きをしているのかと私は思っていた。
でもお掃除をしながら観察していると、それは間違いだと私は気付く。
何故なら、彼女の気配の消し方は明らかに普通の人とは異なっていたから。
それは私の様に、自然に身についてしまっている天然の技ではない。
まるで鍛え上げられた闇に忍ぶ者の様な足運び。
まだ完全というには程遠いが、少なくとも一年以上はそういう訓練を受けた者の気配の消し方。
私はちょっと恐怖した。
フフフ……。
それはイグニス様に対してよ?
決して彼女に対してではない。
イグニス様は、本当に才能豊かな存在だった。
私の五感でもそう簡単には見つける事の出来ない様な深く隠れている彼女を、イグニス様は簡単に察知してしまう。
恐らくそれは魔力や聖力を感じ取る力、精神二感によるものだとは思うが、幾ら敏感な子供でも並の才能ではうまく感じ取る事は出来ない。
本当に、イグニス様はとても凄いお方だ。
フフフ……。
是非、私の最初を食べて貰いたいと思う。
あ、床が汚れてる。
私はそれを見つけて、パタパタと足音を立ててその汚れに駆け寄っていく。
その突然の闖入者にイグニス様とその女性がビクッと驚いたが、私は気にしない。
まるで密会をしていた様に、イグニス様はその女性にゴロゴロニャーニャーと猫の様に甘えていたけど、それは二番目以降に興味ある事。
私の一番は、やっぱり掃除。
丁寧に汚れを拭き取りながら、他にも汚れがないか部屋の中をつぶさに観察する。
見ーつけたぁ。
お外で遊んできたのか、少し埃っぽい猫のリリが私の瞳に入る。
その瞬間、リリは悪寒を感じて逃げ出したが、私はすぐに先回りをして捕まえる。
イグニス様がその様子に心を奪われてしまったのか、私に抱き着いてきた。
私はイグニス様も一緒に胸に抱いて、お風呂場へと向かう。
ついでなので、猫のリリと一緒にイグニス様も洗ってしまおう。
その際にあんな所やこんな所を触ってしまっても、きっとイグニス様は気にしない筈だ。
じゅるっ……。
フフフ……。
一番と二番が同時に出来るなんて、なんて今日は素晴らしい日でしょう。
あ、イグニス様が私の胸に顔を埋めている。
本当に、イグニス様ったら甘えん坊なんですから。
そうそう。
後日、あの美人教師と乳母カーラ様は突然に姿を消しました。
リゼルグ様曰く、既に用は済んだので解雇したとの事。
その日があの忌まわしき日だったのには何か理由がありそうだったけど、私は気にしない。
何故なら、イグニス様はこれで私一人のものなのだから。
フフフ……。
ふふふ……。
ウフフフフフフフフフフフフフフ……♪
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カーラは焦っていた。
屋敷に帰ってきたリゼルグが、遂に自分を伽に呼ばなかった。
昼であろうと夜であろうと、その時の気のむくままに暇さえあれば屋敷の者に手をかけているのは、この屋敷に住む者であれば誰もが知っている事実である。
歩ける様になってからのイグニスも、その最中を何度も目撃している。
少し興奮気味に観察している姿は、あの年齢の子供にしては随分と怖い印象を受けたものだが、あの子も所詮は男。
性に目覚めるのは些か早すぎる気もしたが、無理矢理納得して忘れる事にした。
そんな他人の事はどうでもいい。
今は自分の今後がとても心配だった。
屋敷の中に、イグニスの秘密を知る者もかなり少なくなってきた。
というよりも、心が壊れたユディアを除けば知っているのはもはや私しかいない。
伽に呼ばれているうちはまだ大丈夫だろうという思いがあったが、それもなくなったという事は、そろそろ自分はリゼルグに消されるかもしれない。
それは最初から予測していた事だったが、いざそういう時になってしまうと、それまで考えていた事は全てリゼルグによって看破されており、既に詰みの一手が差されていると考えてしまう。
