1-4. 首狩りの雷帝
戦場まで迷うことはなかった。途切れない閃光が俺たちを導いてくれたからだ。森を駆け、視界が開けると、そこには夜空を映す暗黒の川があった。
川――それを見た途端に、俺は目眩を覚えて頭を振った。そこにシエルの亡骸が横たわっているような気がしたからだ。
だが実際にそこにいたのは、弓を携えた軽装の女エルフだった。
突如として姿を現した異形の馬、それにまたがる俺たち。
エルフは俺たちを敵だと認識したらしく、弓を引き絞る。番えられているのは光の矢だ。
「待て」
俺は手を振って、鱗馬から降りる。エルフは油断なく俺たちを見据えている。
「ゼンダリオから逃げてきたのでしょう?」
ハイエラールもガレッサから降りた。周囲を見回し、俺たちに警戒を促す。
「隷魔とその下僕が多数。来ますよ」
「お前、どうしてそう落ち着いていられるんだ」
「慌てても仕方ないからですよ、ギャレス」
ハイエラールはそう言うなり両手で印を結んだ。かと思うと、次の瞬間にはその手には長い杖があった。
「本気を出さなければならない程度には、危機感を持ってはいますよ」
「……あんたたちは敵じゃない。そういうことでいいんだね」
エルフは俺に尋ねてきた。
「素人もいるみたいだし。どういう御一行様だい」
「わけありの即席パーティだ」
俺はそう言って、背負った聖剣ガルンシュバーグをファイランに渡した。代わりにファイランが持っていた安物の剣を左手に持つ。右手にはいつもの長剣だ。
「ファイラン、その剣は絶対に手放すな」
「は、は、はい」
ファイランは不安げにガルンシュバーグを持ち、ゆっくりと抜いた。シエルが抜いた時には闇を打ち祓うほどの輝きを放っていたのだが、今のガルンシュバーグはただの金属の塊だった――予想通りだ。
「ガレッサ、あなたに戦闘は無理です。一旦退いていてください」
『そうさせてもらう』
ガレッサと二頭の鱗馬が闇に溶ける。
森の中から、鋭い殺気が放たれる。
地面を揺らして現れたのは蟷螂にも似た化け物だ。身の丈は俺の倍はある。四対の脚部の他に鋭い鎌が三対、巨大な胴体は金属のように輝いていた。背中には羽も見える。
なるほど、ゼンダリオの死体がああなったわけだ。
あの鎌で斬られれば、人体など何の抵抗もできずに真っ二つだ。
「他にもいる、気を付けて」
エルフが矢を放つ。夜闇に突き立った光の矢は小さな何かを撃ち落としていた。
「羽の生えた目玉?」
俺はファイランを背中に庇う。こうも視認性の低い敵がいるとなると、防衛対象を守り切るのは至難の技だ。
「この蟷螂は魔神級の隷魔ですねぇ」
危機感のないハイエラールの声が聞こえる。
「こいつの主は、相当な魔導師ですねぇ」
「ていうか、あんた、何か策でも」
エルフが尋ねると、ハイエラールは「そうですねぇ」と杖を構え直す。
「とりあえず、倒しますか!」
「正気!?」
「ギャレスならできますよ」
俺かよ!
