第3話
「……寒い」
旭は思わず身震い。彼は駅で電車を待っていた。
現在の時刻は午前八時を回ったばかり。春でもこの地方の早朝はまだ肌寒い。母の言う通り、もう少し厚着をするべきだったと後悔する。
旭が普段使っているこの駅は築五十年以上と古く、暖房設備なんてものはない。券売機すらないこの無人の小さな駅は、単なる小屋。立て付けの悪い扉から隙間風が吹いてくる。
旭は自販機でホットのミルクテイーを購入。今の内に、脳に糖分を補給しておこうと考えた。
本日、旭は達也の弁護をしていた志村堅太郎弁護士と会う約束をしている。ウォッチャーのデータベースには、当時の裁判記録が全て保存されている。だが、挨拶も兼ねて、直接顔を合わせて話を聞いておこうと考えたのだ。
旭が志村と約束を取り付けたのは、香織から依頼を受けた直後。旭は志村が勤務する法律事務所の電話番号を調べ連絡。達也について話を聞きたい旨を伝えた。
先方は当初いたずらやマスコミと思い、懐疑的だった。しかし、旭が香織や久瀬の名前を出すと、「ああ、君が天野旭君か。久瀬君から聞いているよ」と面会を承諾。どうやら、久瀬が事前に根回しをしてくれたようだ。
志村は仕事が立て込んでいるとのことで、今日の早朝を指定。旭としても大学の講義を休む必要はないのでありがたい。
旭は腕時計で時刻を確認。電車が来る定刻を三分ほど過ぎている。普段大学への通学に利用しているこのローカル線は五分、十分遅れるのは日常茶飯事。都市部ならすぐに駅員がアナウンスで謝罪するが、この駅は駅員すらいない。
本でも読みながら、ゆっくり待つかな。
旭はスマートフォンを取り出し、読みかけである電子書籍の推理小説を捲った。
「篠津川達也の家族が、この近くに住んでいるらしいってよ」
「マジかよ」
ホームにいる二人の若者の話し声が、風に乗って聞こえてきた。二人は雑誌を広げている。旭は缶に口を付けながら視線だけを横に向け、雑誌を確認。その雑誌は真偽不明の噂を掲載したり、未成年の加害者の個人情報を記載することで有名なゴシップ雑誌。達也の脱獄の件を受け、達也が起こしたとされるテロ事件や彼の現状など、達也に関する特集を組んだようだ。
「テロリストの家族が近くにいるなんて、なんか怖いよな」
「ああ。家族も何かテロを起こすんじゃねえの」
彼らは達也の家族が、自分達の近くに住んでいることが不満らしい。
合理的な理由はない。
テロリストの家族だから、なんとなく怖い。
そして、その漠然とした恐怖は、時として人間を残虐にする。
旭が当時のテロ事件を調べた際、達也の家族に対する誹謗中傷を目にした。
重大な凶悪犯罪が起きた時、犯罪者本人だけではなく、その家族も批判されることが多い。
周りの人間が犯罪を止めるべきだった。罪を犯したのは家族の教育が悪いからだ。加害者家族も社会的制裁を受けるべきだ。
そんな考えを多くの人間が持っている。
事件が起きた翌日から、篠津川家を多くの報道陣が取り囲んだ。彼らは家のインターホンを昼夜問わず何度も鳴らし、ドアや窓を強く叩き、しまいには郵便ポストの手紙も勝手に開く。近所を尋ね周り、学校の前で同級生を捕まえようとし、何度もトラブルに。事件に関係ないプライベートなことやただの噂でも、達也に関することならなんでも報道した。犯罪専門家を名乗る人間は、父親が忙しく家にあまりいなかったこと、母親は体が悪く子供の面倒を十分に見れなかったこと等、家族の些細なことを取り上げ、テロリストを育てた土壌であるかのようにコメント。身の危険を感じた家族が友人や近くの親戚に身を寄せると、メディアやコメンテータは「凶悪なテロリストを生み育てたのに、謝罪もせず逃げるなど責任逃れ」、「被害者家族のことを顧みない行為だ」「家族親戚はメディアの取材に応じ、自らの責任を果たすべき」と批判。
篠津川一家を追い詰めたのは、メディアだけではない。
日夜問わず脅迫やいたずらの電話がかかり、家の壁には誹謗中傷の落書き。近所には篠津川家を批難するビラがばら撒かれた。ネット上に家の写真と住所を晒した人間もいる。達也の両親が勤めていた職場には、匿名の爆破予告が届いた。バッシングのあまりの酷さに、諸外国から日本は加害者家族への支援が遅れていると批判されたほど。だが、当時の政府は見て見ぬふり。テロを防げなかった無能と世間からの風当たりが強く、達也の家族を庇って更に批判が強まることを嫌ったのだ。
これらの事を知った旭は不快の絶頂で、当時の記事が映っていたタブレットがメキメキと音を立てるぐらい指に力を込めていた。
達也とその家族をバッシングした人間は、どんな気持ちを抱いていたのか。
テロリストへの恐怖、正義感、義憤、被害者への同情、自己満足、ストレスの捌け口、お祭り騒ぎへの便乗。きっとそんなところだろう。
旭だってニュースを見ていて、犯罪者を一発ぶん殴りたいと思う時はある。だが、犯罪者にはどんな仕打ちをしても、許されるとは思わない。然るべき司法の手順を踏み、罰を与え社会的にケジメをつけるべき。たくさんの人間が寄ってたかって攻撃し、社会的制裁を加える。それは絶対に正義ではない。
旭がそう考えていると、遠くから電車の汽笛が聞こえてきた。
旭は空になったミルクティーの缶をごみ箱に入れ、電車に乗り込んだ。




