第十三話「ベリー・カーチスという人間の断片」
「……!」
「お、おい!」
目を大きく見開くベリーの横でキールがまっすぐキリカを睨みつけるが、キリカは意に介さないように眼鏡を抑えながら言った。
「あら、これは事実でしょう?事実を言って何が悪いのです?ねえ、親に捨てられ、お情けで貴族に拾われたベリー・カーチス……いや、シン・デステロスさん?」
「ッ!」
場の空気が凍りつく。
その空気の変化を敏感に察して、周囲にいた生徒の何人かがキールたちの方を見やる。
「あら、シンさんて言うの?」
「ごきげんよう、シンさん」
まるで示し合わせたように、キリカの背後の生徒たちが冷笑を漏らし始める。
「そこまでしなくても……」
キールが息をのむ。その余りの容赦のなさに、自身の体がショックで石のように硬直するのを感じた。
孤児。捨て子。シン・デステロス。それはベリーにとって禁句だった。
「……」
思い出したくなかった。ベリーは震えていた。
今の親に拾われてから、それまでの惨めな人生と共に捨てた筈の名前――道端にうずくまり砂利を噛んで過ごした忌まわしい記憶の断片を掘り返され、ベリーは怒りと悲しみで震えていた。
ベリーの嘆きを肌で感じ取る。キールは石と化した体に力が再び漲るのを感じた。
友達を汚された怒りが全身に漲っていく。硬直から体が解放された瞬間、彼は半ば無意識にキリカに詰め寄っていた。
「なにもそこまで――」
「いいの!」
だがそれを、震える声でベリーが制止させる。やり場のない怒りを顔にありありと表しながらキールが言った。
「だけど、これじゃ君が!」
「いいの。私は大丈夫ですから」
「だけど!」
「今そこで彼女に掴みかかってごらんなさい。あなたの一家は確実に破滅しますわ」
「――!」
そうだった。キリカ・ゼクルス――ゼクルス家の一人娘である彼女が彼女を溺愛する父親に頼み込めば、キールの家族へ『だけ』、その食糧供給をストップさせることも出来る。彼らは農場から出荷される食料品だけでなく、それを売る街の店にまで多大な影響力を持っていたのだった。
「そういうことです。この世界で生き延びたければ、私に反抗しない事です。わかっていただけましたか?」
「くそっ……」
「キール、私は大丈夫ですわ。私の為に、あなたが滅びる必要はありませんわ」
「あらあら、美しい友情だこと」
キリカが澄まし顔を浮かべわざとらしくそう褒め称えた後、すぐに顔を歪めて吐き捨てる。
「反吐が出ます」
「……言いたいことはそれだけですの?」
「いいえ、それとあともう一つ」
「?」
「私もこの度、志願兵として戦場に赴くことになりました。それを一言申し上げておきたくて」
「あらそうですの。私には関係ないことなので、そんなこと言われても正直どうでもいいのですが」
その反応を待ってたとばかりに口の端を吊り上げ、キリカが嫌味たらしく言った。
「確かあなた方のもう一人の友人……ルカと申しましたか。戦場となる世界で私が彼女と鉢合わせにならないよう、あなた達は祈っておいた方が良いと思うのですけれどね」
「な……」
「どうして、それを」
二人してその顔を驚愕に染める様を満足げに眺め、追い打ちをかけるようにキリカが言った。
「私はゼクルスの娘。ましてや生徒会執行部副部長。情報などいくらでも集められます」
「……」
「まあ、言いたいことは以上です。私としても、あまり彼女には会いたくありませんから――どれだけ魔法の使えない屑を嬲り殺してしまっても、こちらの世界の事ではないので殺人にはなりませんからね」
そう吐き捨てて、取り巻きと共にキリカが優雅な足取りで教室を出ていく。その後ろ姿を、キールとベリーはただ見ている事しかできなかった。
「……今日はいつもより凄まじかったですわね」
「……そうだね」
そう言い合い、二人してため息を吐く。このようなことをされるのはこれが初めてではない。もっと酷い時もあれば、これより軽い時もあった。それでも、その度に彼らの心が、嵐が直撃したかのようにボロボロになる事に変わりはなかった。
「まったく、毎度毎度お騒がせな連中ですわね」
「ベリー、本当に大丈夫?」
「ええ。私は大丈夫ですわ。本当にあなたは心配性ですわね」
そう言って自身の金髪をかき上げるベリーだったが、その顔には疲れの色がありありと見て取れた。
同時刻、別世界でルカが肉体的に死にかけているのと同じくらい、彼らも精神的に死にかけていた。