5-4. 化け物と贖罪
玉座を破壊して現れたそれは、この世で最も恐ろしくて醜い――そう表現しても差し支えのない何かだった。溶けた二人の人間が強引に練り合わされたような。そして下半身は巨大すぎるナメクジのそれを連想させられた。身の丈は俺の倍ほどある。撒き散らされる黄色い液体は、吐き気をもよおす刺激臭を発している。
『これが欲に塗れた人間の末路。綺麗に死ねたシエルグリタ女王は、その幸運に感謝すべきですよ』
「感謝だと!?」
俺は聖剣ルーンヘルガを構える。俺の右にファイラン、左にリブラリスが並ぶ。
「落ち着け、獣人。挑発に乗るな」
「ああ」
わかっている。俺はリブラリスに向って頷く。リブラリスは口角を少し上げた。
「こいつがジグランス公爵とゼルデビット辺境伯だというのか」
俺に人の顔の判別はできないし、そもそも当人たちの顔を見たこともない。
「一人はゼルデビットで間違いないよ。忘れようもない」
ミシェが後ろで吐き捨てた。
「もう片方はジグランス公爵ですね。一度見たことがあります」
ハイエラールが冷静に言った。俺は天陽の構えを取りながら、ファイランを見た。
「どっちみちこいつを倒さないと駄目ってことだね。近寄りたくないけど」
「見ろ」
リブラリスが馬上槍をナメクジ人間の胸あたりに向けた。
その四本の手に剣が出現していた。その四つの眼球はそれぞれバラバラにぐるぐると動き、俺たちを捕捉しているようだ。
「ハイエラール! ゲーレンワールを抑えていてくれ」
「善処します。あなたたちはその化け物を」
俺は「わかっている」と応答し、ファイランとリブラリスに「行くぞ」と声をかけた。
「どんな存在であれ、これは生命への冒瀆ですよ、兄さん」
『だからどうだと言うんだい、弟よ。僕にはそうするだけの力があり、彼らにはそれに抗するだけの力がなかった。無力だった。ただそれだけだよ。ウサギはキツネに食われる。本当にただそれだけの話だ。僕の行為は何の自然の摂理にも反してはいないよ』
「それを本気でそう信じているのなら、あなたはもう手遅れだ」
ハイエラールの周囲に風が逆巻く。その風はナメクジ人間を飲み込み、ずたずたに切り裂いた。
しかし、すぐに化け物は再生してしまう。それどころか、その四本の剣で生み出した剣圧がハイエラールを襲う。
「くっ」
ハイエラールの結界さえ揺るがす威力。あんなものを食らえばこっちは細切れ肉になってしまう。
「同時に仕掛けるぞ、ギャレス、ファイラン」
「了解した」
「わかった!」
俺たちは体勢を立て直しつつあるそいつに迫る。
しかし化け物の機動力は見た目以上だった。くるくると腐臭汁を吐き散らしながら小刻みに動き回り、同時攻撃のタイミングを掴ませてくれない。
「ミシェ、弾幕展開できないか」
「やってみる」
ミシェの弓から数十からの矢が飛来する。それはナメクジ人間の魔法障壁で潰されてしまうが、その間、ナメクジ人間は動きを止めていた。
――天墜撃!
三方向からの痛打がナメクジ人間を襲ったはず、だった。だが、それはぐるりと一回転しながら衝撃波を撒き散らしてくる。
「効いてない!?」
ファイランの動揺が伝わってくる。
「落ち着け、ファイラン。常に冷静でいろ」
「わかってるけど、難しい!」
「お前は動き続けろ。リブラリス、攻撃を頼む」
俺は奴の弱点を探る。
『無駄ですよ。この都市は、もうまもなく世界から消えるんです。あなたたちごと、ね』
時間稼ぎか。
なにかの準備に時間がかかっていると見るべきか。
『そして僕はその狼藉をはたらいたあなたたちを倒した英雄となる』
「何を企んでいるかは知らんが!」
俺の威嚇の一撃がナメクジ人間の腕を一本斬り飛ばす。だが、すぐにそれは再生してしまう。
「いや、待てよ」
奴は体組織を腕に変化させているだけかもしれない。となれば、攻撃を続ければ奴は身体を消耗させていく、はずだ。
「ハイエラール、まだ持つか」
「大丈夫です。が、ゲーレンワールが何を考えているのかが!」
「それはこいつを倒してから考えよう!」
俺は天陽、牙潜、虚鎧と構えを変化させる。リブラリスがニヤリと笑ったように見えた。ファイランは懸命に攻撃を続けている。
青眼――!