しかし、新しい手立てはもう浮かんでこない。
2年もの長い年月を費やして考えてきた事だ。
そう簡単に、それまで考えてきた手よりも良い手が浮かぶわけがない。
そして、この時期に屋敷内へと招き入れられた、教師の皮を被った暗殺者。
あまりにもタイミングがよすぎて逆に裏があるのではとも思ったが、諜報に特化されているだけのこの身体では、例え後ろから奇襲を仕掛けたとしても暗殺者が持つ力の前には役に立たないだろう。
料理に毒を混ぜる事も考えてみたが、そもそも毒が手に入らないのであれば考えても意味がない。
今すぐ逃亡するべきか、それとも一縷の希望を信じて、このまますごすか。
カーラは迷っていた。
だから、カーラはそれに驚いた。
あらゆる可能性を考え、あらゆる死の未来を想像していながら、そのどれとも違う結果が自らに訪れた事に、カーラは消えゆく意識の中で笑っていた。
力なく……その絶望に。
思えば、それは自らの死の可能性の一つとして考えていても、おかしくない事だった。
それは不幸な事故ともいえる出来事なのだが、決して可能性がない訳ではない。
ごくたまに、そういう事がどこかで起こる。
あまりに一般的な不幸な事故だったため、考えから除外してしまっていた。
やはり、あの子供は天才だと思った。
これほどの規模の不幸な事故を、その年齢で引き起こしたのだから。
そして己の不幸をカーラは呪う。
しかしそれは幸運だったかもしれないとカーラは思う。
享年18歳。
その短い人生を、カーラは終えた。
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風の香る暖かな季節。
それもそろそろ終わりを告げようとしていた頃。
イーゼル国、ベルタユス領、中央都ギレン、領主リゼルグ侯爵の屋敷にて、それは起こった。
その事件を引き起こしたのは、当時まだ2歳であったリゼルグ侯爵の第一子イグニス・ゲシュペンスト・シフォン・ベルタユス。
被害の規模は、屋敷の四分の一が消滅。
事件後の調査で判明した被害者の数は、零。
とても運が良い事だったのか、それともやはり不幸な事故だったのか、幸いにして物損のみでその事件は幕を閉じた。
原因は、悪しき構成、純粋なる消滅の力である【聖】力による物質浄化の消滅現象。
あまりに危険な行為であるために禁忌とされている禁術。
それを、まだそれが危険だと知らない幼く無知な子供が使用してしまった事によって、その事件は引き起こされた。
この【聖】力による消滅現象は、対になっている【魔】力による破壊現象と並んで、ごくたまに神童と呼ばれる子供の手によって引き起こされる不幸な事故として一般に認知されている。
それは力を持って産まれてきてしまった者の代償。
そしてそれに巻き込まれてしまった者は、ただの不幸として処理される。
その程度には、対処のしようがない事故だった。
この世界に存在するあらゆる属性は、単体ではその力があまりにも強すぎて人の身で扱う事は出来ない。
故に人々は、【聖】と【魔】という身近な弱い力を他の属性に混ぜて使用していた。
それを人々は聖術と呼び、魔法と呼んだ。
つまり、【聖】なる力もしくは【魔】なる力を他の属性と結びつけてより弱い力へと変化させてつかう方法、技術として。
何故、人々がその【聖】【魔】の力を扱える事が出来るのか。
一説には、力弱き人の存在を不遇に思った【聖】なる神々が、彼等の助けになると思い授けたという。
一説には、己が欲を満たすために【魔】なる者共が、戯れに力を与えたという。
しかし真実は分かっていない。
それは、世界が誕生し、人が生まれた時からそうだったために。
単体で扱うと、その強大な力によって不幸な出来事が起こる。
制御する事など不可能。
