「あれ、これノンフィクションですよね?」
その日、華斗は一人忘れ物を取りに放課後の誰もいない教室へと向かっていた。
何故ならその日一度家に帰った後に、数学のプリントが鞄の中のどこをどう探してもない事に気付いたからだ。
いや、もう最悪である。
数学のプリント忘れるとか。
私に死ねと言うことか。
いつもの華斗だったのなら、次の日の朝に早めに学校に行き、そのプリントを片付けるのだがその日は何を思ったか、学校へと取りに戻ってしまったのである。
そこにあの男がいることも知らずに。
これは、そんな『あの男』と華斗との、関わらなければ良かったと激しく後悔するような、フィクション中のフィクションであり、フィクションでフィクションなノンフィクションな物語である。
―――――――――――
私こと藍田華斗は教室の窓際、自身の席に座り頬杖をつきながら流れ行く外の景色をぼんやりと眺めていた。
ああ、和むな。
そんな事を思いながら。
いや、ホント空は和みます。
そんな私を見ていた、同じクラスの林葉杏がこちらに近付き声をかけてくる。
今時リアルで恐れ多くもツインテールという髪型にしている、強者だ。
「どうしたの?華斗。今日はいつにもまして憂い顔だねぇ」
「憂い顔て………まぁ、ちょっと気になる事があって」
「気になる事?……はっ!もしや華斗にもついに男の影が!?」
「杏、違うから」
手を口に当て目を見開く、演技臭い演技をする杏の言葉を直ぐ様否定し、華斗は杏をじっと見る。
小首を傾げ、何?と不思議そうな顔をする杏。
そんな杏に、何でもない、と華斗が視線を反らすと同時に教室のドアがガラリと音をたてて開かれた。そこには担任の先生が、後ろに見かけない顔の男の子を引き連れて入ってくる所だった。
転校生かな?と思いながら、自身の席へと戻っていく杏に手を振る私。にわかに教室がざわめく。
「今日は転校生を紹介するぞー」
やはり転校生らしい。
のんびり屋の担任先生が黒板にその転校生の名前を書いていく。
カツカツカツカツと音がする。教室は既に静まり返っていた。
そして、転校生の説明をなんとなーくする先生の話を、私はぼんやりと右から左へと聞き流していた。
華斗の頭の中には、昨日のありえないような出来事で大半占められ転校生の事など入る余地も無かったからだ。
そんなありえない出来事。
を、ここで回想シーンとして紹介しておこうと思う。
戻り戻って昨日の放課後。
課題で出ていた数学のプリントを教室の机に忘れてきてしまった事を思い出した華斗は、学校へと逆戻りしていた。
学校までは歩いて15分。家から歩いて15分。苦にはならない距離だ。明日の朝に早起きして教室で課題をするよりも、取りに戻って家で片付けた方がいい、とその時は考えていたのかもしれない。
きっとそうだろう。
そう思いたい。
それしか考えられない。
そして華斗が教室に着いた時、『激しくありえない出来事』が起こったのだ。
教室のドアを開けて中に入る華斗。
そこは誰もいない静まり返った不気味な教室。華斗はこの時そう考えていたのだが、その考えはすぐに覆されることになる。
机と机の間の狭苦しい地べた、そんな場所に壁に凭れて座り込んで俯いている男がいたのだ。
誰……?
何やってんの?
と華斗は暫しその場に立ち止まり、その男を見つめた。だが、いくら待っても動く気配のない男。
寝ているのだろうか。
多分寝ているのだろう、とそう勝手に決め付けた華斗は自身の机へと向かう。悲しきかな、その男は華斗の机の近くにいたので、華斗は足音をたてずにゆっくりと机へと向かわなければならなかった。
「…………」
近くで見たところ、このクラスの男子ではないだろうことは分かった。ちょっといい男なのも分かった。顔の造りが整っている。イケメンか、イケメンなのか。
だがこんな男、この学校には生息していない。
では誰か。
不審者か。
近所の人か。
それとも。
ここで一つ。
今後の展開のために言っておこうと思うことがある。
華斗はとても面倒臭がりな女である。
面倒ごとに巻き込まれるのがとても嫌で嫌でしょうがない女なのである。面倒臭がり中の面倒臭がりだ、と自分で豪語するくらいの面倒臭がりなのである。
そんな華斗に言わせた所、何だか嫌な予感しかしない不気味なこの男。
もしかしたら素敵な出会いになるんじゃない?とか、ウキウキわくわくな展開を世の女性徒達は想像し妄想し胸高鳴らせたりするのかもしれない。
だってイケメン。なんだもの。
だが、この時の華斗にはそんな夢見る可愛い系女子的な感情は無かった。
ただただこの男と関わり合いになる前に、即事撤退を試みたい。それだけを心に抱き、静かに静かに行動していた。
華斗は机の中からプリントを引っ張り出し、その場から退散しようとした。
もう一度だけ踞っている男を見てから。
だってイケメン。
何回も言うけどイケメン。
目の保養じゃないか。
拝めるだけ拝みたいじゃないか。
見るだけならタダじゃないか。
ああ、本当に整っている顔だ。
芸能人とかなのかなぁ、もしやアイドルか、アイドルなのか、としげしげ見ていた華斗。
そんな華斗にも一応人としての感情はある。常識はある。気遣いはある。面倒臭がりだが面倒だと言っていられない時がある。
「……………」
男はぴくりとも動かない。
本当に動かない。
まさか死んでるとかないよね?と華斗が思ってしまうのもしょうがない。
さらにじっと覗きこんだ華斗。
そんな華斗は、男の服に黒い染みが付着しているのを見つける。
ま、まさか…血のあと……!!
