第1話
天野旭とは、どのような人物か。
周りの人間は彼をこう評価する。
頑固でクソ真面目で融通が利かない。正義感溢れる芯のある若者だが、口下手で人付き合いが苦手。
散々な批評ではあるが、旭自身も全くその通りだと思っている。
任務を受けた翌日。旭は大学の講義を受けていた。任務のために大学をサボる、なんてことを旭はしない。学業とウォッチャーの仕事は、どちらも手を抜かない。
それが天野旭というクソ真面目な人間。
旭が今いるのは大学の演習室。旭の通っている大学はコンピュータを専門としており、プログラミングの講義がある。旭はこの演習室で実習中。学生の多くは初めてのプログラミングに悪戦苦闘している。だが、鳳エンジニア社で働いている旭にとっては、講義の課題など朝飯前。短時間で終わらせ、教員に提出。この実習では課題を提出すれば、途中で帰って良いことになっている。旭が部屋を出る際、学生達が旭を恨めしそうに睨みつけた。
飛び級で入学した旭は周りの学生から、調子に乗っていると思われている。その旭が講義も簡単にこなすので、色々と思うところがあるのだろう。そのことは旭もなんとなく察している。
ここで手助けしてあげれば、旭に対する周りの印象は良くなるはず。
しかし、旭はそうしない。早く帰ってウォッチャーの仕事をしたいから。
大学を出た旭はまっすぐ駅に向かう。今日の予定は達也に関する資料を家で読むことだ。
駅に向かう途中で、スマートフォンに着信。相手は母。
「はい。もしもし」
「ごめんね、旭。ちょっとね、お願いがあるの」
「何?」
「今日の晩御飯、クリームシチューにしようと思ったんけど、牛乳を買い忘れたの。買ってきてほしいんだけど、今日は何時頃に帰ってくる?」
「今日の講義は終わったよ。今家に帰る途中。帰り道で買っていくよ」
「よろしくね」
さて、どこで牛乳を買うか?
電話を切った旭は、目の前にコンビニを見つけた。この店で牛乳を買ってから、家に着くまで少し時間がかかる。牛乳の衛生状態が気になるが、今の季節ならまあ大丈夫だろう。「いらっしゃいませ!」と店員の元気の良い声を聞きながら、旭は店に入る。買い物かごを手に持ち、牛乳を探す。
旭は通り過ぎようとした雑誌コーナーの前で、一度足を止めた。今日の夕刊を手に取り広げる。
達也についての記事はまだ掲載されていない。明日香によれば、今日の夕方には警視庁が発表するとのこと。旭は何故すぐに公表しないのかと尋ねると、「お偉いさん方がどういう風に公表すれば、出来るだけ波風を立てないか考えている」そうだ。
凶悪なテロリストと刑務官が姿を消し、そのテロリストが無実だという置き手紙が残してあった。警察が対応に苦労するのも無理はない。
警察はメディアへの対応を考えている一方で、行方不明の刑務官を血眼になって探している。独身寮や実家、友人の家を探したが、彼の足取りは全く掴めていない。ウォッチャーも同様だ。
旭は読み終わった新聞を棚に戻し、飲み物コーナーで牛乳を買い物かごに入れる。
レジに並ぼうとした時、弁当コーナーにいる小学生低学年ぐらいの、野球帽を被った男の子が目に入った。その男の子は警戒するように周囲を見渡した後、おにぎりを三つポケットに入れた。男の子が店から出た瞬間、旭は彼の肩を掴む。
「君、ちょっと待って」
「……なんだよ?」
「ポケットの中、見せてもらえる?」
男の子がやったことは万引き。立派な犯罪であり、例え小さな子供でも、旭は見逃そうとは思わない。どんな小さな悪事でも、見て見ぬふりをするのは旭の正義に反する。
「お前に関係ねえだろ! 離せよ!」
男の子は旭の手を掴み、引きはがそうとする。だが、所詮は小学生の力だ。旭の手は男の子の肩をがっちり掴んで離さない。男の子はどうにか旭を振り解こうと、更に激しく暴れる。すると、男の子のポケットから何かが転がり落ちた。潰れたおにぎり。具材は梅干し。値段は税込み百五十円。
旭は床に転がったおにぎりを指差す。
「ほら、やっぱり。万引きしているじゃないか」
「うるせえ! いいから離せ! ボケ! カス! ハゲ!」
旭は男の子の暴言に顔をひきつらせる。だが、あくまでに冷静に。ここは大人の対応を。
旭は軽く咳払いしてから、諭すように話しかける。