「その代わり目玉連中は私たちがどうにかします。あなたは蟷螂の魔神に専念してください。護衛隊長どの」
「無茶を言うな」
こんなヤツを相手に戦ったことなんてない。
「アタシも援護するからさ」
エルフは神速で矢を放つ。それは蟷螂の三角形の頭部に突き刺さ……らなかった。金属的なその顔面の表皮に弾かれ、光の矢は雲散霧消してしまう。
「頼りないな」
「悪かったね」
しかし、ここまであれだけの魔法攻撃を受けながら、単身生存しているのだ。このエルフもまた、ただのエルフじゃない。それは確かだ。
「じゃぁ、見せてもらおうかな、誉れ高い角狼人の実力とやらをね」
「……仕方ない」
俺は二本の剣を構え直す。愛用の方は刃の手入れができていないが、この蟷螂相手に鋭さは不要だろう。むしろ刺突あるいは打撃戦の方が適しているに違いない。そういう意味では俺の鋼鉄の長剣は頼もしい。左手の一本も、ないよりはマシだ。
俺と蟷螂が睨み合っている間にも、ハイエラールは何体もの羽目玉を撃墜している。羽目玉も何やら攻撃を繰り出しているようだが、ハイエラールの展開している半球状の輝きに阻まれている、ようだ。
「おやおや、そうですか」
「何を納得している、ハイエラール」
「こいつ――首刈りの雷帝――の契約者がわかりましたよ」
首刈りの雷帝というのか、この蟷螂は――どうやって知ったのかは後で訊くとして。その名前からしてとても勝てる気がしない。事実、俺はさっきから一歩も動けていない。隙が見つからないのだ。
「アレンゴル将軍の隠し刀、吸血の魔女カネアさんじゃないですか」
その瞬間、赤く輝く槍がハイエラールに向けて飛来した。
「おっと」
ハイエラールは杖を翳して槍を迎撃する。勢いを失った赤い槍は、まるで切断された人体のように赤い液体を振りまいた。
「女王はどこ? 教えれば命までは取らないわ」
上空から艶のある女の声が響く。視界の隅に露出度の高い赤い衣装を纏った女が見えた。
「魔導師には、外見を誤魔化すやつもいますからねぇ」
驚くべきことに、ハイエラールはこの新たな脅威の出現にも動揺していなかった。
「角狼人に、聖剣ガルンシュバーグ……。まさか、その女がそうか。姿が変わっていたから危うく騙されるところだったわ」
何の話だ?
俺はハイエラールに視線を送る。ハイエラールは口角を上げて小さく頷く。
『――誤解させたままにしておきましょう』
ハイエラールの声が頭の中に響いた。気持ちの悪い感触だったが、これは念話というやつだ。何度か経験したことがある。
「なれば話は早い。ここで始末をつけてあげるわ! 雷帝!」
俺はその瞬間に後ろに跳んだ。蟷螂こと首刈りの雷帝の打ち出した衝撃波に、地面が大きく抉られる。
やはり速い。その上、最上部の一対の鎌腕は魔法を放つ。四本の鎌腕と魔法、それらを同時に相手にしなくてはならない。ハイエラールはカネアという女にかかりきりになるだろうし、エルフは羽目玉の対応で手一杯。ファイランは……言うまでもない。
四本の鎌腕から放たれる斬撃を二本の剣で受け流す。今日ほど俺が身体能力に優れた角狼人であったことに感謝したことはない。
しかし防戦一方だ。シエルがいれば、あるいは戦えたかもしれない。だが今ガルンシュバーグを持っているのは戦いの素人、ファイランだ。あてにできない。
ハイエラールとカネアが魔法合戦を繰り広げ、エルフは荒い息を吐きながらも羽目玉を撃ち抜いている。
戦況はジリ貧だ。
「ギャレス?」
「疑問形で呼ぶな」
「一撃する。乗じて」
「わかった」
エルフの弓が光の津波を放った。先程までとは比べ物にならない輝きだ。これはおそらくこのエルフの最後の一撃だ。もはや余力はないだろう。
蟷螂の動きが明らかに鈍っていた。俺は防御を捨て、両手の剣で一番下の一対の付け根を突き刺した。どれほどの装甲があろうと、関節部は柔らかい。
『ケダモノ風情が、我に傷をつけただと』
鼓膜を震わす低音の咆哮。
『不遜なり! 散れ!』
無事な二本の鎌腕が落ちてくる。さらにその上の鎌腕の先端が眩く輝き始める。
俺は素早くその胴体の下に潜り込んだ。
『!?』
動きの鈍った蟷螂の腹部に剣を突き立てる。どんな生物でも――こいつらが生物の常識に当てはまるかは知らないが――腹は柔らかいものだ。
「雷帝! あの女を殺して! これは命令よ!」
『……承知した』
首刈りの雷帝が不本意そうに応じ、羽を広げる。
ファイランの怯えた顔が一瞬視界に入った。