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亡き女王に捧げる誓約の哀歌《エレジア》  作者: 一式鍵
第二章:女王との記憶、導きの力
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2-2. シエルの涙

 囚われ、変異してしまった少女たち七名を、シエルは泣きながら斬り殺した。


「こんなことを許してはならないわ」

「しかし鬼人(ゴブリン)を根絶やしにするのは難しい」

「だとしても」


 シエルは俺の手を握る。涙がとめどなく(こぼ)れ、鮮血の海に落ちる。ジリジリと広がってくる血液から、俺はシエルを遠ざける。


「戦争も鬼人(ゴブリン)も、何もかも。普通の人の普通の暮らしを守れないのなら、私たち貴族の存在する意味はないわ」

「シエルは責任感が強すぎるぞ」

「それを除いたら王族に意味なんてない」

「もっと楽に生きろよ」


 俺にはシエルがどうしてそこまで思い詰めているのか、理解できない。シエルは俺の胸に拳を叩きつける。胸甲と手甲が衝突し、ガンと金属音が鳴る。洞穴の中に幾重にも反響する。


「……シエル」

「まだいた」


 シエルはガルンシュバーグを抜く。刃から放たれる輝きが先程よりも明らかに増していた。


 洞穴の奥から現れた鬼人(ゴブリン)は五体。問題外だが、それでも油断はできない。手にしているのはナイフが三、あとは手斧、槍だ。弓系は見当たらない。


「あ、おい!」


 シエルの動きに遅れを取った。ガルンシュバーグが唸りを上げ、先頭の手斧の鬼人(ゴブリン)の首を刎ね飛ばした。吹き上がる鮮血をものともせず、シエルはナイフの鬼人(ゴブリン)を袈裟懸けに叩き切る。飛びかかってきた二体のナイフ鬼人(ゴブリン)の一体の顔面に左肘を叩き込み、もう一体の側頭部に柄頭を打ち込んだ。二体の鬼人(ゴブリン)昏倒(こんとう)する。


「油断するな!」


 逃げたと見せかけた槍鬼人(ゴブリン)がその槍を投げる体勢に入っていた。俺はシエルを突き飛ばし、飛来してきた槍を左手で受けた。


「くそッ」


 槍の穂先が金属の継ぎ目に当たってしまった。突き刺さることはなかったが、皮膚が大きく切り裂かれてしまった。


「ギャレス!?」

「トドメを刺せ! 油断するな!」

「わかった」


 シエルは倒れている鬼人(ゴブリン)のナイフを拾い上げ、なおも逃げようとしている鬼人(ゴブリン)に投擲した。それは見事な軌道を描いて飛び、背を向けた鬼人(ゴブリン)の後頭部に突き刺さった。


「どこでナイフ投げなんて覚えたんだ」

「お父様と練習したの」


 娘にナイフ投げを教える父親というのはいかがなものかとは思ったが、王家は武人の家柄だ。そういうこともあるのだろう。シエルは俺に肩を貸しながら言った。


「外で治療しましょう」

「王女様の肩を貸してもらえるなんて、さすがは護衛隊長」


 うるせぇ。


 やってきた部下に心の中で毒づいた時、俺は異変に気がついた。


「ごめんなさい、私が油断したから」

「気にするな。それより、毒だ」

「ど、毒!?」

鬼人(ゴブリン)の武器には多くの場合毒が塗られていると言っただろ」


 洞穴を出たところで俺はたまらず座り込んだ。部下が俺の荷物の中から塗り薬を取り出した。


「ほい、隊長。解毒剤」

「私が」


 シエルはその軟膏を手にとって、俺の傷口に塗り込んだ。傷の深さも相俟(あいま)って、涙が出るくらいに痛い。毒の傷はただでさえ激痛がある。


「ごめんなさい、ギャレス」

「気にするなと言っている」


 とは言うものの、それは俺の精一杯の強がりだ。というかそもそも鬼人(ゴブリン)ごときに負傷させられただなんて、笑いものになってしまうだろう。シエルが無傷だったことだけは救いだ。


「ふぅ、熱が出てきたな」

「おでこを触ってもわからないね」

「そりゃそうだ」


 どこを触っても毛皮だ。


「どうしたものかな。一晩もすれば回復するとは思うが」


 無茶は禁物――そう判断した俺たちは、鬼人(ゴブリン)の洞穴前で夜を明かすことを決める。幸い寒くもなければ天気も良い。用意してきたキャンプキットで十分に夜をしのげる。


