走って追いかけて、歩いて逃げた
走って、走って、追い掛け続けたあの人に、
今日は追いつける事が出来るかもしれない。
梅雨の長雨だった。
だが、まるでシャワーのような雨も、
どんよりと曇った空模様も、
水瓶座が最悪のテレビの占いも、
その日の私には気にならなかった。
――今日こそは、言うんだ。
その気持ちが私を支配していたのだった。
誰よりも近くて、一番遠い人。
長年一緒にいると、
優しい彼に自然と友情以外の感情を抱いていった。
――今日こそは、彼に。
「コーヒー買ってくる」
そう言って、彼が部室を出たのは、その日の午後だった。
――チャンス。
私はその姿を追って廊下に出た。
数歩先には、伸びをしながらマイペースに歩く、目標の人物がいる。
「ねえ!!」
「ん、どうしたの?」
呼び止めると、いつもの笑顔で振り返ってくれる。
――今なら、言える。
「あの…」
一度口ごもると下を向いたが、息を吸い込んで顔を上げた。
「ずっと前から、あなたの事が好きなの。
友達としてだけじゃなくて、恋愛対象として。
あなたといると、光が見えるような気もしてくる。
だから…私の事、そういう目で見て欲しい…んだよね…」
一通り言うと、恥ずかしさのあまりにまた下を向いた。
『付き合って欲しい』という直接的な表現はわざと避けた。
その方が謙虚に見えるかもしれないし。
――実を言うと、この告白は受け入れて貰える自信があった。
自分が恋心を抱いていたことは相手も知っていただろうし。
そうであるならば、多少は自分を気にかけるだろう、という楽天的な考えで。
早く伝えたい気持ちでいっぱいで、他の言葉など考えもしなかったのだ――
「あのさ、輝く物全てが金じゃないんだよ」
再度顔を上げると、理解しがたい言葉が待っていた。
「どういう事?」
イエスか、ノーか、
いや、どちらかと言うとノーであるような答えに、
私は表情を硬くした。
その様子に気付いているのか、彼は曖昧な微笑みを見せて口を開く。
その笑みは、嘲笑とも、微笑みとも言えなかった。
「月や惑星は、それ自体が輝いているんじゃなくて、
太陽の光を受けて輝いているでしょ?」
そこで彼は確認するように私に問い掛ける。
何が言いたいのか、さっぱり分からない。
「君は太陽のような人だから、僕に見えていた光は、
きっと自分自身の放つ光の反射だったのかもしれないね…」
そう告げると、彼は廊下の奥へと去っていった。
なんて、
なんて優しい、振られ方。
――振るなら酷く振って欲しかった。
あんなに遠回しな言い方でなくて。
彼に求めていたのは、自分への特別な愛情と優しさだったはずなのに、
今はその優しさと自意識過剰だった自分が憎らしい。
――完敗だ。
私はそう結論づけると、
彼が消えた廊下の奥へ背を向けて歩き出した。
突き当たりにある窓から見えるモノクロの風景には、
鮮やかな傘と毒々しいまでの紫の紫陽花。
あんなに走って追い掛けたのに、
何も手に入れられずに歩いて逃げる自分が酷く惨めだった。
end.