余裕
余裕の無い人間は理不尽に怒る
何に対して誰に対して感情をぶつけるのかは様々だが、怒るだけ
無能すぎる
何ひとつ良くならない
怒ることで、周りの人間に何とかしてもらう、5才の子どもである
自分のことさえ、自分でできない
いつかの経験から知っている
キレて騒げば責任から逃れられる
年齢と体だけ大人になった未熟者
本当に能力が無いのかもしれない
誰もが努力して何でもできる訳ではない
私は、幸運なことに大概のことは人より上手くできたが、ガチで頑張っても何ともならない人間がいる
余裕が無ければ、人を助けることはできない
心も体も、能力も金銭も全てにおいて
私は有り難いことに余裕がある
だから怒らずに対処して解決できる
自分のことはもちろん、周りの人間のことも手伝える
ふと思う
どちら側になりたいか
選べるのなら皆、助ける側でいたいのではないだろうか
時々、おバカな人間は楽でいいなとぼやいたりしたくなることがあったが
では、なりたいかと言われたらやはり嫌だ
優越感とかそんなことではないが
与える側、助ける側でありたいと思う
高慢な考えではない
ただ善なる存在として役目を果たしたいだけ
そう、自分の力だけではないから
私が余裕を持てるのは守られ導かれているから
私もまた、助けられ与えられている
だからこそ、力を使う相手を選ばなければならないと思うようになった
人を助ける能力が私にある
では、誰を助けるか
誰彼かまわず与えていたら疲弊するし、間違った相手を選んだら無駄になる
私も選ばれて力を与えられている
そういうことだ
助けられる人間は、そうされるに値する理由がある
高次の存在だって、人間を選ぶ
同じく私も、人を選ぶ
無償の愛を惜しむ気などない
見返りなど全く必要としない
それでも、ただ泣いて怒って駄々をこねる人間より
努力して向上しようとしている人間を、やはり選びたい
感謝も成長もない人間を助けようとは、宇宙人も思わないのである
次元上昇、進化向上を望む者は助けられる
例え何も持たない無能な未熟者でも
感謝の心を持つことはできる
良くなろうと努めることはできる
そういう気持ちでいたら、怒ったりキレたりはしなくなる
(自業自得の)怒りは甘えだ
できない自分に対してあきらめてしまっている
最初から人を頼りにしている
少しでも何とかしようと、やってみようと考え行動するなら怒りの感情は落ち着くはず
助けられる機会は誰にでもある
そのチャンスを生かすのかどうかは自分次第
怒って投げ出して、それを当たり前と繰り返すようなことをしていたら
そのうち誰も手を差し伸べてくれなくなっちゃうよ
永遠に与える側にもなれないしね