8話 制御できないもの
女が崩れ落ち砂のなかに沈んだ。
少し遅れて乾いた音が一つ返りすぐに消える。
静寂が戻った。
――呼吸はある。
浅く、速く、喉の奥で擦れるような音を立てている。
ヤトは立ったままその様子を見下ろしていた。
分体はもう動かない。
砂の上には分体が残したもの
――行き場を失った殺気だけが澱のように張りついている。
――止まった。
脅威が消えたと判断された瞬間、防衛反応は終わる。
それは想定通りだ。
その先に続くのはただの静止だった。
夜風が砂を撫でても女は反応を示さない。
ヤトの視線が女の脚に落ちる。
関節は砂に半ば埋まり不自然な角度で折れ曲がっていた。
外から折れたというより内部から潰された――そう見える。
月明かりに引かれた影がその歪みをなぞる。
ヤトは膝をつき指先で女の脚の周囲の砂を払った。
皮膚に触れるが女は身じろぎひとつしない。
喉が鳴った。
飲み込んだ息が、やけに大きく耳に響く。
「……やりすぎた」
声は低く乾いていた
誰に向けた言葉でもない。
言葉にしなければ目の前の光景がそのまま胸に落ちてきそうだった。
一歩、距離を取る。
足裏に伝わる砂の感触は軽く地面に立っている実感が薄れていく。
逃げるためだった。
止めるためだった。
自分は何を放ったのか。
どれほどの圧でどこに当たったのか。
分からない。
分からないまま起きた。
『原因を整理するか?』
コギトの声が頭の奥に響く。
「……今は…いい」
即答だった。
ヤトは女に背を向ける。
見続ければ足が止まる。
それだけは分かっていた。
歩きながら分体を引き戻す。
糸のような感触が皮膚の下を這い体の奥へ戻っていく。
脈打つ不快な感覚。
洞窟に戻るまでヤトは振り返らなかった。
夜。
ランプに火を灯すと洞窟の壁に影が揺れた。
湿った岩の匂いが遅れて鼻に届く。
水袋を持ち上げる。
軽い。
栓を抜き中を確かめて眉を寄せた。
水面は想像していたよりもずっと低い。
「……減りすぎ」
あの一瞬でこれだけ消費した。
制御も調整もないまま反射的に放った結果だ。
水袋を脇に置き壁にもたれる。
膝を抱え額を伏せると冷えた岩が触れた。
自分が直接戦わずに済むように作った仕組み。
判断を任せるための防衛。
それが今日人を壊してしまった。
『水の密度と方向の制御が不十分だ』
『事前の想定が曖昧だった』
淡々とした声。
否定でも断罪でもなくただの事実。
ヤトは目を閉じた。
「……分からなかった」
向かってくる姿が怖く間合いに入られたくなかった。
それだけだった。
ランプの火が揺れ影が壁を滑る。
そのたび砂の上の光景が脳裏をかすめる。
このまま使えば次も起きる。
距離が違えば結果はもっと酷くなる。
水が尽きたら――
その先を考え思考を止めた。
ヤトは顔を上げる。
「……制御しなきゃ」
水袋を引き寄せ、静かに置く。
体内で分体がわずかに応じた。
嫌悪は消えない。
だが、目は逸らさない。
「分からないまま使えない」
任せきりで作った仕組みの正体がようやく見えた。
強さも止まりどころも自分で決めていない。
それが一番危険だった。
ランプを近くに引き寄せる。
小さな光が、洞窟の闇を押し返す。
研究はここから始まる。
生き延びるためだけじゃない。
壊しすぎないために。
自分が自分を怪物だと思わずに済むために。
ヤトはランプの火を見つめ続けた。
その光は頼りなかったが確かに闇の中に踏みとどまっていた。




