4-8. アレンゴル将軍
「ギャレス」
俺の肩に、リブラリスが手を置いた。
「……?」
「死者に引き摺られるな」
「大丈夫だ」
俺は頷き、鏡に背を向けた。リブラリスの陶器のような肌と、恐ろしい輝きを放つ瞳を見て、波打っていた心が平静を取り戻していく。
「すまんな、ギャレス。私たちは見てはならんかったのかもしれんな」
「気にする必要はない。あれは現実だ」
俺は首を振った。リブラリスは「うん」と頷いたと思うと、馬上槍を取り出した。
この足音。
俺は微かに聞こえてきた足音に、思わず眉間に皺を寄せた。
「アレンゴル!」
「ケダモノめ」
ご挨拶なことに、奴は広間に姿を現すなりそう言った。
アレンゴル一人のように見えたが――。俺よりも早く、リブラリスが槍を一振りして警告を発した。
「気をつけろ、他に何かいる」
「そうだな」
この気配、知っているぞ――。
俺は長剣を抜き放つ。
「アレンゴル、この裏切り者め!」
「ケダモノ風情が無礼なことだ! 貴様はその偽王女を掲げて何をしたいというのか」
アレンゴルは小山のような男だ。その体躯は角狼人である俺と比べても劣らない。重厚な甲冑と、俺のと同じタイプの重量長剣を持っている。顔立ちはよくわからない。俺から見ると特徴がなさすぎて、その顔面からは人物を同定できない。足音と声で、俺はようやく確信を持てたくらいだ。
「よくもカネアを殺ってくれたな、ケダモノども」
「カネアを使って何千何万と人々を苦しめておいて、どの口がそれを言うか!」
そう啖呵を切ったのはファイランだった。俺は思わず後ろを振り返る。ファイランは聖剣ガルンシュバーグを抜き放ち、その切っ先をまっすぐにアレンゴルへと向けていた。毅然たる態度だった。
「小娘が誰に物を言っているか! この無礼者め!」
叫ぶアレンゴルに向けて、俺はゆっくりと長剣を構えた。
「簒奪者ゼルデビットの手先に過ぎないお前が、何を偉そうに!」
「気をつけろ、ギャレス、ファイラン」
リブラリスが何かを弾き返した。転がったそれは小さな両刃のナイフだ。
「ハイエラール、敵の姿が見えるようにならないか」
「今やってます、ギャレス。もう少し」
ハイエラールの声に緊張が走っている。高度に集中しているのか。だとすると、相手はただものではない。
その時、俺の脳裏に奴の姿が浮かんだ。ラクゼア公爵の子、ラガールに付き従っていた得体の知れない男だ。微かに聞こえる足音、空を切る音、そして臭いがまったくないこと。どれも覚えがあった。それにこの移動速度は、奴が肉体増強系の魔法を使った時のそれと合致している。
「アレンゴルは俺が倒す。リブラリス、頼めるか」
「三人には自衛してもらう必要がありそうだが」
そうしている間にもファイランやハイエラール目掛けてナイフが降り注いでくる。ミシェはというと小さな傷を作りながらも巧みにそれらを避けている。そして俺にはナイフは飛んでこない。
俺は重量長剣を天陽に構える。アレンゴルは無造作に右腕で剣を振り回す。全く洗練されていない構えだったが、それでもアレンゴルが強敵なのは間違いない。仮にも一国の筆頭将軍。武力知略共に優れている厄介な男だ。それゆえ、王国は奴を排除することができなかった。人格に問題はあっても、武人としては有能だったのだ。
「やはり、兄さんの影か」
ハイエラールの呟きが聞こえてくる。
「手強いわけだ。しかし、かくれんぼはおしまいです」
部屋が一瞬輝いたかと思うと、俺の背後で激しい撃剣が始まった。もっともリブラリスがいてくれる以上、俺にできることはない。
俺はアレンゴルを制圧しなくてはならない。生きたままだ。腕や足の一本くらいは勘弁してもらうとしてだ。
「貴様は、なぜこんなことをした。なぜ王国の転覆などを企んだ」
「知れたこと! 俺は強い者に与する。それだけだ!」
「それがゼルデビットだというのか!」
「はははっ!」
激しく剣をぶつけ合いながら、奴は笑う。
「俺にとって主は誰だろうと構わんのだ。この俺をより強くしてくれるのであればな!」
「お前は国王に重用され将軍にまでのぼりつめた。その国王をお前は!」
「その国王を殺したのも俺だ!」
「なんだと!」
「何年もかけて毒を仕込んでな!」
訊かれてもいないことをペラペラと喋る。
国王が病に倒れたのは、シエルが国を追われる数年も前。その頃からすでにこいつは……いや、こいつらは!