と華斗がおっかなびっくりしてしまうのも仕方がない。仕方がないのだ。
だってそれはテレビドラマであるような、ある意味ありきたりであり得そうな、そんな展開だったのだから。
ヤクザの抗争、とか。
人情沙汰、とか。
逃げてきた間男、とか。
逃げてきたホスト、とか。
逃げてきたイケメン、とか。
血深泥な展開ならいくらでもある。
ホントに面倒はごめんなんだけど!!と思った華斗。そして、このままほって帰るのも躊躇われた華斗。
恐る恐る男の肩をユサユサと揺さぶる。そんな華斗の勇気を褒め称えて欲しい。
「ね、ねぇ、ちょっと……大丈夫、ですか…?」
マジで死んでたらどうしよう。
いや、やめてよね、ホントに!
と、かなりパニくっていた華斗。
だからなのだろう。
この時、まだ職員室にいる先生を呼びに行くことを華斗は何故かしなかった。後に華斗はそれを死ぬほど後悔することになる。
落ち着くことが大事。
冷静に。
冷静に行動。
無心に。
無我の境地。
心のメモ帳の表紙にデカデカと太文字で、そう書いておいてもらいたい。とは華斗の談である。
そんな華斗の無駄な杞憂も、やはり無駄に終わった。男の体がぴくりと動いたからだ。
生きてた、と安堵すると同時に、もしこの男が本当に寝てただけなのだとしたら、起こしてしまった華斗は怒られるのではないか、と冷や汗をかく。
生きてたのなら安心。
長居は無用。即事撤退。
逃げるが勝ち。
私は無関係。
そそくさと立ち上がろうとした華斗。が、華斗の腕を男ががしりと掴む。
「え」
そのままぐいっ、と引っ張られ、危うく男に激突する寸前の所で、華斗は壁に手をつき難を逃れた。
「あ、あぶな…っ」
小さく呟く。
高鳴る心臓。はたから見たら華斗が男を壁に押し付けてる風な格好のまま数秒。というか、もうこれは抱き付いてる感じになっているだろうか。男の心臓の音が聞こえる。
一体何なんだと腕を掴まれたままの、身動きしづらかった華斗の首筋に男の息がかかる。
男の顔が首肩のあたりにあるのだ。
「……ぅ…」
さすがに異性のゼロ距離は心臓に悪い。
しかもイケメン。
イケメンの息が私の肌に。
息どころの状況じゃないんだけども。
頭の中がイケメンイケメン、息息息息、近い近い近い近い、と若干パニックになった華斗が冷静さを取り戻したのは首筋に痛みを感じた時だった。
「……っい…っ!」
痛みに顔を歪める。
痛みが走ったのは、ちょうど男の顔がある首筋辺り。男の息がかかっていた辺りだと気付いたのは数秒後。
そしてその次の瞬間には、華斗は自身の血が吸われているのだと気付いた。
体から何かが吸い上げられていく感覚。
ぞわり、と何かが這い上がる感覚。
寒気。
悪寒。
だが、痛みの走った首筋辺りは熱が集約して外へと出ていくかのように熱い。
華斗はがちりと硬直して動けなかった。
それが恐怖のためなのか、血を吸われているためなのか、動いても多分どうしようもないだろうと諦めたためなのか。
何が原因だったのかは解らない。ただ、この男が吸血鬼なのだという信じがたい事実だけが頭の中をぐるぐると回り続ける。
何だこれ何だこれ何だこれ、と廻り続ける。
そして。
華斗は気を失った。
次に華斗が気が付いた時、教室には華斗1人だけだった。
回想終了である。
ふぅ、と息をはき視線を転校生に移す。先生の紹介も一通り終わったらしく、転校生は本人挨拶をしている所だった。
「…………」
あの後、家に帰って鏡で首筋を確認したら、確かにそこには2つの傷痕があった。漫画などで見る、吸血鬼の牙のあと。
触ったら溝があった。
恐くなってそれ以上は触らなかった。
だが、その翌朝。
首筋にあったその傷痕は綺麗さっぱり消えていた。あの出来事は夢だったのだ、と言わんばかりに綺麗に。
でも夢ではないことを華斗は知っている。
こんなありえない話、親友である杏には言えっこなかった。「吸血鬼がね、いたんだよ。昨日教室に」だなんて、ついに頭いっちゃったか、と思われてしまうこと必須。可哀想な目で見つめられること確実。
証拠となりえる傷痕が首にない今、尚更だ。
転校生が深く礼をし、教室に拍手が籠る。華斗も拍手をし、転校生は先生が指し示した廊下側の空いている席へと着席した。
そこで華斗は初めて転校生をちゃんと見た。失礼な女だと思わないでやって下さい。
転校生。
なんの変てつもない普通のメガネ男子。
これがイケメン、とか帰国子女、とか実はメガネを外したら美形だった、とか実はこの界隈を征服している陰の番長だった、とかならクラスの女子も騒ぎがいがあるのだろうが、あいにくそんな展開そうそうあるわけがない。
だってこれはノンフィクション。
フィクションじゃなく、ノンフィクション。
そんな素敵展開、あってたまるか。
「じゃあ、今日の日直は相馬と田仲だからなー。あと山田、二宮に教科書見せてやってくれな。まだ持ってないそうだから」
転校生、『二宮匠』の隣に座る山田がうぃーすと軽く返事をする。
二宮匠、か。
かっこいい名前だなちくしょう。
と考えていたこの時の華斗はまだ知らなかった。
この転校生。
この転校生こそが昨日の吸血鬼の正体であり、実は眼鏡を外すとイケメンでしたな乙女的展開の主であり、面倒事しか持ってこない面倒を代表するような人物であることを。
「あれ、これノンフィクションですよね?」
「いえいえ。フィクション中のフィクションに決まっているじゃあありませんか」
この話はフィクションです。