 簡易テントの中で転がる俺を、シエルは看病してくれた。責任を感じているのだろう。


「ギャレス、話せる?」

「大丈夫だ。恐ろしく(だる)い程度だ」


 もちろん、腕の傷は激しく痛む。だが、俺も武人。怪我について弱音を吐くわけにはいかない。


「ギャレスはどうして王都に来たの? 同族もいないのに」

「じいちゃんに拾われたんだよ、俺」

「剣聖に? どうして?」

「聞いた話だと、アガレット王国に連れ去られそうになっていたらしいぞ、俺」

「ご、ご両親は」

「多分その時に殺されていたんじゃないか? 今となってはわからないさ」


 真実は闇の中だが、じいちゃん――アグラード伯爵は俺を大事にしてくれたし、持てる全ての剣技を教え込んでくれた。


「それで俺、角狼人(ヴァルガル)だろ。剣聖の技を体得した角狼人(ヴァルガル)だ。騎士団が欲しがらないはずがない。獣人という地位の低さも、じいちゃんがどうにかしてくれた。あと、シエル、お前がな」

「私が?」

「王女の護衛隊長だなんて、獣人の中では最高峰の出世頭だ。感謝している」

「あなたがそれに相応(ふさわ)しかった。それだけではない?」


 純粋なその視線を受けて、俺は笑う。


「王者の器だな」

「え?」

「最高の女王になるさ、お前は」


 少なくとも王国はよりよくなるだろう。


「私ね、あなたが人間だったらって、思ったりすることもあるの」

「うん?」


 俺が人間?


「でもそうしたら、私はあなたに余計な感情も抱いてしまったかもしれない」

「俺はお前の剣の師匠で、お前の護衛隊長だぞ」

「そう簡単に割り切れるものじゃないの、人間の感情って」


 よくわからないな。


「あなたは誰かに恋をしたことがある?」

「憧れたことならあるが、それは多分違うんだろうな」

「うん、違う」


 シエルは首を振る。


「胸が痛くなるほど、夜も眠れないほど、その人のことを思う。ふれあいたい、キスをしたい、抱きしめられたい……そういう感情」

「すまん、わからない」

「そう、よねぇ」


 シエルは溜息をつきながら、俺の左手の包帯を外して傷口を洗った。脳天を貫かれるような苦痛が走ったが、俺は歯を食いしばって無音で耐える。痛みで叫ぶなど、プライドが許さない。


「傷は深いけど、指は動かせているし、大丈夫だね」

鬼人(ゴブリン)め」

「ありがとう、ギャレス。あなたのおかげで助かった」

「護衛隊長として当然のことをしたまでだ」

「もう」


 何故か、シエルは怒っているように思えた。


「ちょうどいい距離感なのかもしれないけど」

「距離感?」

「私、あなたに恋してるって言ったら、笑う?」

「俺に?」

「そう言ってるでしょ」


 それもそうか。しかし、やはり人間の感情というのはいまいちよくわからないな。


「でも、あなたが角狼人(ヴァルガル)だからこそ、そう思ってしまったのかもしれないね」

「お前にはきっと、相応(ふさわ)しい優秀な人間が現れるさ」

「なんか嫌だな、その言い方」


 種族を問わず、女心は難しい――のだろうか。


「あ、そうだ、ギャレス」

「なんだ?」

「あなた、他の角狼人(ヴァルガル)に出会ったことはないの?」

「何度かある」

「かわいい子とかいないの?」

「かわいい子、というのがよくわからないが、異性だのなんだのという話にはなったことがないな」

「へぇ」


 シエルは不思議そうな声を発した。


「よくわからないや。でもだからこそ、みんな安心してあなたを私のそばに置いておくのかもね」

「人間同士だと問題がある、か」

「ああ、ままならない、ままならない」


 シエルはそう繰り返し、腕の包帯を巻き直してくれた。


「これからもよろしくね」

「頼むから猪突猛進だけはやめてくれよ」

「ごめんって」


 シエルは俺の腕を軽く叩く。また激痛が脳天に響く。


「……シエル」

「痛みは感じるんだね」

「あたりまえだ」


 俺は渋々とそれを認めた。


「私も自重するよ。あなたに痛い目にあって欲しくないから」

「それが仕事だ」

「だとしても、ね」


 そう言って、シエルは目を細めた。



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