「ケダモノ風情の剣技が俺に通じるものか」
「俺の剣技は!」
千年を経た想いの技だ。竜殺しの女王リュシエラからリブラリス、じいちゃん、俺、そしてシエルとファイラン。平和を願った女王によって生み出され、千年の時を経て、平和を願った女王に引き継がれた技だ。
「この剣技、お前ごときにはもったいない」
「何を言うか、ケダモノ風情が!」
アレンゴルは左手を掲げた。
「……!?」
その手にあるのは何かの宝石?
そう思った瞬間、巨大な鏡から稲妻が迸り、アレンゴルの手にしたそれに吸い込まれた。
「死ね、ケダモノ!」
部屋を焼き払うそれを、俺はギリギリのところで回避した。……と思ったが、左足の装甲が焦げてひしゃげていた。かなりの痛みがある。
「くそッ!」
「かはははは!」
勝ち誇ったようにアレンゴルは笑っていた。小物であればここは接近してきて止めを刺しに来る。が、アレンゴルは狡猾だ。その場でまた宝石を掲げる。俺の剣は届かない。
あれを食らえば終わる。動けない今、回避の術はない。
その時――。
『カカカカッ』
アレンゴルの態勢が崩れた。後ろから突き飛ばされたかのようだ。
「ガレッサ!?」
思わぬ増援だった。
『我とて隷魔よ!』
アレンゴルはその拍子に手にした宝石を落とした。それは文様の輝く床を滑ってくる。
届け!
俺は痛む左足で強引に床を蹴った。帯電する宝石に手を伸ばす。
虚を突かれたアレンゴルは、まだ立ち直っていない。
俺はそれを掴み取る。強烈な痺れと痛みが右手を襲うが、構ってはいられない。こいつを奴に使わせるわけにはいかない。
「リブラリス、これを!」
「承知した」
空中でそれを投げ渡す。リブラリスは鮮やかに宝石を受け止め、頭上に掲げた。
「ふっ、ルーセグラムとの接続装置か。こんなものまで開発していたとはな」
負傷した俺のところへ、ガルンシュバーグを抜いたままファイランが駆け寄ってくる。
「そっちの状況は」
「私の出る幕はなさそう。リブラリスたちで大丈夫。それよりギャレス、あなたが一番危ない」
「面目ない」
「あいつ、私がやる」
「無茶を言うな」
アレンゴルはどこをどう切り取っても強い。今は思わぬ伏兵ガレッサの奇襲こそ受けたが、二度目はないだろう。どうあってもこの男は将軍なのだ。
「私が相手だ、将軍!」
「小娘風情が俺と組み合えるとでも?」
アレンゴルの切っ先が油断なく後ろに下がる。一撃で決めるつもりか。
「ファイラン、防御に」
「いえ、決める」
何を考えている。一撃で両断されてしまうぞ!
互いに距離をジリジリと詰めていく。俺はファイランの背中を見ていることしかできない。
「小娘、お前は女王を騙る大罪人。ここで処刑してくれる」
「お前は王国を裏切った謀反人。私利私欲のために多くの民を苦しめた極悪人。おとなしく女王の剣を受けるがいい!」
ファイランの姿がますますシエルに重なっていく。聖剣ガルンシュバーグが言わせているのか、あるいはシエルが本当に乗り移っているのか……。
ファイランが選択したのは、虚鎧の構え――。
アレンゴルの一撃を避けられれば、あるいは勝機がある。しかし、アレンゴルは達人だ。構えの狙いなどすぐに見抜くだろう。
「死ね、小娘!」
電光石火の一撃がファイランを襲った。




