第十四話「死亡確認」
それは突然の事だった。あまりにも突然すぎた。茶色い霧の立ち込める世界の中、最初の衝撃の後も意識を残していた者達は何が起こったのか解らず、その場で立ち上がりただ呆然としていた。
そんな彼らが次第に状況を理解し始め、それと同時に思い出したように様に悲痛な声を上げ始める。土煙で視界が朦朧とする中で周囲から上がる悲鳴と怒号と喧騒だけがはっきりと伝わり、そしてその絶望の色は光速で他者に伝播していく。それまで穏やかな雰囲気だった喫茶店が悲憤の坩堝と化すのに時間はかからなかった。
「……」
叫び声。助けを求める声。人の名を呼ぶ声。上げる声は違えど、彼らの頭の中を占領する光景は全て同じだった。
爆音。衝撃。宝石のように輝きながら砕け散るガラス。むき出しの窓から流れ込む、全てを吹き飛ばす茶色い神風。
それらを感知した次の瞬間には、それまでそこにいた彼らは皆一様に地面に叩きつけられていた。その時に意識を刈られた者も多く、それは窓際にいた大悟とルカも同様だった。
「う……」
やがて意識を取り戻した大悟が鉛のように重くなった体をゆっくりと起こす。体を揺らすたびに鈍い痛みが全身に走り、背中に積もった砂とガラス片が音を立てて流れ落ちる。
頭を何度か振って意識を覚醒させ、四つん這いのままでルカの姿を探す。砕けたカップとクリームの瓶が散乱し中身が飛び散る中、肝心のルカはすぐに見つかった。自分の目の前で、それまでの自分と同じように気絶していたからだ。
「ルカ!」
「う……ううん……」
「ルカ!起きて、ルカ!」
「うう……ダ、ダイゴ?」
意識を取り戻したルカが虚ろな声で尋ねる。
「ねえ、これなに?何が起きたの?」
「……多分、攻撃が始まったんだと思う」
「え?だって、もう大丈夫だって言ってなかったっけ?」
「俺だって信じたくないけど、でも実際にこうやって被害を受けてる。他に理由がないだろ」
「それは……」
「とにかく、話は後だ。早く逃げないと」
そう言って大悟がルカの手を取り、その細い体を起き上がらせる。しかし手を離して自分で立ち上が
ろうとした所でルカが大きく前によろめく。
「ルカ!」
慌てた大悟が反射的にその体を抱きかかえる。一瞬驚いたルカだったが、すぐに痛みに歪んだ笑みを作って大悟に言った。
「ご、ごめん。ちょっと、足ひねっちゃったかも……肩、貸してくれない?」
「ああ、もちろん」
大悟はそう言って躊躇うことなくルカの腕を背負い、半狂乱になった人の流れに沿うようにして店から出て行こうとする。周囲の人間は訳も解らず喚きたてていたが、その中にあってルカと大悟は驚くほど冷静になっていた。
「魔法」
「え?」
覚束ない足取りで出口に向かう中、不意にルカが言った。
「魔法が使えたら、全部解決できるのに」
「ルカ……」
もし魔法が使えれば、自分の足を治すことも、大悟を連れて空を飛んで逃げることも出来る。風を操ってこの不快な土煙を払うことだってできるし、上手くすればこの状況を生み出した奴を返り討ちにすることだって出来る。
何でも出来るのに。
「私、私……」
自分の無力さが恨めしかった。大事な時に何もできない。どうして自分だけ魔法が使えないのか、この場で大悟に八つ当たりしてしまいそうだった。
でもそんなことをしても何も変わらない。そんなことはわかっているから、ルカはただ唇を噛んで、その悔しさをぐっと押し殺していた。
「ルカ」
その様子からルカが何を考えているのか、大悟はおぼろげながら理解した。そして自分が一丁前に相手に説教をする事に後ろめたさと気恥ずかしさを覚えながら、大悟がルカだけに聞こえるように小さく言った。
「人間には、出来ることと、出来ないことがある」
「え?」
はっとした顔でルカが大悟の方を見やる。真っ赤になった所を見せないように顔を反らしながら、大悟が早口で言った。
「その、焦らなくてもいいってことだよ」
「ダイゴ……」
「今は、助かることを一番に考えよう。魔法の事は後回し。いいね?」
「……うん!」
大悟の言葉で心が軽くなるのをはっきりと感じながら、ルカが大きく頷く。それを見た大悟が安心したように頷き返すと、今までよりも力強い足取りで出口に向かっていった。
喫茶店の出入り口はドアが吹き飛ばされており、辛うじて外枠だけが残された状態となっていた。そしてそこからやっとの思いで抜け出した大悟とルカは、正面の大通りにある光景を見て言葉を失った。
「あれ……」
「うそ……」