カチリ――。
俺の中で何かが嵌った。
聖剣ルーンヘルガの力を受け継いだ愛用の重量長剣が輝きを増す。
――神威雷覇斬!
王の間が揺れる。城が軋む。
腐臭を撒き散らすそれが弾き飛ばされ、壁に激突して弾けた。
その途端、部屋の明かりがなくなり、ハイエラールが慌てて光球を打ち上げる。
室内には原型をとどめない肉塊が悪臭を放ちながら散乱していた。
「あんたたち、外!」
ミシェが王の間から駆け出して、バルコニーから身を乗り出すようにして叫ぶ。
「星が落ちてきてる!」
「なんだって?」
俺たちも外に走り出る。
星というにはあまりにも巨大な赤熱する石の塊が、王都を目掛けてまっすぐに落ちてきていた。
『堕天終滅。何人たりとて逃れられない究極の破壊魔法。僕はルーセグラム魔水晶の中からこの魔法を探り当てたんだよね。いやぁ、竜の知識も探ってみるものだねぇ』
勝ち誇ったようにゲーレンワールが言う。
「確かに、これは私の魔法だ」
リブラリスがボソリと言った。
「ならば、その責任は私が取ろう」
「リブラリス!?」
ファイランが何かを察して声を上げた。
『何を企んでいるのかは知らないけど、もう時間がないよね』
「問題ないさ」
リブラリスは馬上槍を消滅させると胸に手を当てて目を閉じた。
「あの石もまた、魔法で生み出されたもの。天降る星を模したものに過ぎない」
『なんだ、お前は』
ゲーレンワールの声に初めて焦りのようなものを感じた。
「完成前に打ち消してしまえば、被害は出ない。喋りすぎたな、三流魔導師!」
「リブラリス、何をするつもりだ!」
「予定が早まっただけだ」
リブラリスはそう言うと、ファイランを抱きしめた。
「楽しかった。ありがとう、ファイラン」
「リブラリス……?」
「世話になった。ギャレス、お前は最高の騎士だ。私の剣技を受け継ぐに相応しい騎士だったと思っている。だから、あと一頑張り、頼むぞ」
「待て、リブラリス。こいつはルーセグラム魔水晶の力なしでも魔法を使えるって!」
「仮にそうだとしても、だ、ギャレス」
リブラリスは赤熱する岩の塊を見上げながら、その黒髪を風に遊ばせる。墨に血を落としたような瞳が、何故かとても優しかった。
「私の力を見くびらないでもらえるかな、獣人の騎士」
「死ぬなよ!」
俺は思わず怒鳴っていた。だが、リブラリスは口角を上げて目を細めて見せてくる。どうしてそんな表情をするんだ。その表情が悲しいものだってことくらい、俺にだってわかるんだ。別れを前にした人間が見せる表情だって、俺にだって理解できるんだ。リュシエラ女王が最後に見せた表情と同じだろう――そのくらい俺にだって想像できるんだ!
「死は終わりじゃないさ。私にとってはリュシエラとの時間の始まりなんだ」
「しかし!」
「尊重しよう」
ミシェが俺の二の腕を叩いた。俺の胸が詰まる。
「リブラリス……」
「私もな」
リブラリスは訥々と言った。
「人間の顔の区別がつかなくてね」
落ちてくる星に気がついた地上の人々が騒がしくなってきた。
「リュシエラは私に言ったよ。それなら、この私の目に忠誠を誓え、って」
同じだった。俺とシエルの関係の始まりと。
「リブラリス、それでも、俺は」
「言わないでくれよ、ギャレス。私にとって、リュシエラとの再会は望外の喜びだ。だが、お前たちとの別離は、やはり寂しいんだ」
リブラリスは大きく息を吸い込むと、生じた霧の中で竜の姿に変わった。天秤の竜――かつて世界で破壊の限りを尽くした竜。
『これが私にできる精一杯の贖罪なのさ。リュシエラ――!』
――世界から夜が消えた。




