5-2. 二人の女王
深夜になって、俺たちは移動を開始した。川を少し遡った先にある小さな滝。その裏側に秘密通路があることを、脱出のあの日に俺は聞いていた。結局使ったのは別のルートだったが。
「こんなところに入口があるなんて不用心じゃない? 地元の人は知ってるんじゃ?」
ミシェが湿った道の先頭を歩きながら疑問を漏らす。周囲はハイエラールの光球のお陰で不自由なく見られるのが救いだった。足元は安定しているとは言い難いが、見えてさえいればどうということもない。
「ハイエラールってほんと便利」
「私は道具じゃありませんよ、ミシェ」
「あんた本来の価値に道具としての価値もあるからスゴイって言ってんの」
ミシェは大挙して飛来してきたコウモリをやり過ごしながら軽口を叩く。
「ああ、罠だ」
「だいじょうぶか?」
「うん。ここをうっかり踏み越えると、王城のどこかで警告が鳴るんじゃないかな」
ミシェは魔法も使える。だからこそ気付けた魔法の罠だ。
「本当ですね。解除しますか」
「できる?」
ミシェの言葉にハイエラールは黙って頷いた。
「欺瞞信号を食わせておきました。これで引っかかっても警告は行きませんね」
「さすが」
ミシェは指を鳴らして先を急いだ。俺たちもついていく。最後尾のリブラリスはその前を行くファイランの背中をまっすぐに捕捉し続けているようだ。ファイランについては完全に任せてしまっても良いだろう。
俺の足の疼きもほとんど気にならなくなった。激しい戦闘になっても何ら支障はないだろう。
通路は何度も何度も右折や左折や蛇行を繰り返す構造になっている。ガレッサがいなければ迷子になっていたかもしれない。ガレッサのようなほとんど戦闘力のない悪魔を隷魔にしたハイエラールの慧眼に感服し、同時に感謝する。ガレッサがいなければ、そもそもこの王都奪還の初手で躓いていたところだった。
「ガレッサは罠に引っかからないの?」
ファイランの問いはハイエラールを経由して、ガレッサ本人が答えてきた。
『我は悪魔ぞ。人間ごときの罠に検知などされぬわ、カカカカッ!』
「ということです。悪魔検知専用の罠でもあれば別ですが、そうでない場合、検知できるのは人間や獣人、エルフといった類似種族のみですね」
「へえ」
俺たちは揃って関心する。そこでファイランが振り返る。
「ということは、リブラリスも引っかからない?」
「さぁ? 引っかかったことがないからわからない」
「なるほど、論理的だ」
ファイランは真面目くさった声で言った。表情的にも多分なんらか気取ったそれをしているのだろうが、俺にはわからない。
ハイエラールが立ち止まって辺りを見回した。
「ガレッサ的にはそろそろ王城の真下らしいですよ」
いつの間にか、俺たちはだだっ広い部屋に踏み込んでいたようだ。
「ここはどこだろう」
「穢域の間だ」
リブラリスが馬上槍を出現させて前に出た。
「穢域の間?」
「リュシエラが城の地下に用意した祈りの間。どうしても溜まってしまう不浄な気を浄化するために作ったのが始まりだ。とはいえ、もう随分と使われていないようだが」
床一面に分厚く積もった埃が、経過した年月の長さを物語っている。
「ということは、不浄の気がずっと溜まり続けてたってことか」
「それは人の願いの現れだ」
リブラリスの答えに俺は首を傾げる。
「願いが不浄?」
「完全無垢な願いや祈りなんて存在しないのさ。その何割かは……恨み、妬み、嫉み、我欲といったものでできている」
暗かった部屋が一気に明るくなった。石の壁が燃えていた。
「だけどね、ギャレス。私はそれが悪いことだとは思わないよ」
「不浄であっても?」
「不浄だろうが不純だろうが、そこにほんのわずかでも誰かを愛する気持ちがあるのなら、それがその願いや祈りの契機であるなら。そしてその願いで当人や他の誰かが救われるのならば、その願いは正しいものだと私は思うよ」
