第6話
旭はコーヒーカップを口につけ、黒い液体に写る自分の顔を見ながら黙考。
この事件には、奇妙な点がいくつもある。
まず一つ目は、失踪した刑務官。彼が達也の脱走を手引きしたようだが、目的は何か。
二つ目が、達也の無実を示す証拠。その証拠はどんなもので、何故今すぐ公表しないのか。
最後の三つ目は、達也の脱走だ。達也が本当に無実だとしよう。証拠を裁判所に提出し、再審請求をすればいい。大仰な書き置きを残して脱走するなど、自分の立場を悪くするだけ。
旭はカップを置き、香織を見る。
「達也さんと証拠の捜索を、何故ウォッチャーに依頼したのでしょうか? 誰かはわかりませんが、達也さんのために動いている人間がいます。その人物に任せておけばよいのでは?」
「妙な胸騒ぎがするんです」
「胸騒ぎ?」
「はい。兄は心優しくバカ真面目な人間です。人を傷つけるテロはもちろん、どんな理由があろうとも法を犯しません。その兄が冤罪であっても脱走したなんて、何かあるはずです。あ、あと証拠についてはどういうものか、可能ならば私達家族も早く知りたいです」
「なるほど」
旭も内心悪い予感がしている。
達也と刑務官が刑務所からいなくなり、書き置きには八年前のテロ事件の真実を公表すると書いてあった。尋常じゃない事態だ。裏で何か大きなことが起きている可能性がある。久瀬もその可能性を考えているから、香織の依頼を受けたのだ。
これは中々面倒なことになりそうだなと、旭は少し気が重くなる。
「それで、どうする旭? 今ならこの任務、断れるぞ。依頼の内容を聞いただけだしな」
明日香は旭に対し、挑発的な笑みを浮かべる。
明日香さんも人が悪いな。ここまで話を聞いて、やっぱりやめますなんて、本人の前で言えない。それに久瀬さんの面子を潰すわけにもいかない。
……よし、腹は決まった。
「わかりました。その依頼、私、天野旭がお受けします」
香織の顔が明るくなる。立ち上がった彼女は、旭の手を握りぶんぶんと振り回す。テーブルに腕が何度もぶつかって、ちょっと痛かった。
「ありがとうございます! 兄のこと、よろしくお願いします!」
旭は香織と連絡先を交換。香織を店の外まで見送った後、旭達はテーブルに戻る。
「明日香さん。早速ですが、達也さんの事件の資料をお願いしたいんですけど」
「それなら、既にお前の端末で見れるぞ」
旭は鞄から蒼色のタブレット端末を取り出した。ウォッチャー全員に支給される端末であり、旭が確認すると明日香の言う通り、ウォッチャーが知る限りの情報が閲覧できる状態だった。
「それで、旭はこれからどうする? 今回の件をどのように調査する?」
「そうですね……。今回の件、動いているウォッチャーは俺だけじゃないですよね?」
「もちろん。流石にお前一人だけでは荷が重い。都内のウォッチャーは、すでに刑務官の行方を追っている。ただ隠れるのが上手いようでな、居場所が全くわからない。達也さんの方もだ」
「なら、俺は別のアプローチをします」
「別のアプローチ?」
「今回の事件を起こした人間は、達也さんに近しい人間だと思われます。そうでなければ無実の証拠を探さないし、刑務所から連れ出すなんてリスクの高いことはしない」
「まあ、確かにな。達也さんを助けたいという、強い意志がなければやらない」
「はい。達也さんの身近な人に会いながら、今回の件に関係している人物を探そうと思います。そして、達也さんの居場所、無実の証拠に繋げていく」
「それで、誰から接触する?」
旭は顎に手を当て、思案。
「そうですね。まずは、八年前に達也さんの裁判を担当した弁護士ですかね。当時の詳しい話も聞きたいですし。確か、弁護士の名前は志村堅太郎さん」
「お前、なんで弁護士の名前を知っているんだ?」
「事件当時、彼は弁護団のリーダーとして、テレビのインタビューに応えていました。その映像を見たことがあるんですよ」
「八年前のテレビの内容を、今も覚えているのか? 本当にすごいな、お前の記憶力は」
「いえいえ、それほどでも」
旭には優れている点がある。それは記憶力と洞察力だ。と言っても、今までの全ての出来事を覚えているとか、たった一つの証拠品から犯人が瞬時にわかるとか、超人的なものではない。あくまで他の人間と比べてだ。だが、これらはウォッチャーの活動に役に立つ。
「明日香さん、久瀬さんはこの件をなんと?」
「どういう意味だ? 言葉が足りないぞ」
「失礼しました。久瀬さんがこの依頼を受けたということは、背後にテロの可能性を感じたということですよね? ウオッチャーの目的はテロの防止。人探しや冤罪の証明じゃない」
「その通り。相手がテロリストかさえ、現状はわからない。だが、わざわざ刑務官を使い、偽装工作をして達也さんに接触し、脱走させた。純粋な人助け以外にも、何か目的があるはずだ。それに『ブラックサンデー』にも関係しているとなれば、ウォッチャーとして無視できない」
「背後にいる人間と目的を調べる。それが本当の目的ですね?」
「ああ。整理すると今回の任務の目的は二つ。篠津川達也さんの居場所と彼の無実を示す証拠について調べること。そして、今回の事件を企てた存在を解き明かすことだ。わかったな?」
「はい。承知しました」
明日香の問いに、旭は力強く返事をした後、カップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。




