1-7. 吸血の魔女カネア
いくら生存者がいないからって無茶苦茶だ。
辺り一面が瓦礫の山と化していて、神殿もまた例外ではなかった。
「みなさん、警戒してください」
ハイエラールの言葉とほぼ同時に、見る影もなく崩れ落ちた神殿の瓦礫が吹き飛んだ。
「雷帝、何をしていたの!」
女のキンキンする声があたりに響き渡る。真昼間だというのに俺たち以外の――生きている人間の気配がない。ヴィーダーは沈黙に潰されている。
『神殿への侵入者を駆逐せよとは言われていたが、神殿を破壊する者を止めよとまでは言われておらぬ』
「空気読みなさいよ!」
弁明する蟷螂の魔神に、女――吸血の魔女カネアは怒鳴り散らす。
「使えない隷魔ね、本当に! 頭も昆虫なんじゃないの!」
『我を愚弄するか』
「愚弄じゃないの、真実の指摘。わかったらさっさとそいつらを殺して! 命令よ!」
『……承知』
こいつら、全然息が合っていない。むしろ雷帝には同情すらしてしまう。
「ギャレス、カネアを仕留めてください」
「お、俺が? あの魔導師を?」
「蟷螂魔神は私がどうにかします」
ハイエラールの指示に俺は従えない。どう考えても逆のほうがいい。
「今のカネアは力が不足しています。まだしばらく補充をしなくては昨夜ほどは戦えません」
「その保証は」
「勘です」
「勘!?」
そんな適当な!?
「カネアは蟷螂の再生に力を優先的に注いだと見るべきです。今ならあなたでも百回も殺せば仕留められる」
「ひゃ、ひゃく!?」
何を言っているんだこいつ。
「カネアは人間の生命力を奪います。殺した数だけしぶとくなる。昨夜の禁呪でストックはほぼ尽きたはずですが、今日はヴィーダーの人々を吸収しています」
「殺した数だけ殺さなくちゃならないって?」
「そういうことです。では、よろしく」
よろしくって簡単に言うが!
俺はミシェとファイランを振り返る。
「援護はする」
「頼む。だがファイランの防衛を最優先にしてくれ」
「わきまえてるさ」
ミシェは弓を振る。キラキラとした何かがその周りに散った。
「ええい」
俺は剣を抜くと首刈りの雷帝を迂回するように走る。もちろん、蟷螂も黙って見てくれているわけではない。無数の子蟷螂を放出してくる。
「構わず!」
ハイエラールが放った炎が、それらを一網打尽に焼却していく。ミシェとファイランが瓦礫の影に隠れたのが見えた。それを見て、俺は走る。子蟷螂が追いかけてくるが、俺ほど足は速くない。飛べばミシェが撃墜したし、前から回り込んでくる子蟷螂はハイエラールの召喚したと思われる光の壁に激突して消えた。
カネアの姿がはっきりと見える。露出度の高い赤いドレスを纏った、黒髪の女だ。体格はごく一般的で、容姿の美醜はよくわからない。が、それとなく整っている印象だ。唇の赤だけはやたらと記憶に焼き付いた。
「獣人風情が私に楯突こうなど!」
カネアの両手から赤い何かが伸びた。破れた掌から血液が噴き出した――ように見えた。
見えているものを避けるのは造作ない。剣で切り払いつつ、身体を開いて赤い雫を躱す。地面や瓦礫に親指大の穴が開く。回避して正解だった。
「女王を殺させてくれさえすれば、あんたの命は助けてやっても良い」
「取引にもならん!」
「ならば死んでおしまい!」
「お前がなッ!」
あと一歩踏み込めば切りつけられるところまで来て、俺は思い切り地面を蹴って後ろに飛んだ。カネアの口角が上がったのを、俺は見逃さなかった。
「ちっ!」
カネアが盛大に舌打ちする。カネアと俺のちょうど中間地点が爆発した。うっかり踏み込んでいたら下半身が消し飛んでいたに違いなかった。狡猾な魔導師だ。
「なぜそこまで王国に固執するのよ」
「女王陛下に忠誠を誓っているからだ!」
「くだらないわね!」