リブラリスの言葉が終わると同時に部屋の中央に現れたのは――。
「シエル……」
シエルそのものの姿だった。鎧と、その手には抜き身のガルンシュバーグがある。
「リュシエラ……!」
隣に立つリブラリスが呆然とした声を発した。シエルグリタとリュシエラは瓜二つだったのかもしれない。
亡き女王の姿は、俺たちの方を見つめていた。
『ギャレス、リブラリス……私たちの愛しい人』
シエルの声が響いた。俺の背に、ミシェの手が触れたのがわかった。
『ありがとう。ここまで来てくれて』
「シエル……」
『私はシエルグリタであり、リュシエラであり……だけど、ギャレス、あなたのことは忘れていない』
「これは現実なのか?」
『ええ。この広間に蓄えられた魔力で私はこうしているの。あまり時間はないけれど』
シエルの姿はゆっくりと俺たちに近付いてきた。
「気をつけてください」
ハイエラールが鋭い声を発する。
「あなたたちの願いを具象化する魔物の仕業かもしれません」
その可能性はある。俺の中のいくらか冷静な部分が、ハイエラールの言葉を肯定する。リブラリスと目が合う。
リブラリスは女王の姿に向けて問いかけた。
「リュシエラ、私たちに力を貸せ」
『できることは限られているわ、リブラリス』
「それでもいい。お前が本当に私の愛した女王だというのなら、それだけでもいい」
『悲しいけれど、それを証明する術は私にはないわ。だけど、私はあなたに再会できた。あなたは私との約束を果たそうとしてくれている』
「だが、約束は守れなかった」
『いいえ』
女王――リュシエラは首を振った。
『王国は必ず蘇る。あなたさえ生きていてくれたら』
そして俺を見る。
『ギャレス、あなたが生きていてくれるから、王国はまだ生きているんだ』
女王――シエルがそう言った。
「俺は、どうしたらいい?」
『あなたが忠誠を誓ったのは誰?』
「お前だ、シエル」
『いいえ』
シエルは首を振った。
『あなたが忠誠を誓ったのは、私のこの目だよ? 深い空の色の瞳。あなたは私の血に、忠誠を誓ったのよ』
俺は咄嗟にファイランを振り返った。ファイランと目が合った。深い空の色の瞳――炎に照らされていても、その色は揺らいでいなかった。
『貴方の忠誠を嬉しく思う』
シエルはその手にした剣を俺に手渡した。それは俺の手の中で消える。
「ん……?」
一瞬何が起きたかわからなかったが、俺の腰に帯びた剣が淡く輝き始めたのに気が付いた。
『あなたの愛用の剣に私たちの血の力を授けます』
話しかけているのはリュシエラの方だと俺は理解した。
『リブラリス、この者を援けてください』
「もちろんだ」
『全てが終わったら、迎えに行きます』
「……ああ。待っている」
千年、待っていたんだぞ――リブラリスの声が聞こえた気がした。
『角狼人の騎士。その剣は私のもう一つの聖剣』
「ルーンヘルガ」
リブラリスが呟いた。
「しかし……私との戦いで折れたはずだが」
女王の姿は頷いた。
『そのあなたの力で、ルーセグラム魔水晶の力で蘇ったのよ』
「そうなのか」
『ええ。リブラリス、あなた……妬いているの?』
「まさか」
『あなたには私の愛を与えます。好きなだけ、いくらでも』
「そんな言葉に――」
リブラリスは頭を振った。
「ああ、でも……悪くないか」
『でしょう?』
そう言って屈託なく笑う女王の姿。
それは俺にもわかる数少ない人間の表情だった。
『ギャレス、リブラリス。ルーンヘルガを託せてよかった』
俺は頷く。
『ギャレス、行って。全てをあなたに委ねます。あなたたちと、私たちの二振りの聖剣があれば、願いはきっと叶う』
「任せておけ」
俺がそう言うと、女王の姿がゆっくりと消えていった。




