3話 利用価値はいかほどに
流砂群を離れてもしばらくライカの思考は砂の底に置き去りにされたままだった。
視界の端で揺れる目隠し用だと思われる蜃気楼。
…いつの間に…
あらかじめあの少女が施したのか不自然な揺らぎ。
離れて見るとただの延々と続く砂漠が見える。
――いやでも、あの少女は幻ではない。
「……忘れよう」
そう口にしたものの自分でも無理だと分かっている。
あの少女――名も名乗らず、
当然のように流砂から現れ、当然のように去っていった。
流砂を既に使う者が他にもいるという事実だけでも厄介なのに、
あれは説明のしようがない。
「あね様、あの人はいろんな意味で今は逆らってはいけない?」
フウカは淡々と言うが、その声には僅かな緊張が混じっている。
それを聞いて、ライカは内心で頷く。
感覚の鋭いフウカがそう判断するなら、なおさらだ。
「だからこそ、よ。今は関わらない。
こちらから触らなければ、向こうも触れてこない」
――そう信じたい。
だが同時にあの少女の琴線に触れれば厄介だとも思っている。
あの少女は、そういう存在だ。
ライカは意識的に思考を切り替えた。
「……現実的な話をするわ、私たち二人で抱える規模じゃない 、
この流砂は便利すぎる」
フウカは小さく頷く。
「……時間、一定」
「そう。今のところ距離は関係ない感じ」
何度試しても結果は同じ。
――商人が喉から手が出るほど欲しがる条件だ。
「でも、直接商人と組むのはダメ。必ず揉める」
「……なぜ?彼らは利に敏感」
「利がありすぎるから。最終的には奪われる」
ライカは淡々と続ける。
「契約、裏切り、事故。手段は選ばない」
流砂は足元で静かに揺れている。
「これは儲け話じゃない。仕組みという力よ」
「……狙われる?」
「そう。守るだけじゃ足りない」
ライカは視線を逸らさずに言い切った。
「商人と組まない。商人が逆らえない形を先に作った方がいい」
「……逆らえない?」
「奪うより、従うほうが安全だと思わせる」
薄く笑う。
「だから、遠回りに見えても正解は一つ。
村を使おうと思う。制約を緩めさせて、有力者を矢面に出し私たちは裏に身を隠す」
チラリと視線を感じたフウカの視線が少しだけ揺れてライカから逸らした。
「……私が、戻る?」
一瞬で状況は理解した。
必要なのも理にかなっているのも分かる。
それでも胸の内に浮かんだのは純粋なうんざり感だった。
目を伏し目がちにして聞いていたフウカは、
反論をしようと口を開きかけ、力なく、なぜこんな役回りばかり押し付けるのかと半目でライカを見て左手のこぶしを震わせる。
「そう。検証も、説明も、交渉も」
「全部?」
「全部」
即答だった。
「いや、それはあまりにも…あね様は何もしていない?」
ライカは無言で2度顎をしゃくった。
フウカはその場に膝から崩れ落ちた。
「……あね様?」
フウカは、ほんの一拍置いてから口を開いた。
声を荒げる必要はない。
問いの答えは、すでに分かっている。
それでも、確認せずにはいられない。
「私たちは、逃げるように村を出た。
それを、忘れている」
砂の上に腰を下ろしたライカは、振り返りもせずに答えた。
「忘れてないわ」
迷いも、言い訳もなく即答する。
「でもね」
やれやれと手を広げ、肩をすくめる。
「あなたが戻れば、“連れ去られた側”になる。
私はいつでも悪役になれる。得意でしょう?」
あまりに当然のように言われて、フウカの瞼が半分落ちる。
本当にこの人は、躊躇というものがない。
自分がどう見られるか、どう裁かれるかより、結果だけを見ている。
そして、その結果のために誰が動くべきかも最初から決めている。
「村の連中はね、“仕組み”と“実利”を見せれば動くよ、たぶんね」
ライカは立ち上がり布を一枚取り出した。
「特に草方。外貨に弱い人たちでしょ」
布が差し出される。
フウカは無言で受け取り、視線を落とした。
・各流砂拠点の仮囲いと偽装
・守備要員の最低配置
・商隊要員と交渉役の選定
・資金の捻出
・運用検証要員の確保
……重い。
文字通り役割も責任もすべてが。
「説明は、あなたがやるのよ」
ライカはあっけらかんと続ける。