「いいかい、ボク。万引きは悪いことなんだよ。社会ではね、物に見合った料金をきちんと払わないといけない。万引きはもっての他。たかが数百円でも、店にとっては大きな打撃なんだ。生産者、農家を冒涜する行為でもあり……」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ! 死ね!」
駄目だ、まったく聞く耳を持たない。店員に引き渡した方が良いか。
旭がどうしようかと困り果てていると、後ろから女性の声。
「お客様、どうしました?」
店員が騒ぎを聞きつけたようだ。
旭は振り向いて、眼を丸くする。
何故ならば、その店員は見知った人物だったからだ。
「……田村さん?」
「あれ、旭くんじゃん」
昨日会った依頼人、田村香織だった。今の彼女は店のエプロンをかけており、髪は後ろで一纏めにしている。彼女はどうやら、ここでアルバイトをしているようだ。
なんと早すぎる再会だろう。香織も旭を見て驚いていた。ふと立ち寄ったコンビニで依頼人と会うなど、なんとも奇妙な偶然。
「旭くん、昨日ぶりだね。それでどうしたの? 何かあった?」
「ええ、実はこの子が万引きしたんですよ」
「万引き?」
旭は男の子の肩を掴み、香織の前へ。男の子は帽子を目深に被り、俯いている。旭は男の子のポケットからおにぎりを二つ取り出し、香織に渡す。
「おにぎり二つと、あとそこに落ちている一つです」
香織はおにぎりをレジの上に置いた後、腰を曲げ男の子の顔を覗き込んだ。
「君、名前は?」
「……コウタ」
「コウタ君か。なんでこんなことしたの?」
男の子はしばらく下を向いていたが、やがてすすり泣く声が聞こえてきた。男の子は嗚咽混じりに弁明。
「……妹がお腹空いたって泣いてて。お母さん帰ってくるの夜遅いし、俺も料理とか作れないし、お金ないし……」
妹のためとはいえ、犯罪は犯罪。保護者を呼んで店からお叱りを受けるべきだ。
そのように旭は考えていたが、香織は旭の予想外の行動を取る。香織は「ちょっと待ってて」と立ち上がり、手にした買い物かごにお弁当と飲み物、お菓子を入れた後、レジへ。レジにいた年配の女性店員と言葉を交わし、その際に店員に「しょうがないわね」と苦笑された。香織はレジで商品の清算をし、商品が入ったビニール袋を男の子に手渡した。
「コウタ君、これ持って行きなさい。だけど、許すのは今回だけ。次からはきちんとお金を持ってくるように。お姉ちゃんとの約束、わかった?」
「……うん」
「よろしい」
男の子は香織にお礼を言った後、走って店を出て行った。男の子の後ろ姿に、笑顔で手を振る香織。そんな彼女に対し、旭は自身の疑問をぶつけた。
「彼の保護者には、万引きしたことを伝えないんですか?」
「罪には優しさで対応するべき。優しさが更生を促す」
「え?」
「これ、お兄ちゃんがよく言っていた言葉ね。お兄ちゃんは悪いことをしても、怒ったりしなかった。常に優しく接して反省を促していたんだ。私もお兄ちゃんの考えは間違っていないと思うし、今回もその言葉に従ったの」
「なるほど」
厳しい懲罰だけで人は更生しない。それは出所者の高い再犯率を見ればわかる。
昨日も香織から聞いたが、達也はとても優しく人格者のようだ。確かにテロを起こすような人物には思えない。もしかしたら、彼は本当に無実なのかもしれない。
旭がそんなことを考えていると、香織は周りを気にしながら旭に顔を近づけ小声で話す。
「それで旭くん。お兄ちゃんの件はどう? 居場所と無実の証拠は見つかった?」
昨日の今日で気が早いなと、旭は苦笑。
「今は八年前の事件の状況を確認している最中です。今回の件に繋がる手がかりが何かないかと。当時の関係者にも話を聞く予定です。明日は達也さんの担当弁護士に会いに行きます」
「ああ、志村さんだね。あの人、とても良い人だから。喜んで協力してくれるよ」
香織はよろしくお願いしますと旭の手を握り、深々と頭を下げた。
「ところで旭くん」
頭を上げた香織は、旭が持っている買い物かごを指さす。
「お買い物にきたんじゃないの?」
「……すっかり失念していました」
旭はレジで手早く会計を済ませ、帰路についた。




