第3話
「よお、お疲れ」
「お疲れ様です。明日香さん」
彼女はこの会社の長、鳳明日香。年齢は今年で二十五歳。目鼻立ち整った顔に、モデルさえも裸足で逃げ出す均整の取れた長身のプロポーション。お洒落には興味が無いらしく、肩口で切りそろえた髪を無造作にゴム紐で纏めるという、洒落っ気のない髪型だ。
「あら、旭くん。お疲れ様」
部屋の給湯室から出てきたのは、一人の女性。艶のある黒髪は腰まで長く、おっとりとした笑みを浮かべている。灰色のニットに白のパンツといった春の装いは大変よく似合っており、正に和風美人という言葉がピッタリ合う。
彼女、笹川桜は会社の事務及び給仕を担当しており、明日香とは幼馴染。
「旭くん、コーヒー飲む?」
「はい。いただきます」
「ちょっと待っててね」
「明日香、私もコーヒーのお代わりを」
「はいはい」
旭は自分の机に座り、仕事道具であるパソコンの電源を入れる。
鳳エンジニア社はソフトウエア開発会社であり、主な顧客は自治体。現在旭が担当しているのは、地元の自治体から依頼されたハザードマップを表示するアプリケーションの改修。
「そろそろお茶にしましょうか」
しばらくしてから桜がパンと手を叩き、机から立ち上がる。
鳳エンジニア社には午後に三十分ほどの休憩時間がある。しかもこの時間は業務時間として数えられるのだから、超ホワイト企業だ。以前、旭は明日香に何故このような時間があるのかと尋ねた。業務効率を上げるために必要、というのはあくまで建前であり、桜がお茶を入れる時間を楽しみにしているからと答えた。
旭は部屋のテレビの電源を入れる。その後、自分の机の引き出しからクッキーの缶を取り出し、チョコクッキーを一枚口の中へ。給湯室から出てきた桜はお茶を旭の机に置いた後、空いている机に座った。明日香と桜はガールズトークに花を咲かせる。一方の旭はクッキーを食べながら、何気なくテレビを眺めていた。映っているのは地元のローカル番組で、現在はニュースが流れている。
「では、次のニュースです。二日前、先週の土曜日に逮捕されたテログループ、世界救済教についてです。世界救済教は、先週の土曜日に子供達二十三名と児童館の職員一名を誘拐しました。現在容疑者達は黙秘しており、犯行に使用されたマイクロバスや銃の入手経路は不明です」
「ねえ、これって旭くんが解決した事件でしょ?」
桜は旭に体を向け、テレビを指さす。
「はい。そうです」
「すごいよね。こんな凶悪なテロリストをやっつけちゃうなんて」
「いえ。自分の使命を果たしただけです」
鳳エンジニア社はソフトウエア開発会社の他に、もう一つの顔を持つ。それはウォッチャーの〇〇県××支部。普段は民間企業として活動しているが、ウォッチャー本部から任務が来た場合は、ウォッチャーとしての活動を行う。
ウォッチャーは民間人のメンバーを常に募集している。仲間を増やし、より多くの情報を得るためだ。メンバーとなった民間人は重要なウォッチャーの目であり、耳となる。ウォッチャーは個人だけではない。鳳エンジニア社のように組織丸ごとウォッチャーであることも。ウォッチャーの活躍が認められた現在は、自社のブランディングの一環として加入する組織が多い。
少し前に、旭は鳳エンジニアがウォッチャーの支部になった経緯を、明日香に尋ねたことがある。元々明日香が個人でウオッチャーの活動をしており、彼女が会社を立ち上げた時に支部と認定されたようだ。
ウォッチャーと一言で言っても活動の仕方は様々。専業の人もいれば、旭のように日常生活とウォッチャーの活動を並行している人間もいる。桜の様に書類仕事を中心としている者も。
「ま、独断専行だったけどな」
明日香の指摘に、旭は息を詰まらせた。
彼女の言う通り、テロリスト達の鎮圧は旭の独断専行だ。旭の本来の任務は、世界救済教の潜伏場所の発見。鎮圧は警察や経験豊富なウォッチャーに任せることになっていた。
旭が潜伏場所を発見できたのは、幸運の一言に尽きる。
世界救済教が事件を起こす当日の早朝、旭にある一つの情報がきた。情報源はウォッチャーである男子大学生。動画投稿サイトの、廃墟巡りの様子を映した動画に世界救済教のメンバーが映っていると。旭が動画を確認してみると、一瞬だが信者に似た男が映っていた。ウォッチャーの顔画像判定技術を使用した結果、同一人物と断定。
旭はすぐに動画の廃工場へ確認に向かった。旭が工場内の様子を伺っていると、山本が子供達を連れてきた。山本達が子供達を焼き殺そうとした時、応援を待てないと判断。工場内のテロリスト達と人質の位置を把握した後、単身で突撃。見事子供達を救出した。
だが、旭の行動は明確な命令違反。罰は簡単な始末書、及び明日香のげんこつ一発と非常に寛大な措置だった。
休憩時間が終わり、旭達は仕事に戻る。プログラムの修正が一通り完了した頃、ふと机の上にある時計を見ると、午後六時を指していた。
今日の仕事はこれで終わり。旭は両手を上に突き上げ、ぐっと伸びをする。
「そろそろ帰ります」
帰り支度をする旭を、「待て」と明日香が呼び止める。
「旭、帰る前に話がある。ちょっと来い」
「なんでしょう?」
「ウォッチャーとしての話だ。あー、いい、タイムカードは。そのままこっちに来い」
明日香はタイムカードを押そうとした旭を制止し、手招きする。
「ったく、お前は頭が硬いというか、変なところで真面目というか」
やれやれと頭を振った後、明日香は机から封筒を取り出し旭に渡す。封筒にはウォッチャーのマークが描かれている。
「明日香さん、これは?」
「ウォッチャー本部からの指令書。うちのボス直々のご指名だ」
「……久瀬さん、からですか」
うちのボスという言葉が示すのは、一人しかいない。その名前は久瀬誠であり、ウォッチャーの創始者。八年前の『ブラックサンデー』において、テロリスト達から日本を守った偉大な英雄。
そして、旭にとって憧れの人物であり、彼には多大な恩義がある。
その久瀬から指名されたのだから、大変名誉なことだ。
一体どんな任務だろうか。
旭は意気揚々と封筒の中身を確認。
そして、戸惑った。
何故なら任務内容が釈然としない、奇妙なものだから。
指令書には、こう記されている。
ある人物の調査をしてほしい。この任務は強制ではない。もし受諾する場合、詳細は後日依頼人から説明を受ける。そして、一度受けたら途中で放棄することはできない。
具体的な任務の内容が、全く書かれていなかったのだ。
なんだ、これは? 一度受けたら放棄できない? それに依頼人とあるが、ウォッチャーではない人物からの頼み事ということか?
今までの任務では詳細を知らされていたし、断ることもできた。だが、今回はまったく異なるもの。
旭はしばらく逡巡した後、この任務を受けることを決めた。
久瀬さんからの任務だ。断る理由はない。
「明日香さん、この任務お受けします」
「わかった。本部には私から連絡する。今日はもう帰っていいぞ」
「はい。では、お先に失礼します」
旭はタイムカードを押した後、扉の前で一礼。事務所を出て、帰路についた。