「私が行くとたぶん説教が長くなり話が進まない」
「……それ、あるんだ自覚…」
「もちろん」
胸を張るその姿にフウカは深く息を吐いた。
怒る気にもなれない。
この人は、最初から“そういう人”なのだ。
「交渉役は?」
「ベンテンさん。一択。
条件は利益の二割。飲めなければ破談」
「……強気」
「当然よ。時間と安全を買わせるんだから」
フウカは、無意識に流砂へ視線を向けた。
検証のたびに何度も往復してきた場所。
ただの“便利な抜け道”だったはずのそれが、いつの間にか現実を引き寄せる装置になっている。
面倒だが理屈は通っている。
だからこそ、断りにくい。
「……どんな結果になっても、文句は言わない?」
胡乱な視線をライカに向ける。
「言わないわ。た・ぶ・ん」
「“たぶん”?」
「あなたが上手くやるって信じてるから」
最悪の信頼の置き方だ、と思いながらもフウカは何も言い返さなかった。
逃げ道は最初から用意されていない。
静かに印を結ぶ。
体内の気力が整い流砂の流れが足元でわずかに変わる。
「……行ってくる」
それだけ告げてフウカは憮然とした表情をしつつ
くるくると砂の流れ身体任せゆっくりと砂の中へ沈んでいく。
その背中にライカは軽く手を振る。
「よろしくね。私たちの未来」
そう言ってからライカは一度だけ視線を落とした。
すぐに顔を上げる。
迷いは、もう見せない。
流砂が何事もなかったかのように元の形へ戻る。
残されたライカは、ひとり砂の上で笑った。
フウカの気配が完全に流砂の向こうへ消えたのを確認してからライカはゆっくりと息を吐いた。
「……さて」
誰に向けるでもなく小さく呟く。
風が砂を撫で、先ほどまで人が立っていた痕跡を曖昧に塗り潰していく。
ライカは砂の上に落ちていた小石を、つま先で軽く弾いた。
小石は流砂の縁で一度跳ね、やがて音もなく沈んでいく。
前に出ない。
沈むのは、投げられた側だけでいい。
「本当、便利な子」
口調は軽いが、皮肉は半分、自嘲が半分だった。
フウカは疑わない。
投げられた仕事を面倒だと理解したうえで、結局やり切る。
――だからこそ、任せる。
ライカは一瞬、口を開きかけて何も言わずに閉じた。
代わりに、息だけを細く吐く。
「……私が行ったら、たぶん全部壊すことになる」
村に戻ればきっと感情が先に出る。
逃げた理由も追い詰められた経緯も、説明し始めたら止まらない。
説教になり、正論になり、最後は誰かを責める。
それでは、人は動かない。
村の顔ぶれが脳裏に浮かぶ。
数字に反応する者、噂に弱い者、立場だけを見る者。
――理由はどうでもいい。
動く理由さえ与えれば、それでいい。
「流砂は奇跡。
でも、奇跡を独占するのは罪になる」
だから、奇跡は“村の資源”にする。
自分たちは、その運用に関わる一部に過ぎないという顔をする。
利益は分散。
責任も分散。
そして、最終判断は“有力者”に預ける。
「ベンテンさんなら、この機会を絶対に逃がさない」
二割。
少なくないが彼女はきっとすぐに理解するだろう。
この話が時間と命を短縮するものであることを。
ライカは流砂を見下ろす。
フウカが戻ってくるまで、猶予はある。
その間にやることは多い。
偽装の案。
情報の出し方。
もし、流砂の存在が漏れた場合の“最初の事故”。
「……本当に、嫌な役目ばかり押し付けてるね、私」
そう言いながらも後悔はない。
この形が最も成功率が高い。
自分が矢面に立たないこと。
それが、二人がうまく立ち回りよい結果を得る最短経路だ。
ライカは砂に腰を下ろし空を仰いだ。
「さあ、私は私で――
どうやって楽をし、楽しむかを考えましょうか」
風が吹き、蜃気楼がわずかに揺れる。
そこに、もう少女の姿はない。
だが、確実に“面倒な未来”だけは残っていた。
フウカと別れて二日が経った。
ライカはシンの街と流砂群のあいだを行き来しながら落ち着かない時間を過ごしていた。歩くだけでもそれなりに距離があり正直なところ骨が折れる。
そろそろ様子見はやめてフウカから連絡が来るまで待とうか
――そう思い始めた頃だった。
目を覚ますと天井に影があった。
あり得ない位置に。