くだらないだと? ――湧き上がってきた怒りの強さに、逆に俺の思考はクリアになる。
「人間など、全て私の美しさと若さのための道具! 王国だろうが女王だろうが例外ではないわ!」
「お前が美しいかどうかはわからんが」
「なんですって」
「お前とは価値観が違う」
「私の美しさがわからない下衆は、全て滅ばねばならないのよ!」
「そういうことはお前が死んでから言え」
俺は再度斬り込んだ。カネアは両手に赤い刃の剣を生じさせる。
こいつ、剣も使えるのか。
「人生経験が長いだけある、ということか」
「私は若く美しき天才! それだけよ!」
「みっともない婆さんだぜ!」
「殺す!」
カネアの剣技は俺とほとんど互角。だが――。
「血塊紋!」
カネアの周囲に浮かび上がる人間の頭部ほどの赤い塊。その数、五。
『そのまま消耗戦に持ち込んでください』
ハイエラールの念話が響く。
消耗戦って、お前……。圧倒的に不利なんだぞ、こっちは。
『カネアに血を使わせるんです』
意図的に聞いてないな、こいつ。
だが、どうにもジリ貧だ。どうにかしなければならない。
その時だ。俺を追い越して光の矢が赤い球体に突き刺さった。球体は妙な音を立てて潰れ、大量の赤い液体を噴き出した。そしてそのまま地面に落ちて消える。
ミシェの一撃だ。
だが、残りの四体は瞬時に位置を変え、俺を取り囲んだ。
「さぁ、穴だらけになって死んでおしまい、ケダモノ!」
なるほどそういう攻撃が来るわけだ。俺はカネアに肉薄する。予想通りなら、この赤い球体を制御しているのはカネアだ。そしてカネアと俺の剣技は互角。であるなら、カネアを自由にさせなければ、この球体が有効打を打ち出せる可能性は低い。
間抜けすぎて罠を疑うレベルだ。
「答えろ、婆さん。お前の目的は何だ! アレンゴルと組んで何をするつもりだ」
アレンゴルはゼルデビット辺境伯の下で安穏と過ごすような野心のない男ではない。ましてこんな魔導師たちと何らかの契約を結んでいる。何らかの計画があると見るべきだ。
「キーッ! 婆さんですって!」
「現実を認めろと言ってやる」
「ぜっ、絶対に殺す!」
カネアの剣が炎を噴き出した。ものすごい温度だ。
「ぶっ殺す!」
鍔迫り合いに持ち込むと見せかけて、俺はその腹を思い切り蹴飛ばした。
「うぐっ」
やはり実戦は素人か。おそらく今まで相手してきた剣士たちは接近すらままならないうちにやられていたのだろう。つまりこいつは実戦の駆け引きを学んでいない。
よろめいたカネアの脇腹に、長剣を思い切り叩きつける。
「ぎゃあっ!?」
悲鳴を上げてのたうつカネアの胴体はほとんど切断されていた。だがそれでも絶命する気配がない。
「ギャレス、上!」
ミシェとファイランの声が同時に聞こえた。
「あぶねっ」
例の赤い球体を忘れていた。四個のそれらは血の刃を噴き出してくる。カネアの体勢が悪かったおかげで狙いが甘かった。助かった。
俺はそのまま踏み込み、カネアの頭部に刃を打ち下ろした。それは確かに顔面を粉砕した用に見えた。
『ギャレス、離れて』
「!」
ハイエラールの言葉に、俺は一も二もなく従った。そうしろと本能が叫んだからだ。
「死ネ、ケダモノ……!」
潰れた顔でそう呟くや否や、カネアの全身が爆発した。血飛沫、肉片、骨片……それら全てが凶器となってヴィーダーを破壊した。
「危ない危ない」
ハイエラールが危機感のない声で言った。ハイエラールの張り巡らせた結界によって、俺たちはなんとか致命傷は免れた。
「蟷螂魔神は?」
「カネアと一緒に逃げましたね」
「仕留めきれてなかったっていうのか、あれで」
「カネアは……おそらくこの世界で最もしぶとい魔導師です」
そう、か。
俺は剣を収め、全員の怪我の状態を確認した。