それ――大通りの中心に出来たクレーターと、そこに立っている一つの影を見た大悟は一瞬、自分は漫画かゲームの世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚した。そうやって目を見開いて驚く大悟の横でルカも同じように驚いていたが、それは大悟のそれとは別の驚きであった。
「魔族……!」
浅黒い肌。背中から生やした漆黒の翼。手に持った長槍。煌々と輝く赤い瞳。まともに手入れのされていない傷だらけ癖だらけの白い髪。
魔族――レビーノで奴隷同然に扱われ、戦争でも捨て駒として真っ先に前線に投入される存在の姿を目の当たりにし、ルカはこの世界で起きていることを即座に理解した。
「この世界、やっぱり私たちと戦争してたのね!」
「やっぱり!?」
耳聡く聞きつけた大悟がひきつった顔で聞き返すが、ルカはそれに答えずに逃げることを催促した。
「今は逃げるのが先!並の人間が魔族と戦っても勝ち目はないわ!」
「お、おう!」
その気迫に気圧され、どこか逃げる場所は無いかと大悟がしきりに首を振って逃げ道を探す。
そうして何度か首を振った直後、眼前の魔族と視線が重なり合う。
大悟の姿を認め、魔族が薄く笑う。大悟は全身が総毛だつのをはっきりと感じた。
「やば……!」
「早く!どこでもいいから逃げて!」
ルカに促され、全速力で大悟がその場から離れようとする。だが怪我人を肩に背負いながらの前進は、当然ながら周りの人間たちよりもずっと遅い物となった。
それでも大悟は、額から嫌な汗を流して必死にその場から遠ざかろうとする。
その魔族にとって、それは格好の餌以外の何物でもなかった。
魔族は永い間人間からの圧政に苦しめられてきた。彼らに名前は存在せず、ただ『魔族』と一括りにされていた家畜に一々名前を付けていくのは非常に面倒だからだ。
個性を否定され、一個の生命として見られない地獄の苦しみ。そんな苦しみから自らを解放し、感情を爆発させることのできる唯一の居場所が、戦場であった。
誰とどこで戦っているかなどどうでもよかった。彼らは虐げられた事に対する鬱憤を晴らせればそれでよかったのだ。そうして戦場に赴き、彼らは自分よりも弱い他人を傷つけ、涙を流す様を見て言いようのない喜びに浸るのである。
略奪。殺戮。何でもありである。そうやって感情のままに、怒りのままに暴虐の限りを尽くす姿はこちらの世界における魔物のイメージに非常に酷似していたが、実際は彼らもまた人間によって傷つけられた存在であったのだ。
だがレビーノでの彼らの立ち位置など、こちらの世界の人間にとっては知ったことではない。こちらの人間にとって彼ら魔族の存在はただ恐怖と絶望の対象であり、こちらの人間が彼らの背景を知ったところで歩み寄る気などさらさら湧かなかったであろう。
そして魔族も、別世界の住人からの理解など望んでいなかった。彼らが求めているのは、自らの心の渇きを癒す獲物だけであった。次元跳躍装置と呼ばれる黒い球体を使ってレビーノからこちらに降り立ち、落下と同時に衝撃魔法を地面に放って喫茶店を含む大通りに面した建物一帯を半壊させたその魔物もまた、獲物を求めていた。
怪我人を背負ってのろのろと路地裏に駆け込んでいく二人組の男女は、まさに格好の獲物であった。
他の人間は既に眼中に無かった。
「じゃあなに?あの空中に浮いてた奴も、君の言うレビーノって所の奴なの?」
そこは人間二人が横に並んでやっと通れるくらいの道幅を持った薄暗い路地裏だった。左右を同じくらいの高さのビルに挟まれており、そのビルはどちらも五階建ての雑居ビルであった。もうすぐ正午になろうと言う時間帯なのに、そこは宵闇のように薄暗かった。
そこを肩で息をして進みながら、大悟がルカにそう尋ねた。時折襲い来る足の痛みに顔を歪めながら、ルカが確信したように返す。
「うん。サイズは違うけど、あれは私がこっちに来たのと同じ物だった。見た目が同じだし雰囲気も何となく似てるし、何よりあそこに魔族がいたってのが決め手かな」
「魔族?あの黒い奴?」
「うん。私の世界じゃ魔族はかなり差別されててね。戦争みたいな人死にが沢山出るような所には率先して駆り出されるの。要は使い捨てってわけ」
「酷い話だなあ。それにしても人間を魔族が差別してるのか。こっちのイメージとは真逆だな」
「逆?」
「こっちは、大抵は魔族が人間を支配してる場合が多いんだ。物語の中の話だけど」
突如短い呻き声を上げて大悟がその場に倒れこんだのは、正にその時だった。