見上げて息を呑んだ。
フウカの飼っている蝙蝠が梁にぶら下がっていたのだ。
足に結ばれた布を解き、読む。
『……あね様? 今どこにいる? すぐ戻れ!!!』
文字から滲む怒気にライカは舌打ちしつつも宿を飛び出した。
正規の門は使えない。
不法侵入の身だ。
人目のない場所で壁を越え、朝の冷えた風を受けながら砂漠へと出る。
夜明け前の砂漠は静かだった。
日中の灼熱とは裏腹に早朝の空気は肌寒い。
海に近いシンの街はまだましだが、それでも油断すれば体力を奪われる。
小走りで進みながらライカは内心でぼやいた。
(私は最低限すべきことはやった。十分でしょう? )
砂丘を越えた先に、流砂群が見えた。
そして、そこに立つ二つの影。
フウカ。
それから――見覚えのある、背の高い女。
「……本当に、最悪」
ライカが砂に足を取られて転がり込んできたのを見て、フウカは小さく息を吐いた。やっぱり来た、というより、やっと来た。
あね様はそういう人だ。
面倒だと理解したうえで放っておけず、最後には自分から首を突っ込む。
チヨメ族長の視線がわずかに動き、流砂よりも重い圧が場を支配する。
フウカは口を閉ざした。
ここで自分が余計なことを言えば話は壊れる。
判断するのは、あね様と族長だ。
自分はただ、事実だけを差し出せばいい。
――理解できない術を使う者がいる。
危険だと思った。
それだけ。
ライカが言葉を選ぶ気配を背中で感じながら、フウカは砂の流れに意識を澄ませた。
人の思惑だけが、いつも余計だ。
「ずいぶん間抜けな登場だな、ライカ」
振り返ったのは、族長チヨメだったがすぐに視界から消えた。
ゴンッ!!
すごい音がして、ライカが頭を抱えてうずくまっている。
少し頬をひきつらせ、何もされているないフウカも自分の頭を抱えている。
「痛っっ…」
チヨメは自分のこぶしを手ぬぐいで拭っている。
「痛くないと示しがつかんからのぅ、婆さまからも言われとるし」
やはり、こうなったか。
ベンテン経由で話が回れば、この人が黙っているはずがない。
フウカは、ほんのわずかに口を閉ざし、視線をチヨメの手元へと落とす。
「私は指示通りに動いた?」
淡々とフウカはライカに告げる。
「ベンテンさんの店に族長が居合わせただけ」
悪びれない態度に、ライカはさらに頭を抱えかける。
――まずい。
逃げ道は狭いが、まだ塞がれてはいない。
だが、チヨメは、すぐには言葉を発さずジッとライカを見る。
流砂の表面がかすかに波打つ音だけが耳に響く。
「今は婆さまもおらぬからな建前を言う必要もあるまい、焦るな。
罰を与えるつもりはない。
面白いものを見つけた功績の方が大きいわ」
チヨメは少し意地悪い笑顔でそう告げた。
助かった、と胸を撫で下ろす一方で逃げ場が消えたことも理解する。
「で?」
チヨメはスッと流砂を指差した。
「これを、お前はどう使う?」
即答はせず、ライカは少しずつ言葉を選び口を開いた。
(ここは、腹の探り合いや裏読みをすべきではない)
「できれば、草方を前に出して頂きたく。」
「慈善と交易を表に、裏は今まで通りに…ということか?」
その心は?とばかりに返す。
腹の内を隠さない提案に、眉根を寄せ渋い表情をわずかに見せるも
チヨメは口角を少し上げた。
「確かに、そろそろ変化が必要だと思っていたところだ」
ここを逃すまいとライカがたたみかけようとする。
「売上の一割を、私たち姉妹に」
チヨメの頬がピクリと動く。
「一割だと?…五分…でどうだ?」
「一割で!」
ライカも引かない。
ス~ッと大きく息を吸い込むチヨメ…
「よかろう一割だ」
そのとき、フウカが口を挟む。
「……ここを、昔から使っている別の者がいる」
「危険か?」
「理解できない術を使う?」
チヨメは目を細め、やがて肩をすくめた。
「邪魔をせねば放置だ。問題が起きたら、わたしが出る」
朝焼けが砂丘を染める。
話はまとまり、物事は次の段階へ進んだ。
――金は入る。自由も増える。
だが、あの少女――の存在だけは、
この仕組みの外側にある様にライカは直観で感じた。
「……本当に、面倒なことになりそうね」
ライカの呟きは、流砂に吸われて消えた。