故に、それを知っている者は、自殺や決死の時にしかその力を使わない。
ほぼ自らの死を招くその力を、誰が使おうと思うだろうか。
だがそれにも例外はいた。
それが、無知なる子供である。
ただしそれはほんの一握りの子供になる。
もともとそれは強大な力なため、誰にでも扱えるものではなかった。
法術を使うためには避けては通れない道ではあったが、暴発させてしまう程にしっかり使える様になるまでには、それ相応の才能と修行を必要とする。
故に、普通に考えれば子供にはその力は扱えない。
しかし例外はどこにでもある。
神童。
まさに神に愛される程の才能を持ち合わせた子供達。
その彼等が、それを修行だとは思わない赤子の内から努力を重ね、教わるよりも早くにその力を会得してしまった時、その不幸な事故は現実味を帯びてくる。
確率としては怖ろしく低い訳なのだが、しかしそれによって引き起こされる被害の規模は無視する事は出来ない。
時々、何を血迷ったのか、その危険性を知っている5歳以上の子供ですら、誘惑に負けて小規模な事故を度々引き起こす。
分別のある大人も、魔が差して引き起こしてしまう事もある。
しかし彼等が引き起こす事故よりも、手加減がまったく分からない神童によって引き起こされる事故は、時には自然災害にも指定されてしまう程に規模が異なっていた。
今回、リゼルグ侯爵の屋敷を襲ったその不幸な事故は、どちらかといえば小規模だったと言えるだろう。
被害者がなく、また屋敷の庭が主な被害場所だったから……という訳ではない。
消滅した範囲が、小さかったからだった。
村が突然に消えた、という噂が流れる事がある。
それは高い確率で、この不幸な事故が原因だと人々は思う。
強烈な爆音と共に、一つの町が瓦礫の山に変わったという噂が流れる。
それは高い確率で、この不幸な事故が原因だと人々は推測する。
眞藤雅宗ことイグニスは、その事件を引き起こした。
だが、意図して引き起こした訳ではなかった。
魔法の書が徐々に解読出来る様になった頃には、イグニスは魔力と聖力がかなり自由に扱えるようになっていた。
最初は雲を掴むような状況だったのに、それが徐々に己の意志によって変化させられる雲に変わり、移動させる事の出来る雲に変わり、掴める雲に変わり、集めたり散らしたり出来るような雲に変わっていった。
少しずつ集めて収束させていく技術を高め、自由自在に変化させる技術を高め、自身の意思でほぼ制御が可能になったと判断した時。
イグニスは、試しに実験を行った。
魔法の書はまだ全部は解読出来ておらず、そこに書かれてある内容もあまり把握していなかったが、収束と放出の二つの事が出来れば、とりあえずは大丈夫だと思っていた。
それが間違いだった。
魔力は危険だと元の世界の知識のイメージで考えたイグニスは、とりあえず正体不明の聖力の方を使ってみる事にした。
己の手元にビー玉程度の大きさに収束、圧縮させた聖力。
普通の目では見えないそれを、イグニスは前方へと打ち出した。
念のため、周囲に誰もいない時を狙って、放った方向にも誰もいないことを確認していたのが幸いだっただろう。
一瞬後。
室内から外の庭にある木の一本へ向かったそれは、突然に膨張し、周囲を根こそぎ消滅させた。
いったい何が起こったのか。
イグニスは随分と風通しの良くなった眼前に絶句していた。
推定で半径30メートル。
地面は消滅させきれなかったのか、楕円形に広がったその力は、あらゆる物質をのみ込み、そして消滅させていた。
地方の小さな歴史書の中にではあるが、この事件を切っ掛けに、イグニス・ゲシュペンスト・シフォン・ベルタユスの名は歴史に刻まれはじめる事となった。
猫が好きです。
ナニアじゃないよ、リリの方だよ。
ちなみにシルフィルは前髪長くて目を隠しています。
今、思いついただけだけど(  ̄ー ̄)*